2015年8月25日火曜日
8月15日 70年目の夏
戦争が終わってから70年。切れ目の歳なのでいろいろとそれぞれの組織が記念行事や文書を発行する。おりからも国会での議論もありいろいろな見方が過去の事実に対してされてみたり、過去の70年を振り返るチャンスをもたらしている。ぜひ、日本の人々には広い視野を持ってなにが大事なのかを見てもらいたいと思う。外に出て1年だが、国内では見られない視点を多くもらったと思う。これは子供たちもしかりで、いい経験をさせてもらった。狭い視野と限られた情報を鵜呑みにすると70年前、80年前、90年前と同じ過ちを起こす危険性がとても高い。どうも多くの人々があの過ちは一部の人達が国民の手の届かないところで起こしたと思いたがっているようにみえる。しかし、報道機関が自らの反省をしているように、国民の感情をその方向に煽った報道機関があり、まともな政治に介入した有識者(学術関係者)がおり、それを鵜呑みにした国民がいたのは事実。心の底で疑っていたとしても、それを行動に移せなかった社会の仕組みにも問題があるのかもしれない。とすると、今の状況はその当時とかなり近いのではなかろうか。ぜひ多くの人々に広い視野を持ってもらい、近視眼的なネタに騙されずに本質を見極めた選択をしてもらいたいと思う。
8月14日 自宅で仕事
涼しい場所でネットワークにつなげて仕事をしたいと思うのだが、横浜に出てそういう場所を探そうとすると、今の時期学生が場所を占領しているので見つけづらいことが判明。そこで、回線速度は出ないが借り物のモバイルルーターで仕事をすることにする。数日前から始めた、文章解析、単語解析ツールの応用が結構面白く、いろいろなことができることがわかり、そんなことを始めるとあっという間に時間が経ってしまう。家にずっといると体にわるいので、夕方には泳ぎに行って運動不足を解消。子供たちは夏休みの勉強をしているんだか、遊んでいるのだかわからない状況。最後になってから焦っても遅いとわかっていてもエンジンは掛からない模様。
8月13日 馬
今日は、久しぶりに東京の仲間とあっていろいろと相談事を。どこに行くかを聞かれたが、庶民的な場所で日本食を食べたいといったら、新橋と有楽町の間のガード下で馬肉の専門店に連れて行ってもらうことに。この店会社からこんなに近いのに全く気づくことなく10年ほどを過ごしていたことに気づく。
真偽の程は定かでないが、馬は牛と違って規制されていないからと、レバーの刺し身もだされ馬肉のお刺身オンパレード。新橋のガード下なのでどんな場所かは想像に固くなかったが、食べ物の質は非常に高く感動モノ。久しぶりに日本でこんなのたべた。いい店を教えてもらえたので、ぜひまたこんどまた来てみたいと思う。
真偽の程は定かでないが、馬は牛と違って規制されていないからと、レバーの刺し身もだされ馬肉のお刺身オンパレード。新橋のガード下なのでどんな場所かは想像に固くなかったが、食べ物の質は非常に高く感動モノ。久しぶりに日本でこんなのたべた。いい店を教えてもらえたので、ぜひまたこんどまた来てみたいと思う。
8月12日 東京オフィス
今日から仕事に復帰。久しぶりに東京のオフィスに立ち寄り仕事をはじめてみるが、どうも調子が乗らない。3週間の溜まったメールを処理するだけでも手一杯。数名のメンバーと打ち合わせをちょっとして早々に店じまい。
ちょっとおもしろい仕事に手を出し始めた。それは、山口の現地でISTを対象にとったアンケートの集計。紙でとったアンケートなのだが、殆どをすでに現地でtypeしてもらったのでデジタル処理が簡単にできる。さらに、文章でinputしてもらった内容もちょっとした処理でいろいろな処理ができる。下の画像は、その文章の中で使われる単語を出現頻度でフォントの大きさで表したもの。これを見ると、暑かったのがよく分かるのではなかろうか。
ちょっとおもしろい仕事に手を出し始めた。それは、山口の現地でISTを対象にとったアンケートの集計。紙でとったアンケートなのだが、殆どをすでに現地でtypeしてもらったのでデジタル処理が簡単にできる。さらに、文章でinputしてもらった内容もちょっとした処理でいろいろな処理ができる。下の画像は、その文章の中で使われる単語を出現頻度でフォントの大きさで表したもの。これを見ると、暑かったのがよく分かるのではなかろうか。
8月11日 リハビリ
横浜に戻り、実家の母親と家族4人の生活が始まる。この日は荷物の片付け、その他を行い、体を休める日にすることにする。夕方から横浜に出かけ、今回のWSJを含めこの3年ほどの間にいろいろとお世話になった方に会いにいく。横浜駅の近くの魚の美味しい店に行こうと言われ5時から魚とビールで山口の話題で盛り上がる。彼自身は山口には結局来なかったが、次世代を自然の中で育てるプログラムを独自に進めており、佐久に山小屋を譲りうけそこをNPOで活用しようという計画を進めている。小屋の準備は徐々に進みつつあり、組織もできた。次の来日の際にはまた遊びに行ってみたい。
8月10日 23WSJ L+12 Departure !!
いやぁ、長かった。人生でも一番長いキャンプだった。止まったのはマーキーと呼ばれる大きめのテントだが、毎晩キャンプ用ベット、シュラフの代わりにフリースのブランケットで18日をすごした。総参加者が152カ国から3万4千人だったそうだ。その内の6000人以上のトレーニングに関われたのはいままでの経験の中でも、仕事でもスカウティングでもやったことのないことを実現できたのはとてもいい経験だった。これは買ってもできないことを考えると良いチャンスをもらえたと思っている。あまりにも異なった環境だったので、これから社会に戻って順応するのには少し時間がかかりそうだ。朝の9時過ぎにキャンプサイトを後にして、10時過ぎの飛行機の飛び乗り(予約は12時前後だったが、運良く前の飛行機の乗らせてくれた)、お昼すぎには横浜の実家に帰ることができた。半日の移動で家に帰れる距離にいたというのが家にたどり着いて感じた率直な感想。上の写真はほぼ3週間を過ごした会場のドームが見えたので慌ててとったもの。まだあそこには少なくなっているが本部要員、連盟職員が手週作業をしているのを知っているのでちょっと後ろ髪を引かれるが、ま、十分貢献したでしょう。いい経験をさせてもらいました。
2015年8月24日月曜日
8月9日 23WSJ L+11: break down day
とうとうISTが撤収の日。あれだけ沢山のテントがあったテントサイトが一気に綺麗になり(ゴミ一面の区画もあるが)、急速に撤収が進む。我々は、テントサイトの現状復帰の確認の業務があるため、今日はまだ撤収をできず、撤収していく国の去った後のサイトの点検とゴミ拾いに明け暮れる一日となった。テント撤収の際に、イギリス派遣団に頼み込んで6張りのテント(左の写真)を日本の組織に譲ってもらえる交渉が成立。炎天下の中6張りを3人でたたんで、それをヤマト運輸の出張所まで運んで東京に発送。これはいいテントをもらうことができた。この中に個人用のスペースをつくるテントが入り中では大人が立ち上がれる共有スペースのある長期滞在用のテント。この写真で色が紫色に変わっているが、実は元の色は真ん中あたりにブルーの部分の窓があるがあの色がオリジナルの色。10日も炎天下とホコリにさらされるとこんなふうになるのだろうか。どんどん人が減っていく中、ゴミひろい、片付けと終わりのない撤収作業の一日となった。
8月8日 23WSJ L+10: IST Closing Ceremony
8月7日 23WSJ L+9: Official Closing Ceremony
なんと長かったJamboreeも今日で閉会式。私達は10日までいるのでまだ数日滞在するが早く退場する派遣団はこの日の夜に予定されている閉会式をもって撤収をはじめ明日の朝には撤退を始める模様。振り返ってみると、スカウトたちが入場してからはこれといった天候の崩れもなく、毎日がほぼ快晴。朝にすこし雲があった日もあるが日中はほぼ晴れの日が続いたので参加者は子供の大人も真っ黒に日焼けしている。小さなテントで生活をした子供たちはそれなりに大変だったろうが、これで帰れるのであともうすこし頑張ってもらいたい。閉会式は多くの参加者がアリーナに制服で集まり、次のWSJの会場となる北米チーム(カナダ、アメリカ、メキシコ)に大会記が渡されて、世界連盟理事長からの挨拶があって無事に終了。子供たちがサイトに戻るまでに(なんといっても3万人がアリーナからテントサイトに戻る)交通渋滞(徒歩だが)がおこると言われていただ大きな混乱もなく自分のテントサイトに戻ることができた。さて、大人は子供たちを送り出してからの撤収なのでもうすこし続くが、ここまでくればほぼ8割は終ったも同然。すこし肩の荷が下りた。
2015年8月13日木曜日
8月6日 23WSJ L+8: HR Thank you reception
本当に終わりが近づいてきた。今晩は、HRのISTのみんな(200名を超える)を招いてのreception。receptionといっても出せるものは、アイスクリームとジュース程度。でもそれでもみんな大喜びで、楽しみをわかちあう。若者たちは音楽をかけて踊り出す奴らも。国が違うと反応がほんとうによく違う。左の写真はワタシのチームで働いてくれたメンバーたち。世界中から集ってくれ、ほんとうに色々なideaがでてきてみんなとても役に立ったのではないだろうか。中には警察官や学校の教頭先生がいたり。ぜひまた次の場所で会いましょうといって、いろいろな情報交換をしてこの日は終了。本当に終わりが見えてきた。
8月5日 23WSJ L+7: HR dinner
終わりが見えてきたこともあり、ご苦労さん会に近いイベントが入り始めた。まず最初に、私達Human Resources部のリーダーグループのdinner。まともなご飯は外に行かなければないので、新山口駅前のホテルにある日本料理屋に行くことになった。総勢15名。日本人は5名。残りはイギリス、ドイツ、フィンランド、かな。久しぶりのまともな食事なので美味しい魚でもと思ったが、なにを思ったか外人は魚を食べられないだろう、生魚なんてもってのほか、という意見でなんと頼まれたものは、和牛の石焼ステーキ、唐揚げ、サラダを数人で共有というもの。そして、寿司はかっぱ巻きだけ!こんな食事は初めて。魚が食べられないメンバーもいるだろうが、イギリスも、ドイツもフィンランドも魚を食べる文化。ダメな人への逃げ道だけ作って、いろいろと折角なので日本の料理を楽しませてあげればいいのにと末席で落語家と愚痴ることになった。予想通り、量が足りなくて彼らは結果的に物足りなかったようだ。日本人でも物足りなかったのだから。。。
8月4日 23WSJ L+6: 夕焼け
天気が良い日が続くため、朝5時に置きて日の出を見て、夕方にはきれいな夕焼けを拝む毎日が続いている。子供たちのサイトは、この写真のように小さめのテントに2−3名が宿泊し、共同生活を30名程を1隊として共同生活をしている。彼らの位置は国旗が上がっている場所で認識ができる。以前はこの国旗が盗まれたり、トラブルのもとになったりしたようで国旗の形容は一律行わないという取り決めだったのがどうも今回はそのルールが撤廃されたようで旗がそこら中に乱立している。どうみるかはそれぞれ個人個人の思いかもしれないが、あげるならもうちょっと綺麗にあげられるように材料を手配してあげればいいのにと思ってします。彼らは工作用に配給された竹を使って上げていると思われ、どこも同じ長さですこしまだった竹に国旗を結びつけている。
8月3日 23WSJ L+5: 後半戦突入
昨日のアリーナショウがジャンボリーの中間地点。今日からは後半戦の一週間。これを乗り切ると会期終了となる。大人も子供も徐々に体力が厳しくなってきて、病院は熱中症や怪我人でいっぱいだとの噂。2年前の国内大会は病院の位置がもうすこし私達のいる場所に近かったが、子供たちの生活エリアに近づけるべきとの指摘から、大人の生活サイトからは2kmくらいはなれた場所に病院が設置されている。病院と言っても巨大テントなのだが。大人が調子が悪くなると自衛隊の大型トラックに赤十字がついた野戦救急車のような車が救護所に横付けされて人が送られていく。様態が悪いと10分後くらいに救急車の音がしてほんとの病院送りになる。どのくらいの人が送られたのかは定かではないが夜になると救急車の音が時々聞こえる。最初は、いちいち気にしていたが、この時期くらいになるとまたか定度にしか気にならなくなってしまった。幸いなことにいままでに重大な傷病者はでていないようなのがせめてもの救い。
8月2日23WSJ L+4: Arena show
巷は日曜日。ここにいると全くそんな曜日感覚はなくなってしまう。ちょうどここに着て10日目のようだ。午前中は昔の言葉で言う宗教儀礼。全体で宗派を超えての朝の集いの後は1時間程度各宗派での祈りの時間が設けられる。カトリックの部門は一番参加者が多いためか、ドームを利用しての記念ミサ。なんと今回はローマ法王からのメッセージをバチカンの大使が直々に持ってきてくれた。英語でのメッセージだったため、それを直前に即席で日本語に訳して会場の日本人には伝える。それからフランス語での訳文をわれわれと長い付き合いのロワゼール神父がおこないミサは終了。その後は関係者と昼食をとってサイトに戻るとだんだん警備が厳しくなっている。今日はアリーナショウと呼ばれるイベントが用意されており、ゲストは、皇太子、安部総理、野口宇宙飛行士など。制服を着ての参加が求められるので私達はオフィスで待機することにする。そのテントの横を通ったのが写真の車。この後部座席に乗っていたのが皇太子。彼は20年前から毎回ボーイスカウトのイベントには参加してくれて、大昔にはテント泊も一度されている。総理はどうでもいいのだが、皇太子にはみんな拍手を送っていた。
8月1日 23WSJ L+3: セレモニー部訪問
今日から、各部門を訪問してISTがどう機能しているか、期待値に沿っているのか、ISTに対しての問題点はないのかなどの聞き取り調査を開始。暑い中、20分以上歩いてサイトの中を西から東のはじまであるいで全体行事を行うアリーナまで出向く。最初のインタビューはセレモニー部。ここの部長は欲しった仲なので、そこから始められればとおもったが、案の定部長は外出中。たぶん次の日のイベントに係るお客さんを新山口まで迎えに行っているとか。
そこで、部長抜きで全体を見られる班長と、日本人以外のメンバーにはいってもらい小一時間状況の説明、部内の組織構造、その他課題などについて色々と話しを聞く。想像していたよりも反応は実は非常によく、みんな辛い作業の仲良く頑張ってくれているとのこと。大変だから言葉を超えて笑顔でコミュニケーションができるなど心強い反応も。外部とのやりとりが多いこの部署は外的要因で待ち時間が長かったりと難しい面はあるが、そこは工夫と説明で上手く乗り切ってくださいと伝えてインタビュー終了。今回は私以外に2名のイギリス人を連れて行ったので、今後は彼らにこのインタビューを見本にどんどん他の部署にも調査に行ってもらうことにする。上手く進むといいのだが。
そこで、部長抜きで全体を見られる班長と、日本人以外のメンバーにはいってもらい小一時間状況の説明、部内の組織構造、その他課題などについて色々と話しを聞く。想像していたよりも反応は実は非常によく、みんな辛い作業の仲良く頑張ってくれているとのこと。大変だから言葉を超えて笑顔でコミュニケーションができるなど心強い反応も。外部とのやりとりが多いこの部署は外的要因で待ち時間が長かったりと難しい面はあるが、そこは工夫と説明で上手く乗り切ってくださいと伝えてインタビュー終了。今回は私以外に2名のイギリス人を連れて行ったので、今後は彼らにこのインタビューを見本にどんどん他の部署にも調査に行ってもらうことにする。上手く進むといいのだが。
2015年8月11日火曜日
7月31日 23WSJ L+2: メディア
今回の大会は40年ぶりの日本誘致(どこかできいたことがあるような話だが)で、世界中から3万人以上があつまるもの。なので、各メディアもそれぞれいろいろな方法で取材に入っている。今日はたまたまNHKのSNV(衛星中継車)がたまたま入っていたので少し話をしてみた。彼らは、夕方から予定されている山口フェスタ(だったか?)というパレードをニュースで伝えるらしい。NHKは以前のお客さんで横浜の管制センターにいた時にはなんども付き合いがあった関係だったので最近の技術の変化と横浜との関係などを暑い炎天下のなか立ち話をして聞くことができた。車自体は見た目はそれほど変わっておらずたぶん昔のアナログ中継の頃よりもコンパクトにデジタル伝送がされているのではないかという感じだった。それにしても懐かしい車とその中を見ることができた。
7月30日 L+1 大会1日目
大会一日目といっても、こちら側はISTのトレーニングがメインの業務のため急に何かが変わるわけではない。ただ、スカウトたちがサイトに入り、プログラムが実際に動き出したので、プログラムを担当する部署では今日からが本当の始まりでいかに良いプログラムを子供たちに提供するかが彼らの肩にかかっている。この日の午後に入ってきた報告は、3つの部署に係る連携不足による事故があったとのこと。なんとなく予想ができたことなのだが、本部側の理解と現場の日本の関係者の理解、事実との差があると良くないので、日本側の関係者からの情報収集をすることとなった。関係者と話をしてみて分かったことは、組織の中での情報伝達が上手く行っておらず、現場ではそれが原因でトラブルになったとのこと。これを受けて、今までの職掌をすこし広げ、各部でのISTがどのように機能しているか、ISTはそれぞれの部署でどう働いているのかの調査を進めることとなる。これが上手く行けば、国際的なチームを作る上での課題と問題点を明らかにでき、必要があれば各部へのサポートができることとなる、との仮定で検討をチームとしてするめることとなった。我々としてはすでに1週間がたち、疲れも見えてきているところに急激に負荷がかかった現場は大変な状況なのであろう。
7月29日 23WSJ L-0: とうとう開会式!
23日に準備でここにきて既にほぼ1週間がたった。一週間の準備を経て、やっと今晩が開会式。このような大きな大会では、設営の時間や食事などのことを配慮して大抵7時位から開会式となる。今回も夕暮れ時から開会式が始まる予定。子供たちだけでも3万人弱があつまるため、迷子が出ないようにとか、混乱がないようにとSafety部が大活躍。我々ISTは子供たちとは切り離された後ろのほうから開会式を見ることとなる。制服での参加が求められるため、日本人は今回切り替わった新しい制服での参加となる。しかし、この暑い中制服をしっかり着て、片道30分弱の道を歩くのには滅入ってしまう。世界150カ国からの参加者がいるので、制服も多岐にわたる。昔ながらの半袖半ズボンに大きなつばのウールの帽子での参加国もあれば、夏向きの動きやすいものでくる派遣団もあり多様性をまさに見ることができる場となった。日本の文化を見せたいのか、アイドルグループがでたりとちょっと首をひねる部分もあった。しかし、最も残念だったのは日本連盟理事長のスピーチ。彼は早稲田のフランス文学だかの元研究者。それを見せたかったのかスピーチをフランス語でやってみた。しかし、そのフランス語がカタカナ発音、メモを棒読みで全く心が伝わらない。6000千人を超える日本からのスカウトがおり、彼の日本語を英語、フランス語に翻訳する仕組みもあったことを考えれば、日本にいるスカウト、その家族に直接メッセージを伝えられる良いチャンスだったのに、それをみすみす捨てたとこになる。さらに英語を使わなかったことで、英語を理解する多くの人に対してメッセージを送ることもできなかった。彼には疑問を持つ関係者が多い中いつまであの地位にいるのだろうかという話題が会場からの帰り道の多くの方々たちの話題だった。
7月28日 23WSJ L-1: 相変わらずトレーニングは続く
まだまだ続々とISTは到着する。明日の夜が開会式のため、多くの参加隊は今日までには入り、設営し必要な準備をすることになっている。しかし、国によってはギリギリに入ってくる隊もあり、それに引率で来たISTの到着もギリギリとなる。今日のセッションはアラビア語を必要とするエジプトや中東のメンバーがいたため、即席でアラビア語での通訳をお願いした。この写真の左の男の人がアラビア語と英語を操れる方。ベンチにたってしゃべっているのはイギリスからの参加者で昨日から講師役をやってくれている女性。参加者は、ここでの生活のために必要な情報も得られるとあり、かなりまじめに聞いてくれている。日本だと眠くて居眠りをするひとが多くなりそうだが、ほとんど居眠りを見つけることなく終えることができた。
明日の開会式に向けて、空にはブルーインパルスが訓練飛行をしたりと徐々に賑やかになってきた。
明日の開会式に向けて、空にはブルーインパルスが訓練飛行をしたりと徐々に賑やかになってきた。
7月27日 23WSJ L-2: IST Training 3rd day
昨日までで大半のISTのトレーニングは終了。あとは、遅参ISTを拾ってトレーニングをしていくのが仕事となる。スカウトたちと一緒に移動をしているISTは今日明日の到着がピークとなる。一昨日、昨日のトレーニングで私のチームに配属されたメンバーを活用できるようになったので、今日からはトレーニングを彼らにやってもらうことにした。ひとまず、朝のセッションは私が話をして、エッセンスの部分を別途伝え、午後の部は彼らに任せてみた。チームには、アメリカ、イギリス、ドイツ、ポーランド、スイス、チェコ、コロンビア、スペイン、ブラジル、オーストラリア、香港、台湾と多様な国籍のメンバーが来てくれたのでフランス語やスペイン語は心配せずとも彼らが対応してくれることとなった。アラビア語は残念ながらいなかったが、英語かフランス語でなんとかカバーできる。ここで問題は日本人のIST。彼らは日本語でトレーニングを受けられて当たり前と思ってくるが、日本語は公用語ではないため、基本はサポートされない。そこで、日本人が多いセッションでは私が英語で説明をしつつ、彼らに日本語で補足をすることとした。今回は国際大会を日本がホストしている形なので、日本語しか喋れないメンバーはかなり苦労することとなる。特に、組織、グループの長の役割を果たす立場なのに英語でのコミュニケーションができないとチームをまとめることができない。そんな苦労話をよく聞くようになり始めたのもこの頃から。徐々には落ち着くのであろうが、すこし残念なはなしでもあった。
7月26日 23WSJ L-3: IST Training Day2
ISTトレーニングの二日目。ISTはこの日までに入場することが求められているため、この日が公式なトレーニングは最後となる。この日は、朝の9時から5時まで5本のセッションが並び、英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、日本語をおりまぜてのセッションが続く。内容は私が作った英語のものが軸となり、それを各国語に翻訳をして、フランス語、スペイン語、アラビア語はそれぞれの言語を話すメンバーに依頼をして2か国語をセットにして各セッションを行った。参加者は一段と増え、ドーム内の席がかなりの率で埋まる感じ。いっぱいになると2000人と言われているので、この日だけでも4000人近いISTがトレーニングを受けてくれたことになる。フランス語、アラビア語でのトレーニングは言葉はわからずも雰囲気は伝わりとても興味深い。それらのセッションで質疑の時には私が壇上に上がることもあり、必要な情報を英語で提供しようとすると大抵、それをアラビア語、フランス語に訳す人のことを忘れて長く話してしまうのでいつも失笑を買ってしまっていた。それにしても非常にやる気のある6000千人なのでこちらもやりがいを感じながら夕方まで続くセッションを無事に完了することができた。
トレーニング終了後はIST向けのOpening Ceremonyということで、多くの人々が集まっての大人のイベントとなった。これは中高生が入らないので運営もすこし違って非常に楽しいものとなった。今回のJamboreeに向けて制作された歌があるのだが、日本語の歌は日本のはやりに合わせたようなものでほとんど現地で聞くことはなかったが、英語バージョンはとてもリズミカルで多くの人に受け入れられていた。その歌に踊りをつけるプログラムがそのceremonyで取り入れられ数千人の人々が最後にはみんなで踊り盛り上がりイベントは無事に終了。明日には子供たちが入場してくる。徐々に忙しくなっていく。
トレーニング終了後はIST向けのOpening Ceremonyということで、多くの人々が集まっての大人のイベントとなった。これは中高生が入らないので運営もすこし違って非常に楽しいものとなった。今回のJamboreeに向けて制作された歌があるのだが、日本語の歌は日本のはやりに合わせたようなものでほとんど現地で聞くことはなかったが、英語バージョンはとてもリズミカルで多くの人に受け入れられていた。その歌に踊りをつけるプログラムがそのceremonyで取り入れられ数千人の人々が最後にはみんなで踊り盛り上がりイベントは無事に終了。明日には子供たちが入場してくる。徐々に忙しくなっていく。
7月25日 23WSJ L-4: IST training開始
これが夕方から深夜まで続いた。イギリス派遣団は4500名ほどが参加とのことで、日本の次に大きな派遣団となる。彼らは、ここで受付を終えた後には次の長い列にて自分たちが使う装備(テントその他)を受け取りやっとキャンプサイトに向かうことができる。彼らにとっては長い一日、そして長いキャンプ生活が始まる日となった。
7月24日 23WSJ L-5: 設営
明日から6000人を超えるInternational Service Team (IST)が現地に入ってくる。その受け付け、その後のトレーニング、そして各配属先への受け渡しなどの手順を関係者で協議。これにミスが少しでもあると、突然大きな数の人々が行列をつくって長い時間をまったり、適切な部署への配属が上手く行かなかったりと重大な問題となる可能性がある。そのため、事故対応を含めかなり詳細なシミレーションを行い、関連部署に対して連携の確認を行う。子供たちの数は3万人弱だが、隊編成で入ってくるため手続きは一括してできる。しかしISTの場合は個人参加扱いのため、個々に6000人の対応が求められる。さらに、問題をややこしくするのは、現地への到着が深夜、または早朝の場合もあり、そのような到着者への対応など24時間での対応が求められる。幸いなことに我々の部署はある段階で夜の受付を締めた後は昼の業務が始まるまで作業を閉じることができることなったが、どのように6000人が到着をするのかが見えず不安が大きい。まだ受付開始になっていないが、すでに到着をする派遣団もあり、世界150カ国から参加を募る世界大会の運営の難しさを徐々に理解するようになった。下のビデオは早朝に会場内を走った時に見かけた蛇。彼らとうまく共存できるのだろうか。
7月23日 23WSJ L-6: 到着
2週間を超える生活の荷物を2つのカバンに詰めて移動開始。最初は京浜東北線で横浜駅まで。次は、横浜から羽田まで。さすがに荷物が重く、横浜駅からYCATへの移動が堪える。羽田では関係者がいっぱいいるかとおもいきや、制服組はおらず、1名だけその筋の人と思われる人に出くわすだけ。いろいろな情報では、事前にホームステーしている子供たちがターミナルにあふれているとの事だったが、それらしいのには全く会わずにチェックインをすませ、搭乗口へ。搭乗口にて同じ部の方と偶然ばったり出会い、いろいろと情報交換。フライトは1,5時間程度で山口県の宇部空港へ。今回はANAのチケットだったが初めてStarFlyerと呼ばれる新規参入会社の機材で飛ぶ。このSFは、すこし高級感を出して、東京と九州を結ぶ区間を集中的にカバーしている模様。機材は小型の737だが中は黒のレザーシートで十分高級感がある。他のフライトを知っている方の話ではシートピッチもこっちのほうがいいらしく、必要なコスト削減をしながら差別化をしているいい例に見えた。1.5時間のフライトのあとは、徒歩で空港から近くのJRの駅まで移動。こういうところが繋がっていない(カートを押していけるような接続の考慮がない)ところが日本の交通機関の問題点ではなかろうか。ローカル線に揺られて駅員のいない阿知須駅で下車。駅前に止まっていたタクシーを拾い、羽田であった同僚とキャンプサイトまで。2年前と全く変わらない風景、暑さ、そして湿気。3万人を超える参加者はこの環境で大丈夫なのだろうか。よくもまぁ戻ってきてしまったものだ。
7月22日 1日だけの休息日
明日には山口に発つので今日の一日だけが休息日。休息日と行ってもしばらく会社を休むのでその前に片付けるべきことをせねばならない。しかし、実家にはネットワークの回線が来ていないのでそこでは仕事ができない。仕方ないので、横浜駅まででて明日から必要な物をすこし調達しつつ、どこかでネットワークに繋がろうと思いいろいろな場所を放浪することになる。アメリカでは大抵の店には店の客用にWiFiの回線が提供されているが、日本ではまだまだかずが少ない。スターバックスが確実なのでがどこも混んでいて店内の椅子の確保が簡単には行かない。どうも、こちらでは大学が試験期間なのか試験勉強と思われる若者がたくさん店にはあふれている。なんとか空いている場所を探そうとするも、結局いい場所がなく20分位待つことでやっと場所を確保。明日からは屋外での生活となるため、PCは持っていかない。ホコリや水でのダメージを考えると、PCはやめにして今回はタブレットと携帯電話で2週間ほどを過ごすことにした。そのため、PCを使えるのは今日がおしまい。それを考慮し出来るだけの準備と連絡を終え、一応これで準備完了。さて、明日からはどんな生活になるのやら。
7月21日 日本到着
成田到着はすこし遅れたが無事に荷物、人間ともに到着。ここからはバスで横浜まで移動。多摩にいたときよりも横浜までのバスの移動のほうが渋滞する部分が少なくあっという間についてくれる。そこからは実家まであとちょっと。
家について荷を解くと左の写真のような状態。何が問題かというと、写真のように紙切れが入っていて、それはあなたのかばんを開けましたというもの。アメリカのTSA(DHSの一組織)は空港での保安検査を行っており、X線などをつかって中身に不審なものがあれば鍵を壊してでも中を確認する。2001年以降、アメリカに入る、または出るフライトでは鍵は事実上できないようになっている。今回は写真のケチャップが引っかかったのか、WiFiアンテナが気になったのか、開けられた模様。最近毎回なにかしらを運んでいるのでこの紙には慣れっこになってしまった。でも中身がなくなったわけではないので特には問題なし。
家について荷を解くと左の写真のような状態。何が問題かというと、写真のように紙切れが入っていて、それはあなたのかばんを開けましたというもの。アメリカのTSA(DHSの一組織)は空港での保安検査を行っており、X線などをつかって中身に不審なものがあれば鍵を壊してでも中を確認する。2001年以降、アメリカに入る、または出るフライトでは鍵は事実上できないようになっている。今回は写真のケチャップが引っかかったのか、WiFiアンテナが気になったのか、開けられた模様。最近毎回なにかしらを運んでいるのでこの紙には慣れっこになってしまった。でも中身がなくなったわけではないので特には問題なし。
2015年8月4日火曜日
7月20日 日本へ
今日から日本にしばらく帰国。今回の帰国は家族4人での帰国となる。子供たちは学校にいったり、久しぶりの日本を楽しむ予定。私は灼熱の山口で2週間ほど23rd World Scout Jamboreeというキャンプに参加。
この暑い時期に帰らなければいけないのはなんとも残念なのだが、いろいろとやることもたまっているので致し方ない。
8月の末まで私は東京に滞在して仕事を片付ける予定なので約一月強の日本滞在となる予定。詳細な予定は見えてきたらまたここでお伝えします。
この暑い時期に帰らなければいけないのはなんとも残念なのだが、いろいろとやることもたまっているので致し方ない。
8月の末まで私は東京に滞在して仕事を片付ける予定なので約一月強の日本滞在となる予定。詳細な予定は見えてきたらまたここでお伝えします。
7月19日Oregon Air Show
今年のエアショウはアメリカ海軍のブルーエンジェルスが目玉。実施時期が昨年は9月と遅めだったが今年は7月のこの時期と一番暑い時期となった。昨年の経験を踏まえ、いすや水など十分に用意をしてくるまで向かう。駐車場は会社の太陽光発電のひさしの下を選び社内が暑くならないように配慮。少し歩くがそのほうが安心。昨年同様に、アメリカ陸海空軍海兵隊のそれぞれのメンバーがパラシュートで降下するイベントからショーは開始。そして民間機によるいろいろなでも飛行などが続く。興味深いのは、民間に払い下げられた軍用機を個人で整備しクラシックカーを長く保管するのと同じように、クラシックな飛行機を持っている人々が歴史的な飛行機を持ち込み疲労していた。その中のひとつがこの写真の第二次世界大戦で活躍したP-51ムスタング、朝鮮戦争に導入された初期のジェット機のF-86セイバー、そして今でも多くの国で現役のF-16の3機によるデモ飛行。最新の飛行機にとってはプロペラ機のスピードでおなじデモ飛行をするのは大変なことであろう。このP-38は特別な飛行機で尾翼、主翼が赤く塗られている。これは黒人の始めてのパイロットによる編隊のカラーリングだそうで、黒人の地位向上の歴史的記録とされている模様。昨年のカナダ空軍のデモ飛行もよかったが6機によるブルーインパルスは人気にたがわずすばらしかった。
2015年8月3日月曜日
7月18日doggie bag
前日は家中が忙しかったこともあり、久しぶりに外食。娘は気に入ったメキシコ料理をたのみ、それを楽しんだ。こちらの一人分の量が多いため、それを食べきることは少ない。たとえば、私たちが外食する場合には主食は3人分くらいで頼むとちょうどなくなるくらいの分量となる。
昨晩は頼んだ量が多いのと、娘ははじめから残して持ち帰る作戦を立てていた。残したものを持ち帰ることはこちらでは普通のことで、それようの容器を用意してくれる。左の写真はその持ち帰った容器。食べ物の恨みは怖いというが、彼女は勝手に食べられないように抑止力として、箱に「Don't eat」の記載。そしてさらに重量を測って誰かが食べればわかるようにしていた。朝起きてきて早速したのは、箱の重量測定。彼女はたいてい一番最後の起きてくるので、このようなことが必要となる。結果は昨晩の重量よりもすこし少ない。最初に疑われたのは年下の息子。しかし、彼は食べていないという。だれも食べていないのになぜ減るのだろうか。彼女は疑心の目で家族を見る。
昨晩は頼んだ量が多いのと、娘ははじめから残して持ち帰る作戦を立てていた。残したものを持ち帰ることはこちらでは普通のことで、それようの容器を用意してくれる。左の写真はその持ち帰った容器。食べ物の恨みは怖いというが、彼女は勝手に食べられないように抑止力として、箱に「Don't eat」の記載。そしてさらに重量を測って誰かが食べればわかるようにしていた。朝起きてきて早速したのは、箱の重量測定。彼女はたいてい一番最後の起きてくるので、このようなことが必要となる。結果は昨晩の重量よりもすこし少ない。最初に疑われたのは年下の息子。しかし、彼は食べていないという。だれも食べていないのになぜ減るのだろうか。彼女は疑心の目で家族を見る。
7月17日 IRS初訪問
アメリカでの納税は日本とほぼ同じ形で年度末に自分で必要に応じて申告をすることになる。昨年は途中で日本からアメリカに移ったため、日本とアメリカの両方で納税の必要がある。アメリカでの納税には家族が本当に存在することを何らかの方法で証明をする必要がある。適当にパスポートのコピーでも渡せばいいのかと思っていたのだが、どうも本人を連れて税務署に相当するIRSに出向かなければならないことあ今日判明。運よく、息子は日本人学校、娘は自宅で夏休みの宿題を片付け中。この二人を急遽捕まえて事務所が閉まる前に滑り込むことを計画。余裕は大体30分くらいしかない。どこかで渋滞にはまったり、書類のミスがあったらもう取り返しがつかない。いろいろ計画を練って渋滞のない道を狙い、何とか時間までに事務所に到着。
そこで困ったのは、単にパスポートのコピーを作成しそれを正規のものとして認証をしてもらうと聞いていたが、そうではなく、税金の申告をその場で受け付けてくれるということになった。さて困ったのは、支払うための小切手がない。いろいろとはなしを聞いたら、支払いが発生する場合には後日請求書が送られるので今日は払わなくても受け付けてくれるとのこと。手順を知らないといろいろと落とし穴がる。ここまでの手順は大手の会計事務所からの指示に従ってやったのに、どうもうまくはいかないものだ。でも結果オーらいであとは連絡を待つことにしよう。
そこで困ったのは、単にパスポートのコピーを作成しそれを正規のものとして認証をしてもらうと聞いていたが、そうではなく、税金の申告をその場で受け付けてくれるということになった。さて困ったのは、支払うための小切手がない。いろいろとはなしを聞いたら、支払いが発生する場合には後日請求書が送られるので今日は払わなくても受け付けてくれるとのこと。手順を知らないといろいろと落とし穴がる。ここまでの手順は大手の会計事務所からの指示に従ってやったのに、どうもうまくはいかないものだ。でも結果オーらいであとは連絡を待つことにしよう。
7月16日 会議二日目
一年に一度の会議も今日で終了。今日はアジア地域をテーマー三つのセッションが行われ私は日本セッションのチェアー兼コーディネーターを努める。日本はいろいろな面でアジアの中心的機能をいまでも持ち続けているために、日本をどのように世界的な課題について活用するかがメインの議題。概ね前向きな発言提案がおおく、無事にいままで続けてきたプログラムをさらに積極的に進めるべきというコンセンサスにいたる。
会議終了後は、日本からのゲスト(日本人ではない)をつれて空港まで送りに行く。せっかくなので、ポートランドのダウンタウンでちょっと変わったコーヒーやと地ビール屋に寄り道をする。そこでいわれたことは、"How did you get this golden parachute?"。だれでも隣の芝生は青く見えるようだが、彼らにとってポートランドでの生活(この仕事をしながらの)はとても魅力的に見えるようだ。実際そうなのだが。
会議終了後は、日本からのゲスト(日本人ではない)をつれて空港まで送りに行く。せっかくなので、ポートランドのダウンタウンでちょっと変わったコーヒーやと地ビール屋に寄り道をする。そこでいわれたことは、"How did you get this golden parachute?"。だれでも隣の芝生は青く見えるようだが、彼らにとってポートランドでの生活(この仕事をしながらの)はとても魅力的に見えるようだ。実際そうなのだが。
7月15日 会議一日目
一日目は無事に終了。昨年に比べて準備段階からかかわることができたため中身も十分に満足のいくものとなった。夜は全員でポートランドダウンタウンへ移動し地元のスペイン系だったかのレストランで夕食。右の料理は米ではなく別の穀物を使ったリゾット風のもの。イカやたこなどが入ったとてもおいしいものだった。これをメインに頼んだので大きな肉や魚はなし。毎年この会議で訪れるレストランではなぜかベジタリアン向けのプレートや、ちょっと変わったものを頼むとあたる確率が高い。肉や魚もいいが、こういう普段は頼まないものをこういうときに頼むといいものに出会うことができる。東京にいるといろいろと外食のチャンスがあったが、こちらに来てからはそのような機会は半分以下になったので、昨日のバーといい、このレストランといいたまに外に出てこんな食事もたまにはいいのではないか?
7月14日 Multinomoh Whiskey Library
明日から1年に一度の大学関係者を呼んでの大きな会議。日本から知人の大学関係者を招いた関係で、今晩は夕食前に少しだけ話をすることにしてポートランドのダウンタウンで落ち合う。彼はアメリカ人で、Staffのアメリカ人二人と始めてのポートランド。食前にマティーニを飲みたいとのことで、ポートランドで一番のバーを探してもらい彼らのホテルの近くのバーに移動。名前がMultinomoh Whiskey Library という店で5時過ぎにいったのにすでに満員というお店。すこし別の場所でまって中に入ると驚きの空間が。まさに古い図書館のようなつくりの場所に古い擦り切れた(汚いわけではない)ソファーが図書館のロビーのように置かれており、そこで時間をすごすことができる。壁には一面ウイスキーから始まり多様なアルコールが写真のようい飾られている。夕食は家で食べることにしていたので長居はできなかったがとても興味深い店だった。日本からだれかお酒が好きな人が来たときには寄るべき最有力候補が増えてしまった。
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