2014年10月30日木曜日

10月29日 診断書

こちらの高校でも日本と同様にクラブ活動がちゃんとある。特にスポーツのクラブだとグラウンドの整備やら環境を整えるために莫大な費用がかかるので試合にくる人から入場料をとったり(とれるくらいまともなスタジアムがある)、寄付を募ったり、近所のお店の手伝いをしたりといろいろなことをして運営に生徒も親も関わることになる。ただし、重大な違いはシーズン制であること。すなわち、オンシーズンとオフシーズンが明確に分かれていて、オフシーズンは練習がない。その結果、運動がすくな生徒でかつ勉強がちゃんとできれば複数のクラブの掛け持ちができる。例えば、春から夏は野球をやり、秋からはアメフトとか。本当にいるかどうかは確認していないが、やっている生徒の話は耳にしたことがある。
そして、運動部に入るためには事前に親の承諾書となんと医師の診断書が必要となる。そのため、この日は子供たちがかかりつけになっている(予防接種を受けただけだが)診療所にその診断書を貰いに行った。日本ではここまで細かいことを求めないが、訴訟社会のアメリカはそれぞれの組織がリスクをヘッジするためにこういうことが必要になるのだろう。日本でも年に数回は高校生が炎天下のクラブ活動で倒れたと言った事故が報告される。最近でそのたびに、学校の責任が問われるようなことも増えているのでこの前に日本も同じような状況になるのかもしれない。
ここまで書いて思い出したが、日本とこちらの大きな違いの一つが、弁護士、医師がこちらの社会ではかなり身近な存在であるのに対して、日本では人口あたりのそれらのプロの数が非常に少ない点があげられる。特に弁護士の数は圧倒的に違い、日本では特権的な資格となっているが、少なくともアメリカにはごろごろ弁護士がいる。会社にもごろごろ弁護士がいて適切なアドバイスを提供してくれる。このあたりが新しいことを始めようとするときに大きな差となって現れている気がする。この先は日本とアメリカのベンチャーの差につながる議論なのでまた改めて。

2014年10月29日水曜日

10月28日 日本と会議のはずが。。。

右の写真の下の2枚のようなものが最近よく道に落ちている。よく見ると虫の羽のように見える。これを手で持って空中で話すと綺麗に円を書きながら地面に落下する。見た目、昆虫の羽そっくりだが、これは日本ではもみじの木につく種のようだ。こちらも同じような種類の楓にこの種が着く。枝に付いているものが写真の左側。こう見れば葉っぱだが、枝から離れると色といい、形と言いハネそっくりに見える。これも遠くまで種を飛ばして子孫を保存しようという自然の知恵というか知識なのだろうがどうしてこういうデザインになったのかはとても不思議なものだ。
今日は夕方から日本との会議があったので家から参加しようと戻ってきたのだが、どうもうまく連絡が取れず結局参加はできず。そのおかげで、最近手に入れた新しいおもちゃ(Raspberry-Pi)にOSを入れてみたりといろいろと試すことができたので時間は有効に使えた。このRespbbery-PiとArduinoの2種類が巷では簡易小型コンピュータとしては受け入れられてきている。そこにGalileoがArduinoのコンパチとして市場に出てきたのだがどう受け入れられていくのだろうか。Galileoは少しだけ日本で触ったが、Ras-Piを昨日触った感覚では、初心者にはこっちのほうが最初から全てが付いているのでいいのかもしれない。

2014年10月28日火曜日

10月27日 はじめての出張

アメリカに来て初めての出張。行き先はSan Jose。オフィスの隣の飛行場からシャトル便でCaliforniaのSan Jose空港まで1.5時間のフライト。距離だと結構あるが、オフィスから5分の飛行場から飛べる(すなわち家から20分程度の場所)、社内便のためcommercial flightのようなTSAのsecurity checkなしで飛び乗れてしまう。家を出たのが7時、8時に離陸、9時半にはSJC到着、10時前に目的到着。この手軽さは移動に伴うストレスをかなり低減してくれる。飛行機自体は40人程度しか乗れない小さな飛行機で中は狭いが1.5時間なら十分我慢できる。さらに、機内でインターネットに接続もできるので1.5時間で必要あれば機内で仕事もできる。実際に帰りの機内で、日本政府向けに出す締め切りギリギリの文書を提出できるなど利点を活用できた。
ここのところずっとwetなオレゴンからCaliforniaに行くとやはり気候の差は大きい。SJCなので、すこし内陸で乾燥しているので雨の気配は殆ど無い。San Franciscoであれば雨も降るがここまでは来ない。1日久しぶりの好天を楽しみに6時前に空港にもどり8時半には帰宅。これは便利だ。あまり連続してやりたくはないが。。。。

10月26日 嵐の後

土曜日は急に気温が上がり、前線が通過したような天気となり午後は風が強い一日だった。道には樹の枝が落ち、枯れ葉が舞うといった珍しい状態で、ワイヤーにぶら下がった信号がブラブラとゆれるよくある嵐の天気。雨はそれほど強くはなかったが風が強かった。その結果と思われるが、庭の塀が隣家の庭側に他をれているのが日曜日の朝に発覚。塀を支える木の柱が腐食して完全に折れている。これは素人が補修できるものではないのでどうしようかと隣の主人と相談をした結果、ひとまず応急的な補修をすることとなった。過去にも別の場所が壊れたことがあるようで隣の主人は特に驚いていはいなかった。ただ、隣には二匹の犬がいるために犬が逃げ出さないように彼は少し気を使っているようだった。
日本と大きく違う自然の一つが地質があげられる。日本は新期造山帯に属し長期間にわたって侵食された土地ではないため、比較的険しい地形だが、こちらは大陸のロッキー山脈と海との間で長年に渡り浸食された地形のため、なだらかな丘が続く地形となる。そのために、土地は粘土質で窪地には水が貯まり、そここに沼地のような場所ができる。日本であれば、水が流れる場所は岩があり、水が少ない時はその下を水が流れている。こちらは岩ではなく粘土質の土の上に水が貯まる。今住んでいる場所の庭はべつに窪地でも沼でもないが、シャベルで20cmも掘ると粘土質の層にあたりそこに水が貯まる。そんな土地なので、雨が数日降ると芝生が水を大量に含んだスポンジのような状態となる。芝刈り機をいれてそろそろ刈ろうかとおもっているが、これだけやわらないと芝刈り機をいれられないのではないかと心配になってしまう。

10月25日 メディアの威力

ちょっと必要な家具が出てきたために、この日はPortlandのダウンタウンまで子供たちがいない間に散策に行くことにした。目的地は、解体工事をするような場所からでてきた建築資材を再販するNPOの店Rebuilding Center。ここは巨大な倉庫に、床板、窓、ガラス、ドア、柱、テーブル、便器、電灯、なんでもかんでも家で使われる部品すべてを寄付で受け入れ、整理して破格の値段で売っている。アンティークのドアノブなどを探し始めたらかなり色々なものを探すことができる。寄付されたものは、ボランティアが指示されたとおりに分類をし展示される。こちらに来た最初にたまたま立ち寄った時に木製のいいスツールがあり、ひとつ$15で2脚購入した。これに味をしめて今回も来たが、ちょっと目的のものはなく、変わったものを物色するだけで終わってしまった。ポートランドにはこのような寄付されたものを販売する店舗が幾つかあり、その中のひとつは大規模なネットワークをもって運営されており、さらに職に困った人を積極的に雇い入れるような仕組みを組み入れてコミュニティーのなかで成り立っている。日本で売られるポートランド紹介にもよく掲載されている。日本で言うとbookoffがボランティアを受け入れてNPOとして運営されているような感じか?こちらの人々は家で使わなくなったものは、店のdonation centerと呼ばれる売り手側ではない、別の入口に車で乗り付けて寄付をしていく。Rebuilding Centerも持ち込み用の大きな入口があり、そこでスタッフがゴミと受け取るものを選別する。たぶん、ここでのゴミと売り物になるもの見極めが大事だと思うがどこで線引きをしているか非常に興味がある。
さて、この日のタイトルは、このRebuilding CenterのあるMississippi Aveには日本の雑誌に紹介されたメキシコ料理屋がある。記事はポートランドで一番という触れ込みだったので、お店が混む前に今回はいることができた。そこには予想通りというか、日本人のグループが先におり、話しているのに遭遇。こちらに留学している知人を友達たちが訪れているといった間の雰囲気。ここ数ヶ月でポートランド特集をする雑誌が多かったためか、そこで記事になった店に行くとよく日本人を見かけるようになった。日本のメディアの影響力も捨てたもんじゃないと思った次第。

10月24日 紅葉

そろそろ街の木々が色づいてきた。日本の山の様に全体が色づくにはもうすこし時間がかかりそうだが、街路樹のコントラストが緑、黄色、紅と多様な色が楽しめる。残念ながらこちらには銀杏が殆ど無いため、燃えるような黄色というか黄金色の町並みというのは見ることはない。しかし、楓系でそれも葉っぱの大きめの木が赤く色づき始めるとそれなりに綺麗に見える。毎日見ているとあまり変化に気づかないが、どこか定期的に記録でもしてみようかと考えている。でも今年は手遅れか。
今日であっという間に一週間が終わり週末にはいる。日本では土曜日が全員休みだったために、週末という感じが金曜にはあったが、今年4月からは息子の学校が土曜日にあったのと、こちらの土曜日は日本人学校なのでなんとなく慌ただしい。月曜日は、こちらに来て初めての出張のため、それに合わせて頼まれたものを運ぶ予定で、それの調達などを行う。どの家も中学生、高校生がいると土日を使って遠出といった日本にいた頃のような行楽はあまりできず、長期の休みをとれるときにじっくりどこかに行くのが一般的の模様。そろそろ山からは雪の便りも届き始めたが、スキーに行くためにはまだまだ準備が必要。まだまだ出費がこれからも必要となりそうだ。

10月23日 天気の話の続き

東京にいた時はTokyo Ameshと言われる気象情報を見ながらあと何分で雨が来るとか、あと何分でこの雨はすぎるといった観測をすることができた。こちらにきてそういうサービスがないなと思っていたらちゃんとあった。Weather Undergroundというサイトが有り、北米の気象情報、災害情報、天気図、その他を多元的に表示をしてくれる。これを見れば、雨がどのくらい続くのか、この先どのくらい晴れていてくれるのかを予測できる。何度も書いているし、いろいろな本にこのあたりは雨が多いというのは一般的な説。一日に一度雨が降れば雨の日だと定義すれば、10月から4月までは毎日雨の日と言ってもいいのかもしれない。逆に、一度でも青空が見えれば晴れていたといえば、ほとんどの日が晴れていた人なる。そのくらい、天気がよく変わる。この週は週末にかけてPortlandよりも少し南側の太平洋に低気圧があり、そこから内陸に前線が伸びている気圧配置。低気圧の北側にいるので、冷たい空気が来たから入ってくることになり、結果的に寒い週となった。前線の真下はしっかり雨が降っているようだが、その北側は薄い雲が午前中は海側から入ってくるが、午後には度切れ途切れとなる。
このような天気なのと、車での移動が主なため、家族全員ほとんどこちらに来てから傘を使わなくなった。降ってもどうせすぐ晴れるからと多少降っていても傘はささない。子供は傘を学校に持って行っても置く場所ない(置いとけば無くなる可能性もある?)ため持っていかない。街にいくと傘をさしている人がいるようだが、こちらでは雨が降っていても子供は自転車で学校までくる。多くの日本人からみたら不思議な風景だろう。最近はもう慣れてしまった。

2014年10月23日木曜日

10月22日 大雨

数日前にこちらの雨は東京とは違って、雨は大抵午後か夕方には切れて晴れ間が出ると書いた。しかし、この日はほぼ1日降り通し。夕方にオフィスを出た時には、西の方に晴れ間は見えたが、雨はしっかり降っていた。これが本当のこちらの雨なんだろうか。
この日は、東京から知人がたまたま来ており、色々なことを話す機会があった。多くは、こちらに来てわかる日本のこと、アメリカのこと。そして、教育の違いなど。なにをするにしても私達の家族にとっては新しいことばかりで、プロセス、考え方すべてが新しく、いままでの日本のやり方との比較ができて面白い。その会話の中で、なにをもって日本人というのだろうかという話題になった。多くの人は単純に国籍をもって、その国籍の人だと定義するのが簡単なのでそうしたがるかもしれない。しかし、世界には国籍を二重に持てる国はいくらでもあるし、なんらかの理由で母国を離れていても母国のidentityをしっかり持って、その国の人として自身を持って生きている人は沢山いる。そとに出たことがない人は、外に出た人は外の人と分類したくなるかもしれないが、私のしる外の人、すなわち我国に済む日本の方々ほど日本人としてのidentityをしっかり持ち、その土地で暮らしている。昨日の会話の中では、今回ノーベル賞を受賞した中村教授の話になったが、彼のように日本の外で、その時の国籍がどうであれば日本人としての立場を世界に示している方々は沢山いる。そのような方々の苦労や日本人としてのidentityというものをもっと理解する人が増えればいいのにと思う次第。アメリカは建国してからの歴史が短いため、アメリカ人の定義が実は難しい。アメリカで生まれて市民権を持っていればアメリカ人か?実はそうではなく、彼らはその家系を遡って自分の家系を理解して、イタリア系アメリカ人であったり、日系アメリカ人であったりと自分のrootsをもっている。この辺をしっかり理解せずに、思い込みで情報を理解すると残念な結果になりかねない。ぜひ多くの人に複雑な世界とその歴史、そしてsonointeractionを理解してもらえればと思う。そうれば、すこしは世の中良くなるのではないだろうか。
最後にヒトコトだけ。喉元すぎれば熱さを忘れるということわざがある。どうも日本の文化には、このことわざが定着しているのか、つい数年前に痛い目にあったのになしくづし的にその経験を生かさずに元の方向に戻っていっているように見えるのが残念で仕方ない。これも、その時の話題になった日本を外から見ると見えてくる一つのこととして話題になった。
こういう青空はいつまでお預けなのだろうか。

2014年10月22日水曜日

10月21日 簡単に信じてはいけない

日本にいたころに、なぜアメリカでは小切手が一般的に使われているかの説明を読んだことがある。こちらでは公共料金の支払、学費、カードの支払などすべてが基本的に小切手で払うような仕組みになっている。どれくらいの人々が小切手を今でも使っているかは分からないが、それが普通であるために、請求書には小切手を送り返すための封筒と請求書が同封されてくる。いまではインターネットで支払いができるので、小切手を郵送料を払って送っている人がそれほどいるようには思えないが、日本で一般的な自動引き落としはあまり一般ではない模様。その理由は、請求書を確認をして請求額を確かめてから、支払額を自らが決めて払うのが一般なのだそうだ。支払額も、全額払えないときは、一部だけを小切手で払うようで、繰越額があるときの扱いなどもそれぞれ違う模様。
そんなわけで自動引落はどれも設定をせずに、今のところ全て請求書が来てから、それを確認をして銀行から支払いをオンラインで行う設定をしている。結局は銀行から小切手相当が支払先に行くようだが、私がなんらかの郵送をする手間は省ける。ただ、この仕組だとどの支払いが済んでいて、なにが未払いなのかの管理がとれも面倒。そろそろ信用できる支払先には自動支払の設定をしてもいいかと思うようになってきた。
実は、ケーブルテレビの請求で不思議なことが起こっており、なんどかケーブルテレビ会社と交渉をして、その結果向こうの請求書が間違っていることが確認できた。問題は色々なところにあるが、そもそも契約をオンラインでしてもその契約書に相当するものが紙でも電子ファイルでも送られてこない。その結果、契約した時の額をウル覚えで苦情窓口に伝えどうなっているのかを確認してもらう。今回はさらに、前月と今月の請求額が異なっており、適切な額に修正をしてもらうように依頼をした。向こう側の間違いが原因で、結局再度請求書を発行してもらうことになったが、オンラインで払おうと思い、オンラインの請求ページを見ると一部は修正済、でも合計額には修正がなされていないという、日本では考えられない状況。これを再度会社についえ、この状態では支払いはできないと伝えたところ、新しい修正の請求書が行くまではなにもしなくて構わないと言われる。こういうところは日本では想像できない。
同じく、別件では病院の予約を入れたが2週間たっても連絡が帰ってこないので電話をしたら、病院内のどこかで処理が止まっているようだとのこと。これも調査をして返信をもらうことになった。こちらに来る前にUSに住んでいた知人に教えてもらったが、待たされること、間違いの請求が来ることにいちいち怒っていては埒が明かない。緊張感を持って請求書を今後も見ていかないとどこに落とし穴があるかわかったものではない。

2014年10月21日火曜日

10月20日 本当に雨が多いのか

ポートランドは10月から4月まで雨ばかりが降るから好きじゃない、というコメントをそこここで聞く。本当はどうなのかまだこちらに住んで4ヶ月しか経っていないのでなんとも言えないが、少なくとも東京での雨とは全く異なるタイプの雨の振り方であることは確か。どう違うかというと、東京では雨が降るとなれば、ほぼ1日または半日が雨の日を雨が降るという。午後の夕立などは、雨の日だったとは言わないと思う。
こちらの雨は、明け方から昼くらいまでが低い雲で覆われてパラパラと雨が舞う。傘をささずに急げばそれほど濡れずに目的地までもいけてしまう。近所の中学校の生徒はそんな中自転車でさっと走り抜けて学校まで来てしまう。お昼からどうなるかというと、雲は切れて雨が降ったり、切れ目から青空が見えたりという天気になる。まだこういう天気に飽き飽きしていない側からすると、雲の切れ間からの青空と、雲のグレーと太陽の光のmixがとても綺麗に見える。上の写真は西側は晴れていて、東側に雲が残り少し雨が振っている。そこに日没の太陽の光があたって二次が見えているのが写真でわかるだろうか。こんなシーンをよく見かけることになる。
右の写真は、会社を出るときにとったもので、上の写真はその20分後、現在の自宅近辺での写真。これを見るとこちらの雨と雲がどんなかんじだかご理解いただけるだろうか。うまく時間を見計らえば、雨の合間に30分位走りに出ることも十分可能。もしふられてもそれほどのダメージは無い。そんな環境が秋の始まりのポートランドの気候らしい。

2014年10月20日月曜日

10月19日 日曜日

空きが深まり周りの木々からの落ち葉が気になる時期になってきた。いまの家の北にはどんぐりのなるでかい広葉樹が日本、庭にはりんごとなしの気があってさらに塀の向こうからは北側の木と同じような広葉樹がありハラハラとここのところ枯れ葉が舞っている。公共の部分になる北側の落ち葉をなんとか集めてYard Debriと書かれた植物関係のゴミ箱にあつめ、今度は庭の落ち葉を集める。実は庭の芝生を刈らなければいけないのだが、芝刈り機をまだ購入していないため写真のような伸び放題となっていた。こうなると伸びた芝に枯れ葉は絡んでどうしようもない。適当に集められるだけ集めたのが上の写真。この後、隣人がまだ芝刈り買ってないなら家の前だけ(北側)刈ってやろうとエンジン芝刈り機であっさりと刈ってくれた。この芝刈り機の素晴らしいところは、落ち葉も一緒に吸い込んで刈った芝生とともに集めてくれるところ。この機能を活用すれば落ち葉を熊手で集める必要もなくなる。さらに、ちゃんと芝を刈っていれば、風で葉っぱを飛ばせば集められるので簡単だとのアドバイスも貰った。これは急いで芝刈り機を買わねば。。。

夕方までこんなことをした後、本屋に行きたいとの希望を受け、全米最大と言われる本屋の支店まで家族でいってなんと1万2千円相当の本を購入。本は資産だと思えばいいのだが、こんなにいっぺんに買ったのは初めてかも。amazonばかりではなく、実際に図書館並みに広い本屋で本を選べるのは幸せなことだ。ちなみに今回買った本はデザインの本を数冊とハードカバーの本+α。デザインの本は、たまたま数年前にでて一度見たかったappleのいままでのデザインをまとめたがあり、saleになっていたので迷わず購入。これはお勧め。

2014年10月19日日曜日

10月18日 日本人学校

週に一度の日本人学校の日。この日は、高校でSATと呼ばれる大学入学に使われる共通テストの予備版があるため、娘は午前中は高校に、息子は日本人学校に行くことになった。そのため、午前の試験が終わった段階で日本人学校に行くことになり、ほぼ1日が子どもたちの送り迎えに費やされることになる。
アメリカでの大学入試は、SATなどの学力検査(日本のセンター試験に相当)とエッセイと呼ばれる小論文での審査が一般的で、日本のような大学、学部ごとの試験を一斉にやってペーパーテストの点数で合否を判定することはしない。そこが日本との大きな違い。なので高校のうちにうけるSATの点数をできるだけ上げておき(未確認だけど複数回受験が可能な模様)、その点数をもってエッセイで自分をアピールするのがこちらの高校生の受験対策。さらに、たぶん高校からの推薦状(recommendation)も重要で、どれだけクラブを頑張ったか、地域(community)にかかわるプログラムに参加したかなどが問われる。なので、先週のようにボランティア活動等への積極的参加が問われる。今回のP-SATはpreの意味か確認していないが1年前に行われるもの。今回の受験はどのようなレベルの問題でなにが求められるかを理解するために準備不足を承知での受験だったが結果はいかに?
試験が終わった後、午後からは再度日本人学校に向かう。日本人学校はたまたま授業参観だったため、最後の授業を中学部、高校部の両方で参観。日本人学校なので日本の学校と同じような授業の進め方かとおもいきやそれのmixで和気あいあいと授業は進む。日本のようにしーーーーーーーんと静まり返った教室で先生が教科書と黒板をみながら進める授業ではなく、子どもたちに一つづつ問題を理解したかを確認しながら数学の問題を解いたり、子供同士で教え合ったりと興味ふかい授業だった。
子どもたちは不思議なことにこの日本人学校は楽しいようだがエネルギーもかなり使うようで帰りの車はまず意識を失ってぐっすり寝込んで家に帰ることになる。あの学校は、大学までアメリカでいく子どもと日本の大学を目指す子が混ざっているのでそのへんもdiversityを見ることができていいのかもしれない。

10月17日 初ピザ

こちらにきて初ビザ。ドライイーストを使って作るものなのでお手軽ピザなのだが、まぁまぁの出来。ただ大問題が発覚。オーブンの性能が低すぎる。備え付けのレンジに付いているオーブンは温度が華氏で500度(摂氏で250度ちょっと)まで上がはずだが、まったくその温度に上がっているように見えない。日本で使っていたオーブンはガスオーブンを使っており、それは摂氏で300度まで上がった。さらにコンベクション(中の熱気をファンでかき混ぜる)機能がついていたので短い時間で表面を高温で焼き上げることが出来た。多少は覚悟していたが、5分もあれば過去に焼きあげることができたものが15分位かけてやっと出来上がる感じ。焦げ目も多少はつくが、チーズを焦がすことろまでは及ばない。
アメリカの家のキッチンは両極端で、料理をする過程のキッチンはプロ用の機械などが入っており、高度な料理をつくることができる。しかし、そこそこの家では電子レンジで温める、お湯をわかすくらいしかしない設計なのか非常に設備が貧弱。その違いはたぶん換気扇の性能を見ればだいたい分かる。まじめに料理をすることを想定したキッチンは換気扇がしっかりしている。しかし、そうでない場合は、換気扇を回してもレンジから上がる空気を半分も吸い取ることができない場合がある。残念ながら現在の住まいはどちらもほぼ失格状態なので次の場所を選択、またはデザインするときにいい勉強になるとおもって我慢の日々が続く。
外は徐々に秋の風景に変わってきた。

10月16日 あたらしい製品

appleが新しい製品をいろいろと出してきた。こっちに来て携帯もiphoneになったので、すべてのデバイスがapple製品になりつつある。仕事にそれらを使っているため、新しいOSがでたからといってホイホイとそれにつられていると痛い目にある。特に、こちらでは通信手段が適切にタイムリーに取れないと仕事に多大なる影響が出る。私の今の環境は、仕事で接点のある人々の9割はどこか世界の遠い場所にいておなじ職場にいるメンバーはそれほど多くない。その仕事の仕方を支えるのがコンピュータと携帯電話などの通信デバイス。今回のiphoneのOSはどうも重大な問題があったようで公開後1週間で次のバージョンが公開されるという珍しい事態に。そういう危険性を避けるために仕事で使っているデバイスはある程度時間をおいてからでなければ最新のOSには変更しない。これはPCについても同じ。ある程度使いこなされたものは落とし穴も少ない。新しいものを使いたくないわけではないが、必要性がなければわざわざ手を出す必要もない。ただやっぱり新しもの好きの気持ちもあるのでこういう画面が出てくると上げてみたいなと思ってしまう。8.0xはあまり意味なさそうなので、8.1となってから上げてみようか。

10月15日 フルマラソンその後

フルマラソンを走って約10日。歩いたり普通に生活するには全く支障がない状態まで数日で復帰。そう思って先週末に近所を走ろうとしたら2km付近で膝の痛みが戻ってしまし、大事を取ってそのまま引き返した。この日も大丈夫かなと走り始めたが今度は3kmを超えたあたりでやっぱりまだだめ。たぶん膝の中の骨と骨を繋ぐ部分の軟骨などの部分がダメージを受けているものと思われる。いつもだとループを書くコースだがまだループを閉じられない。いつになったら復帰できるのだろう。
さて、この日は新しい食料品店で食材を調達。目的はパンやピザを作るためにイーストが欲しかった。日本ではドライイーストと生のイーストの両方を使っていたが、こちらでどんなものが手に入るのか調べていなかったので、この日は会社からの帰りにその手の食料品店で物色。まずはイーストの前にそのような目的に適した小麦粉を探す。いろいろな変わった食材を扱う店でも、粉の種類はたかが知れている。日本では、富澤商店が徒歩圏内にあったため、そこで各種イースト、小麦粉を変えたがまだこちらではそれに比する店に出会えていない。たぶん、あるのだろうがまだどうやって探していいのかもわからないので、まだすこし時間がかかりそう。

2014年10月15日水曜日

10月14日 牛乳

前にも書いたかもしれないが、アメリカで美味しい牛乳に巡りあえていない。理由はスーパーで売られている牛乳は、non-fatかlow-fatでwhole milk と書かれていても、なんだか水で薄めているようで味気ない。料理やコーヒーに入れるのであれば我慢するが好んでそのまま飲むことはなくなってしまった。日本で買っていたものは普通の牛乳で成分無調整と呼ばれるもの。脂肪分は3%をゆうに超えていたが、こちらにはそういうものが市場に出回っていない。こちらに来る前は日本で言う紀伊國屋のようなスーパーに行けば手に入るだろうと思っていたが、そうでもなくいままでなんとなく我慢してここまで来てしまった。
ところが、数週間前に食のことではいろいろと詳しい話をできるこちらの知人に牧場で直接牛乳を買うことができて半ガロンで3USDなので日本でのコストとほぼ変わらない単価で買えることを教えてもらい、この日に一緒に買いに行くことになった。
牧場の場所はいつも通勤で通っている場所のすぐ近くだったが、この日はそこに向かい道が渋滞しているとのことで(そこを事前にチェックするところがその知人のすごいところ)、ちょっと回り道をしたらもう景色が違う。1本道が違うだけでこれだけ違うのかと感心しつつ牧場によらせてもらい、試しに牛乳一瓶と卵を6個購入。それで合計5USD。新鮮な朝取りの卵なようなのでとても美味しいとのこと。たぶんあっという間に亡くなってしまうのだろう。牛乳は素朴な味で日本で飲んでいたものにかなり近く、さらにちょっと濃い感じ。表面にはすこし脂肪分が浮いているのがわかる。大事に飲まなければいけないが、どうも1日持つか持たないかのペースで無くなってしまった。ちなみにこの牧場はkickstarterでこういうビジネスを始めた模様。牧場までの道の景色はこんな感じ。これらの写真は次の日の朝に撮影。


2014年10月14日火曜日

10月13日 遅刻欠席

良くも悪くもこちらの学校のIT化は日本に比べて10年とは言わないまでもかなり進んでいる。学校ごとにではなく、School Districtで全体のシステムを組んで学区内の学校にシステムを提供している。2000年台の前半に政府のIT関連目標に先生たちがコンピュータを使えるようにすることが重要な目標と挙げられたが、いまだに業務として使えるようになっているかというとかなり怪しいのではないだろうか。
こちらに来て驚くのは、教育に関してのプロセスの透明性、保護者、コミュニティの参加を積極的に即す点にある。例えば、生徒の情報は全てオンライン化されており、教師は生徒の情報を全てコンピュータを通して管理している。もちろん、オンライン化されているので保護者もほぼ同時にその情報にアクセスできる手段が提供されている。例えば、成績。中学校は学期の中間に生徒の成績の中間報告を保護者にする。日本であれば担任が簡単な成績評価何かを封筒に入れて生徒に持たせるか郵送するのが想像できる範囲。ところが、こちらではまず成績が科目ごとに先生がシステムに入力するとそれが登録された保護者のメールアドレスに送られてくる。メールは複数登録できるので、母親、父親、会社のメール、個人にメールすべて登録したものには届く。もしプライバシーのことが気になるから送りたくなければ登録しなければいい。そして、メールで来たものはもちろんwebから確認することもできる。これだけのことを先生は日常的に扱わなければならないことを考えると、日本の先生はたぶんついてけないのではないかと心配になる。
実は、この日にはnegativeな面をひとつ見ることになった。前にも書いたかもしれないが、無断の遅刻、欠席をすると、それがシステムに入力された瞬間に自動的に保護者へそれが連絡されることになっている。それを保護者が選択をすればだが。私はその選択をしていたので、この日はメールで2回、さらに自動音声電話システムにより1回電話がかかってきて、息子が無断で遅刻したので把握していなければ息子から事情を聞くようにとのアドバイスが来る。今回も、授業にちゃんといて、出席確認をした時に返事をしたのに、なぜか欠席扱いになったのが事実のようで後日修正がされたが、電話までかかってくるとこっちもすこし焦る。
ITの利活用は慣れていないといろいろと課題もあるが、このような活用をすることで問題を早く見つけることや、子供のためになる面が多いことを考えると、日本でも積極的に広めるべきだと思うがそれがうまくいかないのが日本の課題。このままではいままでのような教育システムが疲弊していくことが見えているのでどこかで大きく変化をさせないと行けないのだが、なにか重大が事故や問題が起こるまでは変化できないのだろうか。

10月12日 Californiaから来客あり

朝は、日本商工会議所が主催する地元でのボランティア活動。Hillsboroの公園にてウッドチップを公園内で遊具の周りが安全になるように撒くのと、その他の場所では木々の根の保護のために撒く手伝いを午前中をかけて行った。こちらの学校では地域の活動に貢献することが求められており、場合によっては単位を取るためにそのような校外での活動が必要となる場合がある。そのためか、商工会が日本の子供たちにそのようなチャンスを提供しつつ、たぶん地域への貢献、商工会の中の日本人の輪を広げるなど多面的な目的で行われていると思う。これに参加した子供たちは希望をすれば、公園を管理するHillsboro市から、公式のvolunteer活動のcertificateがもらえる。そこには、日付、担当者、そして貢献した時間が記載されており、たぶん学校に持っていけば単位認定に必要なこどもは必要な時間数を蓄積してくことになるのだろう。写真でも分かる通り、かなりの量のチップが公園内にすでに運び込まれており、それをネコにシャベルやその他の道具を使って積み込み必要な場所に運び、均すという結構な労働で大人から子供までが半日びっちりかけて貢献することができた。
昼食は、昨晩あったシアトルから来ていた夫婦に加え、なんとベイエリアから私に会いにもう一家族が車で着てくれていたので、一緒に近所のレストランにて食事をする。シアトルからの家族はUniversity of WashingtonのPostDocとして来ている研究員、Californiaから来てくれたのは、慶應での私の授業を手伝ってくれた当時の学生でMITを卒業してこちらで就職している。みんな日本では普段聞くことがないような貴重なキャリアの持ち主で3家族にて苦労と楽しい経験についていろいろと話すことができた。新しく車を買ったばかりだからということもあるけれど、車でベイエリアから上がってきた彼らのバイタリティには驚いた。またぜひ3家族で会いたいねといって日曜日は終了。みな無事に家には辿りつけた模様。楽しい週末だった。

10月11日   久しぶりにダウンタウン

いつもの土曜日は朝から子供たちを日本人学校のためのスクールバス乗車地点まで送ることから始まる。そこからの時間の使い方が難しく、帰ってきて子供がいないうちに何か事を済ませようと細々なことをしているうちにあっという間に午前中は終わってしまう。午後4時に子供たちを学校に迎えに行くことを考え、必要な週末の買い物を子供を拾う前か、後にすることになる。今回は、4人で買い物をして4人分の時間を使うのは無駄との判断から、学校に行きながら必要な場所で買い物をして、子供をpick upしたらそのまま家に戻ることにする。今回は料理用の日本酒を買うことがメインのミッションであとは必要な野菜その他を購入。日本酒は1.5l(日本の一升瓶はこちらはなくて、それに近いマグナムボトルで現地産の日本酒は売られている。これに実は今回はじめて気づいた)が8USDと格安だったためあっけなく決まって、あとはお米を買って次に移動。最近野菜は韓国食材を扱うお店に質と選択肢の点から軍配が上がりそちらを利用している。
子供たちはキムチを好んでおり、本格派のキムチが適正な値段で豊富な種類で手に入る。さらに、日本のパン屋さんにちかいデニッシュや惣菜パンが手に入るのでパンもこちらで購入。この写真はキムチのまとめ売り。1ポンド約1USDなのだが日本でのまとめ売りとどのくらい値段が違うのだろう。この店はアジア料理屋などを相手にしているのか、それとも韓国系の人々は家で漬物をするからか、大根、白菜、その他野菜を店で箱売りしている。日本人の知人の情報では刺身用のお魚もこの店で買ったほうがちょっと安く手に入るらしい。
夜は、シアトルから来ていた知人に会いに久しぶりにダウンタウンへ。Henry'sにてビールとちょっとした食事をして戻ってきた。

2014年10月11日土曜日

10月10日 元体育の日

日本にとっては天気が良くなる特異日と言われる10月10日。東京オリンピックの開会式かな?こちらは徐々に冬に向けて天気が変わってきた。朝方は曇りや雲が多い中、午後に向けて雲が切れてくるのが通常のパターン。今朝はなんと濃霧。私の住む丘の上ではほとんどかかっていなかった霧が会社に近づくと霧が濃くなり前の車が見えにくくなるくらいの状況。いつもは朝からトレーニングでぶんぶん飛んでいるヘリコプター、軽飛行機も飛べない状態。でも午後にはしっかり晴れてきた。

昼食時に会社の同僚といろいろとオレゴンでの食材の話を聞くことができた。ここでは果物が豊富でこれからりんごが収穫の時期で蜜の入ったりんごを自分でもぎに行くこともできるよう。今住んでいる家の庭にもりんごの木があり、庭にはりんごがぼとぼとと落ちている。残念ながらオーナーが夏前に防虫に対応をしなかったため、今年は食べられるものではないのでそのまま落ちるに任せている。こちらではキノコ狩りが盛んと聞いていたが、どうもベトナム人、韓国人、ロシア人が競って松茸を探しに山に入っているらしい。話によると彼らは商売のために入っており、かなりの規模だとのこと。先日は、あるアジアスーパーで松茸を買ったが1ポンド40USD程度でアメリカ産であればそのくらいの値段だそうだ。日本の値段を全く知らないので比較のしようがないがこちらでも松茸の土瓶蒸しをやろうと思えばできるようだ。

秋になって、日本の秋の食材の話題をそこここで見るが、こちらでどうしても手にはいらないのがサンマ。これだけはこちらの海にはいないようで、冷凍の開きになったものしか手にはいらない。これがちょっと残念。

2014年10月10日金曜日

10月9日 ESL Night

本日は、娘の日暮れ高校にてESL Nightと呼ばれるイベント。高校生にとってはパーティー。パーティーと言っても、先生がピザとケーキをとってくれて、それを食べながらESL(English as Second Language) classの生徒全員とその家族が学校のカフェテリアに集まって親交を深めるというもので。学校は参加者のためにわざわざ通訳まで用意をしてくれていた。結果的に私達は通訳は必要としなかったが、現地で40年を過ごした日本の方といろいろと昔の話などをできたので、それはそれで価値があった。

内容は、各国から集まる生徒、関係者がその国を代表する出し物を披露する。披露された出し物はゆうに10は超えたと思う。高校生がやるから恥ずかしがりながらやるものからプロ並みのものまで多様だったが、みんな一生懸命やっているのでとてもいいイベントだと感じた。多分、これは学校の恒例行事でESLの先生だけが企画しているのではなく、広くESLの生徒に触れる先生、学校関係者も招き、その家族も受け入れることでその生徒の成功につなげようとしているのだろうと見た。さらに、この学校の歴史は長いので、diversityの重要性を全面に出して、出し物と出し物の間には生徒による司会がいろいろな有名人が語ったdiversityを支えるコメントを紹介したりするのはとてもいいものだと感じる。この会にて感じたのは、子供たちだけではなく、私自身もこちらにおける生活は、「日本人」という見えない看板を背負って常にいることになり、自分たちの行動が日本を代表しているのだということに気付いた。「XX人はYY」という会話をしがちだが、「XX人」を代表するのは誰なのか、そしてそのperceptionは正しいものなのか、こちらに来てそういうことをよく考えるようになった。そんなことに気づかせてもらえる貴重な会に参加することができた。
写真は、この会の酉を務めたAztec danceを踊ったメンバー。すごい迫力と民族衣装で素晴らしい演技だった。

2014年10月9日木曜日

10月8日 テレビのある生活

前にも書いたが、日本にいた時を含めて過去10年以上私はテレビから離れた生活をしていた。多摩に新しい家を買った時に地上波はVHFからUHFに変わり、アナログからデジタルへ移行する時期が見えていたのでアンテナを上げなかった。その当時はまだ衛星の会社にいたので衛星のアンテナはあげて、CS放送は見られる環境だったが地上波結局あの家では見なかった。今回アメリカに来ることになり、テレビは周波数の問題もあるので日本から持ってきても意味が無い。そもそも日本で処分したテレビはなんとブラウン管のNECパラボーラ。NECがテレビを作っていたのを記憶している人は少ないのではないだろうか。
こちらでの生活では新聞、テレビがないと外からの情報は家族にほとんどはいらない。日本の新聞を取ろうよと言われているが、今までとっていた新聞が信頼を損なう状態なので、この状態で月に60USDも出して購読を始めるのが癪でまだ契約をしていない。ただ、子供たちに日本語を読むチャンスを与える意味では重要だと思っているので遠からず一度はとってみようかと思う。
テレビの話にもどると、今回巷では4kと呼ばれる新方式のテレビが徐々に市場に広がり始めた。3Dは出始めた時に、そう遠からず昔の横長テレビ同様なくなるだろうと思っていたら案の定3Dを全面に押すテレビはなくなった。しかし、4kはたぶんしばらくは持つだろうとの予想から通常のHDテレビではなく4kを今回は買ってみた。まだ4kのコンテンツを持っていないので楽しむことはできないが、ディスプレイ自体は非常にきれいなのでかなり期待をしている。さらにおもしろいものを今回は購入。いままでサラウンドというと、視聴場所の後ろや天井にスピーカーを設置しなければならなかったが、いまはDSPで反射音を最初から作ってしまうことで全面だけのスピーカーで擬似的サラウンドをつくれるようになったらしい。そのスピーカとテレビのセットが今週の始めに到着。この2日はリビングを片付けてテレビを設置、スピーカーも設置、いままでのPCなどをちょっと整理していろいろ工夫を続けている。
常にテレビが付いている家ではないので、利用時間は1日に数十分しかないかもしれないがいろいろ発見がありおもしろい。ちなみに、日本の放送をこちらで見ると追加で25USDくらいかかる。その価値があるかまだわからないので契約はしていない。

2014年10月7日火曜日

10月7日 深夜ラジオ最高

昼間に自宅で仕事をしているときは、BGMに日本のラジオを最近流している。こちらの朝は日本の大体夜の11時くらいとなる。そこから午前中は日本の深夜番組となるのだが、久しぶりに今日聞いているととても面白い番組に偶然あたった。たまたまなので番組名などを控えていないが、日本の日付が変わったことのFM横浜では80年台の曲を平成生まれのDJが紹介をする番組。そこでかかっていたのは山下達郎。まさにいま車に乗っているテープに入っている曲がラジオから流れてきた。その曲を聞いたリスナーかリクエストをした人の手紙を読み上げる。曰く「この局は自分が初めて車を買った時にテープに入れて首都高を走った時に曲。車の匂い、感覚が蘇る」とのこと。そのあと、FM東京に番組を変えると流れてきたのはアニメのテーマ曲。「巨人の星」「エースを狙え」「アタックNo.1」など根性スポーツもの。どれも歌詞を口ずさめる。FM深夜放送バンザイ!

10月6日 健康診断

フルマラソンあけて一日目。相変わらず膝の調子は良くなく、階段の昇り降りが非常に不自由。昨日からの膝の故障に加えてこの朝からは筋肉痛が加わる。でも倒れているわけには行かないので出社。これが徒歩と電車の通勤だったら多分家で仕事をしていたと思う。多摩の家から駅までは20分の徒歩。今日は、会社の駐車場からオフィスまでが遠い遠い。この日は違う部署との打ち合わせが2件入っていたために、動かない体に鞭打って出社。足以外の主要な機能に問題はないのでゆっくり歩けばなんとかなる。オフィスの中で朝はいつも使っている階段を使わずにアメリカに来て初めてエレベータを利用。しかし、それを忘れて午後に階段をつかってフロアを降りようとして体が不自由なことに気づく。健康は失って初めて価値に気づくとはこのことで、ちょっとした事でどれだけのダメージを自分の行動う範囲に与えるかを身を持って知ることになる。
実は、この日健康診断を申し込んでいた。こちらでの健康診断は日本とは全く違い、健康保険会社が勧める最低限のものだけを受けることになる。受けなくても日本の様になにかペナルティが来ることもない。検査内容は、体重、身長、血液検査のみ。尿検査、超音波、胸部X線、超音波、バリウムなどは、何らかの予兆がなければ検査はしない。すなわち余計な負担を患者にかけない。もし検査が必要な場合は結果的に患者が周りまわて負担することになるので。難しいのは、どこまでやれば予防医学的に十分かで、いまのアメリカの医療保険制度では、医者側になぜその検査をしたかの説明責任があるため、医師は必要最低限のものしかやろうとはしない。薬も必要最低限しか処方しない。患者が希望すれば治療も、処方もしやすくなるので、薬の広告で「ask your doctor」というのはこのため。いずれにしても初めての経験なのでどこまでやるのかと思い、今回は受けてきた。もしかすると、この血液検査の結果次第で次の検査を受けろという指示が出るのかもしれない。日本とまた違う興味ふかい点は、予防に関する医療行為に対しては医療保険会社がその費用を負担するというもの。なので、この検査は保険で100%まかなわれ、私のお財布から出て行くお金は全くない。さらに、ある決まった期日までに検査を終えると(1年に一度検査を受けると)、年に250USDのお金が医療保険の口座に振り込まれるというもの。これは、医療行為で支出が必要となった時につかえる費用で患者としては検査を受けるmotivationとなる。マラソンの次の日の血液検査がどういう結果かは興味深いので、結果が帰ってきた段階でなにかあればここに記したいと思う。

10月5日 とうとう来たこの日が

人生初めてのフルマラソン。42.195kmはマイルでは23.2mileらしい。色々なところに23.2という数字が書かれていた。
スタートは朝の7時。大会の案内では、6時前には駐車場が混み始めるので5時半過ぎに入れとアドバイスがあった。6時前に街の中で一番大きいと案内された駐車場に車を入れるが、すでにかなりの渋滞。運良く渋滞をしていない通路から信号を介して入ったため待たされることはなかったが、私の前の車はRVにさらにカヌーを運ぶアタッチメントをつけているため駐車場の建物に入れず他の場所を探しに行った。これからで間に合うのだろうか。
今回の作戦は、過去2回のハーフマラソンの結果と、最近のペースを考慮するとたぶん4時間を目標にできると踏んでいたので、付き添いで来てもらった家族には4時間を適当にダウンタウンで待っていてほしいと依頼をして来てもらった。たぶんfood cartなどがいっぱいいるだろうと踏んだが10時まではStarbucksしかなかった様で申し訳ないことをした。
6時過ぎにスタートの位置について、すこし食べ物を胃に入れて準備を進める。今年の参加者は1.3万人だそうで30カ国からの参加者とのこと。その参加者がゴールする予想時間に応じてAからHだったかのグループにわけられてスタートをする。私は4時間のチームでDが割り当てられた。それぞれのグループはAが一番スタートに近い位置、Bがそのつぎのように順番にスタート位置にむかえるように綺麗にブロックがアサインされ整然とスタート時間の少し前になると移動が指示された。日本で参加した大会は順番に並べられるがあまり整然と動く余地はなく、スタートに向かってのろのろと進み、スタートを過ぎてもなんとなくのろのろが続いたが、今回のは、ブロックごとに適切な人数のためかブロックごとに「ヨーイドン!」で一斉にスタートでき、コースも広いためかすぐに自分のペースで走ることができた。
コースで感じたことを書くといくらでも書けるが、事前に教えられていた30kmを過ぎてからの壁というのが、壁なのかなんだか分からないが、非常にきつかった。ハーフはいまでは、1時間50分を切れるくらいのペースで走るが、20kmを過ぎてからの登りがきついこときついこと。全然足が前に出ない、というか体を持ち上げていけない。実は30km近辺までは3時間50分でゴールするペースランナーと一緒に走っていたが、この登りでそこまでのペースが完全に乱れ、それまでの1kmを5:30弱で走るペースから6分にまで落ち込みこれが最後まで戻すことができなかった。エネルギー切れと言われるかもしれないが、それなりに途中で補給をしたが足の動きは戻らず、さらに膝の障害とが重なり30kmからの戻りは本当に苦しかった。残り5km(すなわり残り30分くらい)までは、4:00のペースランナーについて走っていたが、これも最後の登りですこし離されてしまい、全体からすれば微妙な差となるが1分ちょっと4時間を超える結果となってしまった。
ゴールしてからは、完走のメダル、コート、バラの花、その他色々、飲料の補給、食べ物、アイスいっぱいあったがゴールエリアを出るともらえないので、そこでできるだけ補給。待ってくれている息子のところに早く行きたかったが膝が動かないため一旦座って小休止。さすがに4時間走って戻ってきたばかりからか、あまり真っ直ぐにあるけど救護所の人とすれ違った時に「あんた大丈夫?」と目で聞かれたが、目で大丈夫と返して前進。
1.3万人がゴールした後に家族、知り合いと合う場所は、meet and greetだったか道路3ブロック分を使って場所が指定されている。その3ブロックでどうやって息子を見つけようかと思っていたら、親切なことにアルファベットでreunion A-Cなどとポールが建っている。息子がreunionの意味を知っているか不思議に思いつつTのポールに向かうと、なんと息子はそこに立っていた。すごい、reunionの意味知ってたの?と聞くと、たぶんそうだと思ったとのこと。母親と娘は別の用事で移動してしまったため彼はそこで1時間待っていた。いやぁありがたい。彼にはおみやげで持ってきた飲み物を一つ渡して縁石でやっと座ってくつろぐことができた。
結果は目標の4時間をあと僅かだけれども切ることができなかったが、ちょっとした工夫であとはなんとかなると考えれば目標は95%は達成した気がする。心配は膝の具合だが、曲げて体重を載せることができなくなってしまった。そのおかげで、息子と会った場所から駐車場までの移動が大変大変。息子にはちょっと早いが(年取ったらたぶん世話になると思うが)肩借りるぞと、歩くときに肩を借りて交差点を渡ったりした。この膝ではもうフルは無理かもしれないと思うほどのダメージで一度医者に見てもらうことが必要。まだまだ書くべきことは色々あるが、結果は非常にいい経験ができた。これで今年の大きな目標の一つをまた達成できた。協力してくれた皆様ありがとう。

10月4日 ワインpick up

毎週土曜日は日本人学校。今日は、そのついでにすこし足を伸ばしてwine countryまで荷物を取りに行く。まずは1件目は知人のワイナリー。ここは仕事の同僚がside businessでワイナリーを経営しており、ちょうどharvest season(収穫時期)なので一度仕込みを見せてもらおうと思っていたところ忙しいならOKをくれたので訪問した。ついでに彼の住所をつかって受け取ってもらっていたkanoと呼ばれる教育用コンピュータをpick up。彼のワイナリーは最近評価が上がってきているようでいろいろな雑誌で高評価を得ている模様。日本でのdistributorを探していたのでもしいいところがあれば連絡をいただければつなぎます。

その次は、3年ほど前からこのワイナリーの会員になっているSoter Vinyards。ここのAnthony SoterはCaliforniaでEtudeの名で知られるPinot Noirを作っていたが10年弱ほど前にEtudeのブランドとともにすべてを売却してオレゴンに土地を買い、このワイナリーを新たにつくった。それに気付いたのが3年ほど前で、ほとんど現地では看板も出さずに好きな人だけを相手にワインを作っている。予約した人だけを受け入れているワイナリーで、そのクラブの会員になると半年ごとに6本のワインを会員価格で買える。今回の秋の文を含めて過去1年分を預かってもらっていたため、合計で18本3箱を持って帰ってくることになった。土曜日はちょうど秋のワインpick up dateとなっており、クラブメンバーは試飲とともに今年のワインのtastingをさせてもらえる。先にも書いたとおり通常は休日でも車が1台来るか来ないかのワイナリーだが、この日だけは大繁盛。見たことのない数の車が訪問して新しいワインを味わっていた。

PCを受け取り、ワインも手に入れてあとは学校に向かう。自宅、ワイナリー1,ワイナリー2、学校、自宅がそれぞれほぼ30分程度でつなげる位置関係にあるためお昼に家を出ても十分4時の子供たちのpick upに間に合うことができる。ポートランドはこの様に街と自然が非常に近接しているためとても幸せな環境にいると思う。



Raputar ridge, Soter, 日本人学校、H-mart

2014年10月6日月曜日

10月3日 Bib pickup

実は日曜日(5日)に人生初マラソンに挑戦の予定。そのために、この日にBib(日本語でゼッケン)を引き取りにダウンタウンまで行ってきた。この写真の赤いテープは剥がして、靴の紐の部分に巻きつけるとRFIDのタグとして機能して計時を正確にしてくれるもの。走るときはこれはなくなるのでなにかを隠しているわけではない。かなりよく出来たBibで、緊急連絡先、住所、年齢、ゴールした後でもらうTシャツのサイズなどが記載されている。裏には、スタート時の地図、さらに自分が必要に応じて記入できる緊急連絡先もある。会場で安全ピンもボランティアのおばぁちゃんがくれようとしたけど、どうみても日本の幼稚園の名札に使うサイズ(長さ4-5cm、こっちはインチだから2インチか?)でそれを4つもつけて走りたくないので丁寧に遠慮して、いままで日本で走るときにもらった小さなもの(1cmくらい)を本番では使うことにする。
ゼッケンを渡す場は、ホテルのボールルームで併設でスポーツ関連企業が展示、販売をしていた。さらに医療機関は医療情報の提供も。一箇所、その場で超音波を使って膝を見てくれるサービスが有ったので1時間待ちだったが申し込んで診断を受けてくる。まさか、膝までズボンを巻き上げることなど予想もしていなかったのでGパンでいってしまい、膝を出すのに一苦労したが、一応診断はしてもらえた。加齢による軟骨の現象が原因と思われが、大きな問題はないので楽しんで走ってらっしゃいというのがアドバイス。これで、かなり心配だった膝の問題は忘れて走ることに専念できそう。このアドバイスでかなりやる気が出てきたのは事実。さて結果はいかに。

10月2日 TGR movie tour in Portland

ここ数年スキーの映画を買い続けている。DVDで買えるのかもしれないが、オンラインで毎年秋に発売になると買っている。そのプロダクションがTeton Gravity Researchというグループで訳してTGRと呼ばれる。TGRはスキー、スノーボードそして今年からはMTBの映画も撮り始めて公開した。内容は、普通では降りることがないような斜面を登り、そして滑降するというのが大体のストーリー。今年の映画の試写会を彼らは、主要な都市で開催をしており、なんとポートランドにも彼らが来たのである。日本にいた時は、いいなぁ程度に思っていたが、せっかく街まで来るのならばと前売りのチケットを買い、6:30からの上映に向けてダウンタウンに向かった。
この試乗会は、スキー関係のメーカー数社と地元のスポーツ店がスポンサーとなり場所を借りて行っているが入場料は$15とほかの映画よりはすこし高めかもしれない。しかし、チケットがその後リフト券に交換できたりとメリットも有る。
映画を見ての感想は、これは行くべき。いままで、PCやタブレットで見ていたが、プロ用の機器で投影されるスクリーンの映像は迫力そのもの。スキーヤーがヘルメットに付けたカメラで撮影した映像はまさにその斜面を自分が滑っているかのような感覚に襲われる。実はスキーに行くとプロジェクターを持って行き宿の部屋に移して合宿中に見たりもしたが、鮮明度などからこちらに軍配が上がる。この映画に出演しているスキーヤーにも実際に会うことができ、稀有な経験をした夜だった。

10月1日 Back to school night

とうとう10月に突入。今日は、午後から子供たちを小児科につ入れていって予防接種をすることになっている。その前に会社で、日本から研修旅行に来ている高校生30人位を相手に国外で仕事をすることとはというテーマで講演を依頼されたために話をした。文科省が理数教育を推進するために始めたSuper Science Highschoolという枠をもらえた私立学校からの訪問で、みなまじめに一生懸命英語の説明(私の前の説明)を聴こうとするが眠さには勝てない模様。英語の話が眠くなるのは当たり前なので、私は日本語で話をし始めたところ、そんなことを予想していなかったので驚いた(日本人が出てくるとは思わなかった)とのこと。質問があれば先にそれを聞いて講演の内容に盛り込むといったが結局予想していなかったとの理由から質問はなし。私の話は、一生の間に取り組めるわくわくするものを見つけろというメッセージ。高校生も最後は理解をしてくれたようで、帰ってからの行動にどう影響するかをぜひ見てみたいと思った。最後のメッセージは何のために生きるのかという問で、人間と動物の差を考えてもらい、そこからなにをすべきかという話をしてBPの最後のメッセージで締めくくった。このメッセージ知ってる人?と聞いたら、いましたいました、ちゃんと説明できるスカウトが。詳しくは彼に聞いてね、といって私の講演は終わった。
その後は、予防注射5本、そして高校の保護者説明会と続き長ーい一日となった。

9月30日 火曜日

秋になって雨が多くなったかとおもいきや天気は安定して晴れが続いている。この週もしばらくは好天が続くとの予報。こちらは、日本と違い土地が広く、複雑な海流の影響も受けないため、太平洋からの風がどう吹くか次第で天気が決まる。天気の変化も日本に比べれが長い。そのようなわけで気象予報はあまり外れることはない。ただし、地形の影響を受ける局地的な変化はあるため、車で20分のオフィスと今住んでいる場所で天気が違うなどということも普通にある。
今日で9月は終了。会社は第三四半期が終わり、最後の四半期へと入っていく。そんなわけで、社内でも目標設定のやり直しやら、来年に向けての計画が動き始めている。
今週はいろいろとやるべきことが多い週となりそう。家族にとってはアメリカにきて3ヶ月が経ち、そろそろお客さん気分を抜いてペースを掴まなければいけない時期に入りつつある。山の上では雪の便りもチラホラと。ここからあっという間に年末に突入しそうな気配がしてきた。