2017年12月28日木曜日
9月30日 Aladdin Theater
昨日いった映画館の中身の説明をしていながら、中身の写真が無かったのでサイズとか伝えきれなかった感もあるので、もう一度映画館ネタを。この写真を見て気づいたが、建物は映画館ではなくで劇場だったようだ。写真のように舞台にスクリーンを設定して映画の上映に対応しているが、よく見ると2階席が舞台の左右にあったり、照明が映画館的なものではなかったり。これを見ていただけば大体のサイズ感が伝わるのでは。ぜひこの劇場にまた別の機会に来てみてみたい。次の週は映画ではなくてコンサートのようだった。
9月29日 クラシックな映画館
ポートランドには昔ながらの建物が多数残っており、それが積極的に保存されるような仕組みを街としてもっている。今晩はスキーの映画を見にダウンタウンまで来た。小さなプロダクションが作る映画で、所謂ロードショーにはならないもので、毎年この時期に全米のスキー熱が高い街を転々と順番に回って上映をしている。今年の会場は、映画館そのものでこじんまりしているが、とても古さを感じる映画館。最近の巨大化商業化したものとを上映するのではなく、ショートフィルムや小さなプロダクション、そして演劇などを週替りで開催しているようだ。椅子は昔ながらのビロード生地(もちろん古くてくたびれている)のクッションの椅子。中ではビールも売られ、ビール、ワインを片手に持ちながら映画を楽しむことができる。残念ながらちょっといまアルコールを抑えている私は我慢の約2時間。映画はいつもどおり迫力のあるものだった。いままではDVDまたはデータを買って家で見ていたが、こっちに来てからは秋に出演者も含めて実物を見られるので劇場に来ることにしている。車で25分位のところで実物が見られるならこっちの方がいいかな。
2017年12月27日水曜日
9月28日 峠を越えると
今日から1泊でMt. Hoodの南東側にあるNative American保護区にあるホテルにてある会議に参加。Mt.Hood 自体は緑の深い森に囲まれているが、南東側に山を下ると30分位走ると徐々に木が低くなり、最後は草原、乾燥地帯となる。その中を流れる川沿いにNative Americanの居留区が保護区となっており、歴史的な漁をしながら部族としての生活を続けている。しかし、不便なところにあり、都市部からは離れていることで住民サービスが不十分だったりすることもある。居留区の部族が持続して行くためには自給自足していくか、なんらかのビジネスを居留区の外に対して行っていかなければいけない。それを支援する意味で、連邦、または州政府からの援助がありリゾートホテルのようなものがあったり、カジノが併設されていたりする。それがいいのかどうかは議論が有るのだが、彼らが何らかの収入を得るためには外に何かを売るか、外から人が来ないといけない。今回の会議は、政府に関わる実験設備がそのホテルに併設(たぶんホテルの場所を借りることでお金が落ちている)されており、それを理由に開催された。この保護区、動物も保護されており、野生の馬が群れを作って道路際の草を食べるのを見ることができたりする。
9月27日 誕生日プリン
我が家ではいつの頃からか、息子の誕生日にはケーキではなく、誕生日ケーキと同じ大きさのプリンを作ることが定着している。今年も1日遅れたが、誕生日プリンが完成した。これだけ大きいと固まるまでに時間がかかるためか、中心部分と外側は食感が少し違う。味が濃く、滑らかなのは中心部分。カップのプリンでは作れない味になる。年に一度の家族の楽しみ。
9月26日 ソファー改修の途中経過
ソファーの外張りの張り替えを依頼していた工房から外身を剥がして、中を見るいいチャンスなので見に来ないかとの連絡があったので、早速見に行ってみた。そこで言われたのは、このソファー、ほぼ確実に戦前のもの。そして、もしかしたら100年位たっているかもしれないらしい。さらに、いままでに3回位外側のカバーを張り替えているらしい。足がとても重厚にできていて、非常に重いので古いとは思っていたが、そこまで古いとは予想していなかった。中身は、バネと馬の毛を使ったクッションらしい。馬の毛はクッションの素材としていまでもドイツ車では使われていると言われた。そして、その上に羊毛のフエルト(それが見えているもの)でカバーされているそうだ。オークで作られているフレームが頑丈で傷んでいないので、そのまま修正なく利用が可能とのことなので、あとは指定した生地で外側を覆ってもらうことになる。それにしてもそれほど古いものだったとは。。。。
9月25日 班長会議
月末の月曜日はいつもの隊集会ではなく班長会議が行われる。班長があつまって次の月、そして3ヶ月先くらいまでのプログラムの具体的な議論と確認をする場。ここも基本はスカウトたちが自分たちが実施したいプログラムをうまく組み合わせていく。ここに参加していない班長の所属する班は、自分たちのやりたいことを伝えることもできないし、どのようにこの先のプログラムが準備されるかも把握できない。班長がクラブなどで参加できない時は、代理を出すようにと毎回言われるのだが、徹底しない。ちょうど夏の大きなイベントが終わったばかりですこし緊張感が緩んでいるのかもしれない。
9月24日 Oregon Air Show
今年のOregon Air Showは9月の末の本日開催となった。今年は金曜日の前夜祭(リハーサルと花火)、そして土日の本番と、本番が1日多い。いつもは日曜日だけが本番なのだが、飛行場の都合からか今年は1日多かった。恒例のパラシュートで国旗をもったジャンパーが降下するのを皮切りに、民間、軍用機、歴史的な機体織り交ぜてのアクロバット飛行やデモンストレーションが4時間ほど続く。今年は残念ながら、例年のアクロバットチーム(日本で言うブルーインパルスのようなもの)が来なかったので、すこしこじんまりとした印象。昨年はブライトリングのチームの演技に比べ、ゼロ戦が陸軍の機体と海軍の機体の両方を見ることができたので感動モノだった。それでも、例年通り最新鋭の戦闘機や、P-38といった第二次大戦で活躍した機体なども飛んで十分お金を払ってみる価値あるイベントだった。10年以上前のカメラを使っているので飛んでいる飛行機をオートフォーカスで追うのは難しく、マニュアルフォーカスのいい練習になる。上の写真はもちろんマニュアルフォーカスで撮影したもの。それなりに繊細に撮れているのではないだろうか。
9月23日 辛さの中に香りを見つける
今日は土曜日で息子は日本人学校。その帰りに近所のスーパーで食材を補給。このスーパーはいつも何らかの食材の試食をさせてくれる。今日は写真のようなホットソース(辛いソース)の味見ができた。通常、こういうソースの味見なんてするチャンスがなくて、ラベルか想像で買ってしまうが、味見ができるのならと、いろいろ味見をさせてもらう。辛さの順番がわかっていれば、あまり辛くないものから試すのだが、最初からハバネロを味見してしまい、口の中が火事状態。でもすこし時間をおいていくつか(全部ではない)を味見してマイルドな辛さの中に香りのいいものを一つ購入。味見をしてみると、それぞれ目的を変えて使えそうなのでいくつか欲しくなってしまうが、時間が立つと香りも飛んでしまうので今回は1本だけの購入で踏みとどまる。
2017年12月25日月曜日
9月22日 wreath交換
秋に入ったこともあり、玄関のWreath(リース)を秋のものに交換。本来は自然の葉や実を使うのだが、今回はimitationを利用。その御蔭で、毎年繰り返し使うことができる。この玄関のWreathを変えることで結構季節感がいい意味で変わってくれる。こちらは、あと一月でハロウイン、そしてそのあとはThanksgiving、そこまで来るとすぐに12月のクリスマス。これからクリスマスまで毎月なんらかの行事がありあっという間に新年まで時間が進むのがこちらでの秋と冬の時間の感覚となる。Thanksgiving もクリスマスも家族と過ごすといった行事なので、プレゼントを買ったり、買い物をしたりと、アメリカでの消費が上がる特異点なので経済指標もこの時期で測られるようだ。
9月20日 秋の雲
そろそろ秋の気配か、雲が少し増えてきた気がする。今年の夏は雨がとても少なく乾燥しきっている。9月のはじめに火がついたHood riverの山火事はまだ消えてないらしい。雨が振り始めるまでは消えないようだ。幸いなことに、これ以上の延焼はないようだが。いずれにしても夏はそろそろ終わり、そして雨の季節がすぐそこまで来ている。
9月19日 Tシャツの歴史
今日も先日の50周年記念ネタ。
アメリカでは一般的なのかもしれないが、我が隊では毎年の夏のキャンプ前に全員でTシャツを作る。今年はイギリスでボーイスカウトを始めたベーデン・パウエルの写真にサングラスをかけさせたもの(一番左)だった。それを元隊長がこの隊に加わった9年前からさらに数年前まで遡って展示したのがこの写真。この絵も毎年スカウトが書いたものを選挙で選んでいる。どれを見ても味のあるものばかりで、夏に日本に帰国した時には10枚位を買っておみやげに日本のスカウト関係者に配ったりもした。また来年も残っている在庫を買い取っておみやげにしてみよう。
アメリカでは一般的なのかもしれないが、我が隊では毎年の夏のキャンプ前に全員でTシャツを作る。今年はイギリスでボーイスカウトを始めたベーデン・パウエルの写真にサングラスをかけさせたもの(一番左)だった。それを元隊長がこの隊に加わった9年前からさらに数年前まで遡って展示したのがこの写真。この絵も毎年スカウトが書いたものを選挙で選んでいる。どれを見ても味のあるものばかりで、夏に日本に帰国した時には10枚位を買っておみやげに日本のスカウト関係者に配ったりもした。また来年も残っている在庫を買い取っておみやげにしてみよう。
9月18日 50年前のバックパック
私が高校生時代はちょうどバックパッキングブームが日本に入ってきた時代で、それまで帆布でつくったキスリングとよばれるザックが、アルミフレームの背負子にナイロン生地のものに取って代わられようとした時代だった。結局、あの背負子文化はアメリカでも短命で80年代後半には上下方向にながいまのアタックザックと呼ばれる形に集約されていく。しかし、フレームの技術はなくなったのではなく、そのザックの中に内蔵されていくことになる。そういう意味でこの時代のフレームザックはなくなったわけではなく、その技術はいまのザックに残っているのかもしれない。左の写真は昨日の50週年の式典に初代のスカウトだった方が持ってきた当時のフレームザック。それもBoy Scout of Americaのロゴ入りなので貴重なものと言える。街の骨董品屋でも数十ドルで売られていそうなものだ。数ヶ月前に見かけた陸軍の背負子も50ドル位していた。その時は背負子だけでリュックサック部分は無かったので通信兵が無線機などを背負っていたものかもしれない。
9月17日 発隊50周年記念式典
私が現在登録している隊が創立されたのが1967年の10月ということで今日は発隊50週年の記念式典。流石に初代の関係者を探し出すのは、移動の激しいアメリカでは難しかったが、数名の関係者が設立当時の状況を話にゲストとして参加してくれた。さらに、過去にSPL(上級班長)経験者の数名もゲストで参加し、ボーイスカウトの隊に置いてSPLを経験することが自分の人生においてどれだけ役に立ったかなどを話してくれ、現役世代には役に立ったのではなかろうか。さらには、過去にこの隊に所属し、いまは空軍におり、アフガニスタンに派遣されていたスカウトがその期間に部隊が使用した星条旗(国旗)を隊に送ってきて、Flag retirement ceremonyをしてほしいとの依頼の話など日本では触れることがない話題など貴重は機会だった。ちなみに、日本もアメリカも国旗の扱いはとても厳密に決められている。日本で私が触れたことがない儀式の一つが国旗の引退儀式だ。こちらでは、国旗がある期間の使用を経た場合、それを焼却をしてその国旗としての役割を終了させる。2年前の夏のキャンプでも、同じキャンプ地を利用していた隊が自隊の古い国旗を引退させる儀式を行い、それにたまたま同席することができた。その国旗がどのような経緯でその隊に渡ったのか(その隊の国旗は刑務所だったかが移動する際に、地元の隊にその国旗が寄付されたといった話だった記憶がある)、そしてその歴史を説明した上で、キャンプファイアーの残り火で国旗を燃やし切る。最後にその灰を持ち帰りflag retirement ceremonyのcampfire ashとして記念に持ち帰る。その儀式をアフガニスタンから持ち帰った国旗で行ったほしいとの依頼がフロリダだったかテキサスから送られてきたそうだ。いつそれを行うのかは分からないが、隊としてのつながり、そして国への奉仕という意味でたぶん隊長はプログラムを作ることになるのだろう。
9月16日 薪割り
さて、本日は朝から薪割り作業。直径80cm以上の輪切りになった丸太が大量に運び込まれ、それを細切りにしていく。写真では見えづらいが左側に置かれている大きな輪切りの丸太を、手前に積まれているサイズに割っていく。これをだいたい30名弱の大人と20名位のスカウトで、運び込み、薪割り、運び出しと分担をして作業をすすめる。朝8時過ぎから始めた作業は1時過ぎにはほぼ終了し、小屋の入り口を吹雪から守るように薪を積み上げた壁で10m位の通路を作り、その上にトタンをかけて今日の作業は終了。これで春までの薪は十分足りるそうだ。
9月15日 山小屋冬季準備作業
ポートランド地区が管理するボーイスカウトの山小屋がMt.Hoodに2箇所あり、毎年9月にその年の冬に使う薪の準備をまわりの隊からのボランティアで行っている。私は初めて今回そのボランティアに参加。Mt.Hoodのスキー場から少し下がった非常に便利な場所にあるロッジは1955年にこの地域の連盟に寄付されたようだ。広さは50人以上が十分に暖かく泊まることができるサイズで、大昔に私が八ヶ岳で使わせてもらっていた上智大学の小屋よりもずっと大きい。この小屋を拠点にスキー、スノーシュー、スノーハイク、クロスカントリースキーなんでもできるようだ。金曜日の今日から各隊がはいって、実際の作業は明日の1日で行う予定。
9月14日 夕立を空から見る
一昨日のCalifornia出張の帰りに変わった風景を機上から見ることができた。右の写真がそれで、Calforniaの北部の乾燥地帯で、昼間の上昇気流でできた雲から局地的な雨が降っているようで低層の雲から雨が地上に降っている様子が見えた。地上の雨雲レーダーとあわせて見ると、まさにちょうど局地的な夕立のようで本当に限られた場所(雲のある場所だけ)でおこった気象現象を、日没直前の真横からの光で見ることができた。これも貴重な写真の一つとなった。
9月13日 そろそろ秋のはじまり
朝晩の気温も下がり始め、日照時間も徐々に短くなってきて、あと10日で秋分。まわりの木々も一部葉が黄色くなり始めた気がする。ここに移っている大きな樫の木やクヌギの木はこれからの二月くらいですべての葉を落とす。まだ想像できないけれども、徐々に秋は近づいているようだ。
9月12日 日の出とともにCaliforniaへ
本日も日帰りでCaliforniaへ出張。朝一番の飛行機なのでちょうど日の出直前に離陸して、しばらくして日の出を拝むパターン。それを予想して今日は左側の席を確保してまどを見ていると、ちょうどオレゴンの最高峰のMt.Hoodを拝みながらのご来光となった。一瞬のことだけれどもこんな風景を見られるのは貴重なので毎回用心深く飛行時間と座席の位置を考えるようにしている。
9月11日 Senior Patrol Leader Election
本日は、半年に一度の私達が所属するボーイスカウトの隊の上級班長(Senior Patrol Leader)の選挙の日。前にも書いたが、非常に幸いなことに、この隊はスカウトの人数が多いからか、正しく選挙を行いスカウトたち(子どもたち)が自分たちの上級班長を選ぶことができる。日本にいた時にも、隊運営の基本として班長、上級班長はスカウト同士が選ぶことを基本として習うが、それを実際に行っている隊に出会ったことはない。大抵の場合は、大人がリーダーシップを取れそうなスカウトを班長として任命し、上級班長に至っては最上級学年で参加率が高いスカウトが自動的になるような仕組みだった。実際に選挙をやろうにも、候補が少ない、投票者も少ないと選挙自体に意味が薄れてしまい実施していないところが多いのではなかろうか。その結果、子供達に選ばせるという自覚を植えるチャンスを失ってしまっていることにこの隊にきて初めて気がついた。適切でないスカウトが班長や上級班長になってしまうリスクは有るが、半年が任期なのでその間大人がしっかりサポートをすればいいのかもしれない。実際、この隊ではそれで機能している。そんなことを考えさせる選挙の日だった。
9月10日 Native American Culture
息子とともに今年の夏からボーイスカウトの中にあるあるコミュニティに参加している。そのコミュニティはNative Americanの文化をスカウト活動に取り入れているために、多くのなくなりつつある古き良きNativeの人々の文化に触れることができる。部族の中の信頼できる人間として認められて行く過程をスカウト活動の上進の一部に当てはめ、焚き火を囲んで部族がその人間を認めるかを決める風習を使って新しい仲間をコミィにティに迎える儀式など知らない人間からすると驚き、その演技に感動する。それらの儀式に参加するメンバーはNativeの人々が当時まとっていたコートをキャンプの夜には着用する。
息子がそれらのキャンプにこれから定期的に参加することになったため、そのコートを作って欲しいをいい出した。幸いなことに、近くにNative Americanの文化を売りにするウール地の専門店があり、そこに作ってもらうこともできるのだが、今回は生地と型紙を買ってきて自家製のウールのコートを作ることにした。これでコストは半分以下。それでも地元産のウールの生地をコートに出来るだけ買うと$200を超える材料費。さて、どんなコートが出来上がるのだろう。
息子がそれらのキャンプにこれから定期的に参加することになったため、そのコートを作って欲しいをいい出した。幸いなことに、近くにNative Americanの文化を売りにするウール地の専門店があり、そこに作ってもらうこともできるのだが、今回は生地と型紙を買ってきて自家製のウールのコートを作ることにした。これでコストは半分以下。それでも地元産のウールの生地をコートに出来るだけ買うと$200を超える材料費。さて、どんなコートが出来上がるのだろう。
2017年11月9日木曜日
9月9日 山火事は収まらない
残念なことに山火事は収まらず広い地域を灰にしていっているらしい。毎日のように報道では山火事のことを伝え、煙の影響で地域の学校の屋外での活動はここ数日中止になっている。フットボールなど屋外でのクラブ活動も停止。残念な思いをしている子どもたちも多いのではなかろうか。
ワインの葡萄はここから更に西の地域で多く生産されているので、それほど影響は無いのかとおもったら、どうもあるらしい。葡萄の皮に灰がつくと、焦げくらい匂いが染み込むらしく、ひどい場合には使い物にならなくなるらしい。ちょうどこの時期が収穫の時期の始まりなので、匂いが付く前に収穫が間に合えば影響がないが、もしかすると、この2017年のぶどうは気をつけないと行けないかもしれない。
写真はバジルの葉の上につもった山火事の灰。
ワインの葡萄はここから更に西の地域で多く生産されているので、それほど影響は無いのかとおもったら、どうもあるらしい。葡萄の皮に灰がつくと、焦げくらい匂いが染み込むらしく、ひどい場合には使い物にならなくなるらしい。ちょうどこの時期が収穫の時期の始まりなので、匂いが付く前に収穫が間に合えば影響がないが、もしかすると、この2017年のぶどうは気をつけないと行けないかもしれない。
写真はバジルの葉の上につもった山火事の灰。
9月8日 プレゼン終了
朝一番のパネルディスカッションにでて無事に自分の役目は完了。結構面白い会議だった。ある新聞社から来ている場違いな人間もいたが、業界としては真面目に前に進めていこうという熱意の感じられる議論だった。メディアを利用しようとする人は多いが、実はメディアは面白おかしいことしか伝えない。アメリカでいちばん有名な経済誌がそういうのは仕方ないかもしれないが、良い社会を作っていくためにはなんて視点はないことがよくわかった。
夕方の飛行機に飛び乗ってさっと帰れるかと思いきや、砂漠での雷雨に遭遇。あまりにも雷と雨が激しくて、滑走路に向かう途中だったのに離陸が中断になってたくさんの飛行機とともに滑走路横で1時間以上の待機。狭い場所に押し込まれて止まっていると疲れてしまう。夕食をポートランドに帰ってからと思っていたが、このお陰でチャンスを逸してしまった。家に帰ってもみんな寝静まっておりなんか損した気分。
夕方の飛行機に飛び乗ってさっと帰れるかと思いきや、砂漠での雷雨に遭遇。あまりにも雷と雨が激しくて、滑走路に向かう途中だったのに離陸が中断になってたくさんの飛行機とともに滑走路横で1時間以上の待機。狭い場所に押し込まれて止まっていると疲れてしまう。夕食をポートランドに帰ってからと思っていたが、このお陰でチャンスを逸してしまった。家に帰ってもみんな寝静まっておりなんか損した気分。
9月7日 InterDrone2日目
今回の出張はInterDroneと呼ばれる展示会のパネルディスカッションで喋ること。せっかく来るならと、社内関係者が喋ったり発表したりするのを見たり聞いたりもする。この分野、技術の進歩が著しく素材の技術から使い方まで非常に幅広い関係者が展示をしてお客をつかもうとしている。その中で、すこし異色だったのはこのFBI。FBIがどのようにこの技術を使っているか、活用しているのかなどを展示しているのだが、明らかに売り込みに来ているわけではないので、展示の場所に立っている人々のタイプが違う。このブースをだすだけでも、それなりの費用が必要なはずなのだが、どういう理由で支出ができるのだろうか、ちょっと不思議なブースだった。
9月6日 朝一番の飛行機でLas Vegasへ
本日からLas Vegasへ出張。8時過ぎには現地にいなければならないために6時丁度の飛行機で東の方へ。
6時の飛行機にのるためには5時には空港にいなければならない。搭乗口に待っている時に早起きの記念にとおもって撮影したのが左の写真。大体5時40分。朝早いのでお店はほとんど開いておらず、席で搭乗をただ待つしか無い。朝早いそれも平日なんだが、どうも休暇で向かうと思われる家族連れもちらほらいる。個人的にはあまり興味のない街なのだが、いわゆるエンターテインメントが好きな人たちを引きつける街なのだろう。
6時の飛行機にのるためには5時には空港にいなければならない。搭乗口に待っている時に早起きの記念にとおもって撮影したのが左の写真。大体5時40分。朝早いのでお店はほとんど開いておらず、席で搭乗をただ待つしか無い。朝早いそれも平日なんだが、どうも休暇で向かうと思われる家族連れもちらほらいる。個人的にはあまり興味のない街なのだが、いわゆるエンターテインメントが好きな人たちを引きつける街なのだろう。
2017年11月8日水曜日
9月5日 山火事
昨晩からどうも外が焦げ臭いとおもったら東の方で山火事らしい。それもMt.Hoodの近くで、昨年私達がbackpacingで歩いた場所のすぐ近く。今年は夏が暑くて乾燥しているので、どんどん燃え広がって手に負えないらしい。こんな灰が西側のこちらまでくるなんていままであったことはない。写真はいちじくの葉の上につもった山火事の灰。東京にいた時には浅間山の噴煙で車が真っ白になったことがあったが、それを思い出させる降灰だ。
9月4日 うさぎ発見
そろそろマラソンの準備をしなければ間に合わなくなるので、時間ができれば少しずづ走るようにしている。今日はいつものコースを走り始めようとして住宅街を出たところで見つけたのがこのうさぎ。このあたりは猫、コヨーテ、アライグマその他なんでもいるのだが、それを支える(といってはかわいそうだが)動物もちゃんと存在するので多様な動物が共生できているようだ。不思議なのは、このような動物を見かけると次に見るのは1年後となってしまう。今年は春にアライグマ、鹿、コヨーテと立て続けに見たが、その後は音沙汰ない。みんなどこにいるのだろう。
9月3日 ビールのつまみ
歳を取ったからか肉類にあまり手を出さなくなってすでに10年以上。昨年の冬から小さなブームがきゅうりのピックルスを揚げたフライ。水っぽいので揚げたら大変と思われるが、しっかり小麦粉で衣をつけて、さらにパン粉をまとわせ揚げたフライはビールにとてもあう。油が多いので注意をしなければいけないが、ビールを飲みながらそんなことは気にできない。この店は丁度ポートランドに移った2014年に工事をしていた新装開店のマイクロブルワリー。食べ物もビールもそこそこ美味しくとても広々としているので、夏が終わるまでにあと何度か来てみたい。
9月2日 SNOW PEAKにて
ポートランドのダウンタウンには日本のメーカーである、SNOW PEAKとMontbellの2社が店舗を出している。Montbellは普通にたくさんの商品を置いて一般的なアウトドアショップとして店を出しているが、SNOW PEAKの方はどちらかというとブティックの様に、ここでものを売るよりもブランドを理解してもらうための場にしているようにみえる。Montbellの店の場所はダウンタウンの真ん中の商業地、Snow Peakはすこし外れたブランドショップとレストランなどが入り交じった少し雰囲気の違う場所にあるのもそのせいかもしれない。Snow Peakはアメリカでビジネスを展開し始めてから歴史的なアウトドアブランドと時々組んで商品を出している。この写真のバックは、Woolrichと呼ばれる東海岸ベースのウール製品ブランドとのコラボレーション商品。素材は良いので欲しくなるが、すこし値が張るので簡単に買おうという気にさせないので助かっている。ただ、実はこの商品丁度シーズンの切り替わりで半額になっていたので危うく買いそうになってしまった。
2017年10月25日水曜日
9月1日 たぬきか?
近所の猫なのか黒い猫が突然庭に入ってきて、のっそのっそと歩いているのを発見。家から私が出てもまったく身構えることなく、自分の行きたい方向にしばらく歩いた後に、すこし戻ってきて、すこし距離をおいた場所に寝転んだのが左の図。かなり太っていて毛の長い高そうな猫。だけど、手入れがされていないのか毛並みはあまり良くない。洗って櫛でも通せば高級感がでるのだろうが、このままでは昔は高かったがいまは野良猫と言った雰囲気。この猫の雰囲気が、東京で住んでいた多摩を題材にした「耳をすませば」に出てくる猫に似ていた。あのアニメの猫は汚くはないので、こいつをキレイにすればもうすこし近くなるかもしれない。どこの猫なんだ?離れていると太っているのでたぬきにも見えてしまう。
2017年10月19日木曜日
8月31日 黒電話
こちらのアンティークオークションで手に入れた黒電話。何かに使えないかといろいろ考えた末、家の中の内線電話(インターホン)として利用することに決定。秋葉原の秋月電子にアナログ電話交換器シミュレータが有ることを知っていたので、東京からくる知人に買ってきてもらって半田付けをして制作する図。小1時間いろいろな調整をした結果、懐かしい家中に響き渡るベルの音。電子音ではなく、物理的なベルの音は家中の壁を伝わって家中に存在感を示してくれる。新学期の朝はこのベルで目をさますことになりそうだ。
8月30日 夏も終わり
キャンプも終了、リレーも終了、夏にやるべきことはほぼ完了。あとは、雨が降る前にこの青空の下でビールを楽しむくらいだろうか。雨が降る直前にオレゴンではぶどうの収穫とワインの仕込みがある。9月の末は、どうしてもマラソンの準備などもあり、あまりワインナリー巡りなどをしていないのがちょっともったいない。ビールにはあまり新酒とか季節感はないのだが、ワインは秋に収穫、そこから仕込みと季節感がある。これからは食べ物、飲み物のいい季節になっていく。
8月29日 メダルに刻印
土曜日にゴールしたリレーの完走記念にメダルが貰えたのだが、名前とタイムが空欄のままだった。スポンサーになっている、スポーツ用品店に今週のうちに行けば、記録を彫ってくれるとのこと。せっかくだから会社のあとでお店にメダルを持っていくと、卓上の機会ですぐに彫ってくれた。このようなメダルをどこかに飾るわけではないが、タイムに関係なくこのようなものは記念になるので嬉しいものだ。
私の部屋には、ボロボロになったゼッケンと、このようなメダルが徐々に溜まってきている。
私の部屋には、ボロボロになったゼッケンと、このようなメダルが徐々に溜まってきている。
8月28日 朝焼け?
今年はいろいろなところで山火事が多く、東の空が煙っているときが多い。今朝も、朝日がのぼる時刻の空がこんな感じで、東の空が白く曇ってしまっている。これはたぶん山火事の煙などの粒子のお陰で夕焼けのような朝日となってしまっているものとおもわれる。あと一月くらいして雨が降り出すまでは、山火事が完全に収まることはないのかもしれない。
8月27日 テント干し
私がMt Hoodから海まで走っている間、息子はMt. Hoodの北側の山々を移動キャンプしていた。日本でいう縦走とまでは行かないが、テントを背負って1日で15-20km位を歩いてきた模様。私も昨年は一緒に歩いたコースを今年もほぼ同じコースで歩いてきたそうだ。これを歩ければ、次のさらに長距離のコースにも挑戦できるので、入門コースとしてこのプログラムは確立された感がある。来年は、New Mexicoの長距離移動キャンプに挑戦するので、春先から同じようなトレニングが再開されることになる。
8月26日 Hood to Coast Day2
昨日から走り始めたリレーは、夜中にポートランドダウンタウンを抜け、朝の2時過ぎに2回めのバトンが回ってきて、10km弱の住宅街の中を走り抜ける。途中で、鹿の親子、一人者のコヨーテと遭遇。真っ暗なところなので、ルールで付けなければいけない、前を走るランナーの点滅ライトだけが目印。無事に、次のランナーにバトンを渡し、バン1号車はつかぬ間の休憩となる。車を次の出発地点まで移動させて、まずはみんなで仮眠。といっても2時間位しかないのだけれども、くさっパラにテントマットをひいてシュラフに潜り込む。まだ8月なのに海が近いせいか寒くてあまり眠れない。そうこうしているうちに、時間となってバン1号車の先頭ランナースタート。私はバン1号車の最終ランナーなのでまだ数時間の猶予があるのだが、そんなのはあっという間に過ぎてしまい私の順番に。しかし、運悪いことにレースのバン渋滞にハマり、中継地点にランナーより先につけるか怪しくなってきたので、車を降りてウオーミングアップを兼ねて走り出す。中継地点の2マイルは手前から走ったのではなかろうか。あと1マイルくらいというところで、なんと自分のチームのランナーが後ろから来てしまい、仕方なくそこでウオーミングアップは終了、ハイペースで走り始める。この結果、最後の私の走行距離は規定よりも1km以上長いものとなってしまう。山道をくねくねとゆるく下りながらちょっと時々登るようなコースで今回も1時間弱程度で中継地点に到達!これでバン1号車の役割は終了。海岸のゴール地点までいってあとはバン2号車のランナーを待つばかり。走り始めたのは金曜日の午後1時。チームの最終ランナーがSea Sideのゴールに到着したのが土曜日の5時前。合計で27時間位で無事に全員ゴール!これは面白いレースだった。マラソンとは簡単には比べられない、10kmスプリントを3回夜中を含めて走るようなものな。12人で一緒に(といっても全員の顔を見られたのはゴールが初めて)走って海がゴールってのもなんとも言えない。ぜひ来年も出てみたいレースだ。
8月25日 Hood to Coast Day1
オレゴンには変わったレースがあり、Mt.Hoodと呼ばれる氷河のある山から太平洋までの320kmをリレーで走る。日本にいたときからこのレースのことは聞いていたので興味があったのだが、今年は運良く会社の知人の紹介でこのリレーに参加することができた。簡単にルールを書くと、12人が1区間7-10KM前後を3回づつ走る。バン1台に6人づつ乗車して2チームが協力をしてタスキを繋いでいく。山から降りるので最初は強烈な下り、その後ポートランド市内をかすめて、山を一つ越えて太平洋に下るコース。スタートは写真のような素晴らしい天気。年によっては雨にも降られるらしいがうまくゴールまでもってほしい。10月のポートランドマラソンに向けて良い調整になるのではなかろうかと思う。
8月24日 夏休みもほぼ終了
今日は、息子の高校の新学期開始準備のための登校日。1年間使うIDの写真の撮影(左の写真)、教材費の納入、時間割の確認などを1日ですませる。この時間割の確認が重要で、日本の大学のように希望する授業を先学期の最後に学校に伝えて、学校が組んだ時間割にその希望の科目を割り当てた結果が返ってくる。運が悪いと希望の組み合わせが取れない(同じ時間に授業がある、今年の開講がないなど)。そうすると、n場合によっては別の授業を入れ替えてみたりと細かい調整を行う必要がある。さらに今年は、保護者情報の申請をオンライン化したのだが、それがうまく動いていなかったりと学校はちょっと混乱気味。新学期までにはたぶん解決していることでしょう。気分的には、これで子どもたちは夏休みの終わりを実感する。
8月23日 デザイン
この左のロボット何でできているかわかるだろうか。私も近くまで行くまで気づかなかった。これは、梱包に使う発泡スチロールを組み合わせつ作られたもので、たぶん廃棄されたものを集めてデザイナーが作ったものなのではないだろうか。置かれていた場所は、ポートランドのデザイン会社の受付。そこには、その会社がデザインに関わった多様な製品がショーケースに並べられており、その反対に置かれていた巨大なロボットがこれ。2階分の吹き抜けのスペースなので、大体の大きさは想像いただけるかと思う。デザインと言う言葉は、多様な意味を持つが、メッセージ性をもつなにかを想像できる「デザイン」はこれからの世界とても大事なのだと再認識。
8月22日 Native American Art
今年はNative Americanの絵、デザイン、衣装などに触れる機会が不思議と多い。筆やペンで書くものよりも、石や木に彫ることで残されたデザインが多いためか、直線的な図案、または木を掘ってできる版画的な図案が多く、それが特徴的な印象を与えているようなきがする。
今日もたまたま知人のところで見かけたタペストリーにそれらしい鳥の図案をみつけたので撮影したものがこちら。織物もとても特徴的なデザインで不思議なことに日本のアイヌの図案とも共通点があるようなきがする。部族ごとに違う感覚を持つらしいので一度ゆっくり勉強してみたいと思う。
今日もたまたま知人のところで見かけたタペストリーにそれらしい鳥の図案をみつけたので撮影したものがこちら。織物もとても特徴的なデザインで不思議なことに日本のアイヌの図案とも共通点があるようなきがする。部族ごとに違う感覚を持つらしいので一度ゆっくり勉強してみたいと思う。
8月21日皆既日蝕
天気は、100点とまでは言えないすこし靄がかかる朝で徐々に薄くなっては来たが、残念ながら完全にそれが晴れることはなかった。その結果、皆既になった状態でも回折して光が届いてしまうため、真っ暗にはならず、明るさは夕方程度。それでも、このようなダイヤモンドリングの撮影ができたので十分価値は会ったと思う。この綺麗なコロナとダイヤモンドリングを見たあとなので、帰りの大渋滞はまぁしかたないでしょう。一生の記念になる1日だった。
8月20日 中学生向けプログラミング教室
息子のロボットのクラブの活動費集めの一環で、中学生向けのプログラミング教室をするらしい。有料で行われるコースで、一般のNPOや学校がやっているものと同じような値段を集めているらしいので、責任も重い。そういえば、夏休みの始まる前にロボットを持って、各中学を回っていたのはこのためだったのか。1週間のコースで実際に子どもたちは小さなボードコンピュータを触りながらプログラミングを身につけるらしい。講義資料、講師などすべて生徒が自分たちで役割をもって準備している。大人の関与は無し。たぶんお金の管理だけなのではなかろうか。講義する側も受講する側もかなり役に立つコースにだと思う。あとで資料だけ貰おうか。
8月19日 University of Oregon
娘の夏学期が終わり、寮を追い出される時期になったこともあり、久しぶりにEugeneまで迎えに行く。この大学、NIKEの創業者が卒業をした大学ということもあり、NIKEとの関係が深い。この陸上競技場も創業者の名前がついていたり、ビジネススクールも創業者名がついていた記憶がある。アメリカでは、大きな寄付をしてくれた人や会社の名前を競技場、建物、そして学部につけたりする。その意味ではUniversity of OregonはNIKEの色がとても濃い。
8月18日 Sauvie Island Farm
東京から知人家族がポートランドにきたので、子供も楽しめるSauvie Island Farmへベリー狩りにいってみた。相変わらず広くて、日が昇ると暑くて大変だが、涼しいうちに到着できたので、シーズンも終りに近いラズベリー、ブルーベリー、そして野菜を少々収穫。ここは秋にはなにが取れるのだろう?
8月17日 ハチに刺される
刺されたのは丁度手にしていた革の手袋なので実害はまったくないのだが、思いっきりこのミツバチ尻尾の針をこの手袋に刺して針を残して飛んでいってしまった。針を残して飛んで行くということは、このハチの生命はもう短いのかな?そとでBBQの用意をして火の用意をしていたらこのハチが寄ってきて最後には刺された次第。なにが気に障ったのだろうか?痛い思いをしないで済んだのでどうでもいいのだが、珍しいところをゆっくり観察することができた。
8月16日 Eagle court of honner
アメリカのボーイスカウトの最上級のくらいであるEagle Scoutの授与式が今日は行われた。場所はいつもの隊集会を行うプロテスタントの教会ではなく、そこから来るまで10分位走ったカトリックの教会。この教会の近くはよく通っていたが、中に入るは初めて。祭壇の後ろが大きな窓になっており、夕日がそこからお御堂に差し込む配置になっている。プロテスタントの教会はいい意味で質素。そして、あまり堅苦しいことは言わない。それに対してカトリックは荘厳さと豪華さの混じった作りでプロテスタントの対極に有るように思う。どちらがよくてどちらが悪いということはないが、両方を見る機会に恵まれ、さらにどちらの信者でも無い中立な立場でそれぞれの教会を見るととても興味深い。
8月15日 まがい物
たまたま新聞に乗っていた写真を見ておや?と思った。記事は、南米でデモに参加した教師とのキャプションが付いているが、それはどうでもよくて、気になったのはヘルメットのロゴ。このロゴは、日本が世界に誇るヘルメットブランドAraiのロゴをもじってAkaiとしているように見える。ヘルメットは命にかかわるものなので、類似品に手を出す人はあまりいないと思うが、途上国ではこんなのも出回っているのだろうか。それにしてもこのロゴのシールは先進国で売ったらすぐに類似品として取り締まられてしまいそうなくらい、元のブランドにそっくりだ。
8月14日 終戦記念日
8月14日の夕方は日本の15日。8月15日は終戦記念日で、日本ではいろいろな行事がおこおなわれるが、こちらもそれほど目立たないが新聞などには太平洋戦争が終わった日として歴史に関わる記事が紙面にのる。ここ数年、太平洋戦争に従軍した兵士が持ち帰った日本軍兵士もっていた国旗などを日本に返還するNPOの記事が今年も新聞に掲載されていた。旗には、出征時の持ち主の兵士の名前、それを送った地元の人々の寄せ書きなどが一般的。それらから地元を割り出し、関係者を探し、そして残った家族に届けるというとても手間のかかる作業をNPOを立ち上げた夫婦が地道に行っている。それを知ったアメリカの遺族(本人が持ち帰って仕舞っていたものを見つけ出した家族)が時々そのような旗を送ってくるらしい。その数はどんどん積み上がり、いまとなってはかなりの数になっているそうだ。
8月13日 庭で夕食
暑さも徐々に落ち着きつつあり、夕方には涼しさが戻ってくるようになった。折角、庭で使えるテーブルを昨年の夏の終わりのセールで手に入れたので、それを活用することにして、夕食は庭で。まだ暑いので、野菜と鶏肉を中心におかずを作ってもらい、夕涼みをかねたひととき。まだまだ日は長く、9時近くまで明るいので照明なしでも充分に夕食を楽しめた。
8月12日 ソファー張替え
家を買った時についてきたというか、前のオーナーが置いていったソファーを張り替えることにした。猫がいたようで、いろいろな場所に猫による傷みが散見され、カバーを掛けけて隠せる度合いでも無いので、思い切って張替えに出すことに。依頼先は、前にも書いたかもしれないが、ザックの修理を1年前にだした工房。そこのおじいさん、ベトナム戦背のベテラン、山岳ガイド、クラシックカーマニアと修理の話以外の話題で常に1時間以上は横道に脱線する。今日は、近所のDIY屋からトラックを借りて工房までソファーを運び込んだ。そのソファー、大きくて古いので強烈に思い。さらに。運び出そうとしたが玄関のドアから出せるサイズではない。なんと玄関のドアを外して(このドアも非常に重くて手こずった)、やっと外に運び出すことができトラックに息子と二人でなんとか積み込んで運搬完了。金属を全く使っていない、木のフレームのソファー。どんなものに蘇るのだろうか。修理代金は結構掛かるが良い物になってかえってくるだろう。写真は、工房のおじさんのガレージ。ここにMGを始めイギリス製のオープンカーが三台収まっている。
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