2016年11月30日水曜日

11月27日 Christmas tree cut

今年もクリスマスツリーを近所の"You cut"の農園に伐採に行く。昨年も書いたが、アメリカのクリスマスツリーは生木を切って家に飾る。この木は年が明けると、リサイクル業者に引き取ってもらいたぶん肥料などにされるものと理解している(確認はしたことがない)。
このリサイクルを実はボーイスカウトが主導して行っており、これで集まる寄付が年間の活動費の大きな支えとなっている。このリサイクルに加わったスカウト、大人はその収益を夏のキャンプ費用に当てることができる仕組みができており、20-30%程度の費用がこのリサイクルから補われる。
生木を切って1月飾って捨てるとはなんてもったいないと思うのだが、これだけはプラスチックで作られた人口のツリーにはない良さがある。そのため、結構な額なのだが今年も人工のツリーを買わずに自然の木を切りに来た。この写真のもので高さが2m程度。吹き抜けのスペースに置く家の場合2.5m以上のものを切って買っていく家庭もいた。もみの木にもいろいろ種類があり、今回切ったものはTurkish Firという葉がかなりしっかりしたもの。昨年はこの種類がうわっている場所は開放されていなかった気がする。一般的な葉は長さが1cm程度だがこれは倍以上ある。これから我が家のなかはこの樅の木の香りを楽しめることになる。

11月26日 紅葉

ほぼ大きめの木の葉は落ちてしまったが、日本の紅葉(Japanese Maple)は所々で真っ赤になっている。残念ながら我が家の紅葉は黄色いまま葉は枯れて落ちてしまうのでいい色になったものは残っていないが、近所にはまだすこし残っているので撮ったのがこの写真。
まだThanksgivingの休みモードなので、近所には遠くから家族が集っているのかいつもは見かけない車が止まっていたり、路上駐車が多かったりしている。明日には、それらの車も日常生活に向けて戻っていくものとおもわれる。その御蔭で1年で一番混む日が、この週末らしい。遠出はしない、買い物もそれほどしない我が家はいたって平穏な休みを過ごしている。気になることいえば雨が多くて周りがぬかるむことくらいだろうか。

11月25日 Black Friday

Thanksgivingが終わり、今日からは街はクリスマス商戦が始まる。インターネットで買い物ができるまえは、この金曜日の朝はデパートやスーパーの入口に開店前に並んで開店と同時に安売り商品を走って買いにいくのが恒例だったようだ。いまでもそういうシーンがテレビには映し出される。そういう買い物には全く興味が無いので、我が家は必要なものを必要なときに買うようにしている。ただ、この時期安売り商品もでるので、それだけはチェックするのだが。
左の写真は、数日前に発注して郵便で本日届いたナイフ。これで、6本目。1本目は中学生のときに買って、高校くらいのキャンプで行方不明になってしまった。数年前にPortlandのサラミ屋で使っているのを見かけて、久しぶりに欲しくなって、鋼とステンレスの2本を購入。使い勝手が良かったので、日常やキャンプで活用。ある時、知人宅にサラミをお土産で持っていくときにそれを切るために持っていって、そのままプレゼント。そして、今回の日本に行くときもサラミとともにお土産代わりにもっていったため、自分が使えるものがなくなってしまい、2本を追加購入。このナイフ値段はとても妥当な値段なのだが切れ味がとてもいい。鋼の方は定期的に研がないと錆びてしまうので、定期的に研ぐ人向け。昔はステンレスはなかったと思うのだが最近はステンレスの刃もあるので研ぐのが面倒な人はそちらが良いかもしれない。でも切れ味は鋼のほうが良いと思う。だから今回も鋼とステンレスを1本づつ。ステンレスの方はちょっと高いオークのハンドル。無くさないように大事にせねば。

11月24日 電池交換

Thanksgivingで大学が休みのため、娘が昨晩から帰ってきた。帰ってきてまず頼まれたのがPCのバッテリー交換。どうもバッテリーが膨張してPCの背面が盛り上がり安定しない状態らしい。開けてみると、写真のとおり。パッケージがパンパンに膨らんでしまっている。電池は内部で化学反応を起こさせ、それによって電気を発生させている。その化学反応によってガスが発生する。そのガスを内部で吸収するような仕組みを充電バッテリーには組み入れているだろうがそれがうまく働かなかったようだ。
この原理を利用すると一般の乾電池に電気がどれだけ残っているかがわかる。電気が蓄えられている電池は化学反応が起こっていないために電池の中にガスはそれほど充満していない。しかし、その電池を使っていくうちに反応により内部にガスが発生しそのガスによって内部の圧力が高くなる。これ状態を電池をある高さ(10-15cmで充分)から落とすことで見分けることができる。電気が蓄えられているものは圧力が低いので落としたときのバウンドが少ない。しかし、電気を使ってしまった電池は内圧が高いため、バウンドの量が大きい。すなわち空気のいっぱい入ったボールを落とすのと同じことが起こる。これを2年前の息子の中学校の理科研究で調査して発表をした。今回のバッテリーはガスが発生することがよく分かる状態を見せてくれた。感心したのはこのシールドの強いこと。これだけ圧力が高ければどこかに穴があいてガスが漏れてもいいのだが、そうはならなかった。あとは、交換の電池が届くのを待つばかり。

11月23日Thanksgiving休暇

明日はThanksgivingという祝日でアメリカは休みになる。この休みは長めの休みなので家族が遠くから戻ってきたりして一緒に過ごすらしい。文化的背景や風習を理解していない我が家にとっては単なる休みでしかないのだが、子どもはほぼ1週間休みとなる。
この休みは七面鳥の料理が振る舞われることで有名なのだが、その理由を初めて知った。どうも、イギリスからこの地に渡ってきた最初の移民者たちが冬を前に越冬の準備ができず食べ物も充分になく困っている状態に、Native Americanがいろいろと新大陸での生活の知恵を授けて最初の収穫ができたことに感謝するという意味合いらしい。いくつかの絵では七面鳥を分けてくれたことに感謝するしているようなものも見かけたが、なぜ七面鳥なのかはよくわからない。いずれにしてもこの休日からアメリカは年末モードに突入する。木曜日が休み、その次がBlack Fridayと呼ばれるクリスマス、年末に向けての大売り出し(日本の初荷のようなもの)。そして、ちょっと働けばクリスマス休暇となる。こちらの文化をちゃんと理解していないのでなぜ七面鳥なのか、なぜこの時期にEggnogなのかなどはいまだに分かっていないが、休みがもらえるのはありがたいので楽しませてもらおう。

11月22日 日本でしかみられないもの

日本に久しぶりに帰るとこちらでは見られないものに気がつく。電車内の吊り広告などはその最たるもので、日本以外ではあまり見かけることはない。日替わりで吊り広告などは変わるので、その細かな変更やピンポイントの広告は日本だけなのではなかろうか。また、公共の場所での注意書きも日本にしかないものに気がつく。日本は多くの場合、なにか問題が起こったときに面倒にならないように大抵のことを禁止しがちな社会だとおもう。入ってはいけない、乗ってはいけない、走ってはいけない、いけないばかり。こちらで「やってはいけない」は、違法なことだけ。だから、電車のなかで携帯電話を切れだとか、優先シートの前では電源を切れなどは、また細かい日本らしいルールなのだとおもう。良いか悪いかは別にして。そして、今回笑ってしまったのは、大阪で空港から乗ったバスの社内の注意。「車内での飲食について:匂いの強いものの飲食はご遠慮ください」。さて、これは何を指しているのだろうか?大阪で匂いが強いといえば、蓬莱のおまんじゅうとシュウマイをすぐに思い浮かべ、それを禁止しているのだろうかとおもい大阪駅までの間ずっと考えてしまった。日本は、他人への配慮を大切にする文化なのはいいのだが、この注意書きはいまひとつなにを指摘しているのか、何か過去にトラブルになったのかをもうすこし知りたくなった注意書きだった。

11月21日 GPS衛星の起源

先日息子から「どうしてGPS衛星が打ち上げられているか知っているか?」と聞かれた。GPS衛星はアメリカ海軍の衛星で、昔はロランC(*)と呼ばれる長波を使った測位システムの代替システムだと理解しているので、その話をした。彼が学校で習ってきたのは、GPS衛星が民間の利用に開放されたのは1983年の大韓航空機撃墜事件がきっかけだったそうだ(どうも授業ではプログラム開始のきっかけと触れられたようだが、実際は民間への開放の契機がこの事件)。歴史を見てみるとGPSの開発は1960年台に遡るが、83年の事件のあと、レーガン大統領がGPSの民間開放を宣言している。先日の出張時に、行きのバンクーバーから成田へのフライトを機内のモニターで見ていると上空の風の影響でこのフライトはかなりロシアよりを飛んでいた。写真で見るとわかるがロシア本土に入るまで西向い、その後南に進路を変えての飛行だった。こんなことは20年前には想像できないことで世界も変わったものだとおもいつつこの経路を写真に収めた。ちなみに、写真の下に見えるのが樺太、そして海を隔ててユーラシア大陸。飛行機はこのままもう少し飛んで南に進路を変え、新潟上空から日本に入った。

(*)なぜロランCでは長波が使われたかというと、長波の信号は水の中にも伝わるため、潜水艦の測位に利用できるよう長波が用いられたようだ。

2016年11月29日火曜日

11月20日 はんだ

息子が野球をやりつつもロボットのクラブでの活動に首を突っ込み始め、はんだ付けやらプログラミングなんてことを言い始めた。日本で今回はんだコテの新しいのを買って帰ってきたのだが、それを使ってみたいこともあり、昨日日本人学校の帰りにちょっと足を伸ばしFry'sという電気屋までいってきた。このFry'sとはCaliforniaから始まったのかと思うが、広い店内にありとあらゆる電気製品がネジ、抵抗から冷蔵庫、おまけのようなスナック、ソーダまでを一度に買い揃えられる変わった店。シリコンバレーでもLos Angelesでも何かが足りなくなるとFry'sに買いに行った。衛星を作っている現場も民生品はFry'sで買っていたことがある。
秋葉原の秋月や千石にくらべるとマニアさでは負けてしまうが、流石に冷蔵庫、テレビまで売っている店で抵抗、トランジスタが買えるのはここだけだと思う。
今回この店で学んだことは、はんだの種類の豊富なこと。すでに随分前からはんだに含まれる鉛が有害で、それを減らす方向に産業界は動いているが、毎日仕事で気化したものを吸っていなければ空気の悪い都会に住むのとそれほど差はないのではないだろうか。そんな理由からか、写真の棚は太さ、組成、長さ(重さ)がそれぞれ異なるはんだが多種類売られていた。この場では結局どれを買うのが良いのかがよくわからないため買わなかったが、今回もいろりお学ぶことがあった。完成品の売り場面積が全体の9割位なのだが、こういった部品売り場に面白いものは隠れているとつくづく今回は再認識させられた。

11月19日 Last day in Beaverton Farmers Market

久しぶりの青空が雲の切れ間から見える土曜日の朝。今日が、Beavertonと呼ばれる私達の住んでいる場所から一番近い大きめのFarmers Marketが冬休み前の最後の開催となる。冬になると出荷できる野菜や品物が減るので、開催も2週に一度に減って規模も小さくなる。その前の最後の開催なので、なにかおもしろいものがないかと物色に行って来た。9時から開きお昼過ぎで終わりなので、お昼どきに行った時には一部のお店はそろそろ店じまいモードだった。この時期だと真夏のサイズの2/3くらいの規模だろうか。それでも数十の農園、牧場、水産業者が新鮮なものをテーブルに並べて売っている。今日の収穫は、自然のきのこを1ポンド(いろいろな種類の混ざったもの)、ソーセージを数種類、そしてパン一塊。これで週末はきのこづくしを楽しめるかも。

11月18日 Remove before flight

太平洋戦争当時の品物を集めているオレゴン軍事博物館に今回の出張で購入してきた本を届けに午後から訪問。前回訪れてからすでに2ヶ月が経過した。その二ヶ月の間にこの地ではまたいろいろなものがフリーマーケットに出ていたようだ。その幾つかを今回見せてもらい、それが何なのかの説明をしてきた。中でも興味深いのは、左のタグ。拡大すると何が書かれているかが見えると思う。上の四角いものは、多分戦闘機に搭載されていた爆弾につけていた安全ピンのタグ。旧仮名で書かれているので読みづらいが、書かれていることは、もし爆弾を投下せずに帰還した場合には、爆弾を外す前にピンを元通りに戻せと書かれている。左側の丸いタグは、起爆装置からのコードを適切な場所に固定せよと書かれている。
こんなものをどこで見つけるのか?と聞くとこのへんのフリーマーケットやガレージセールで見つけたとのこと。これ以外にも測量に使われると思われる光学機器などが新たに加わっていた。現在、博物館は改装中のため倉庫を開けられないのだが、開けられるようになったらもっと調べてほしいものが沢山あると言われている。どのようなものがでてくるのやら。

11月17日 この冬一番の冷え込み?

日本にいたときに思ったが、日本の冬のほうが寒い気がしている。東京の乾いた寒さに対して、こちらは湿った寒さなので、早朝に放射冷却でキーンと冷えることがあまりない。それでも今日は午後から気温が下がり5度を下回った。
今晩は息子の高校が来年に入学する8年生向けの説明会を行う日で、それに彼はボランティアとして参加していた。こちらの保護者向けの学校行事は大抵6時位から始まり夜の8時くらいまで行われる。今日はたまたまクラブで作成しているロボットを隣の大規模高校の工作設備を借りるため家には帰ってきていなかったので、そのまま隣の高校から自分の高校まで戻って説明会の手伝いをしていたようだ。ボランティアにはピザが振る舞われたようだが、隣の高校に行っていた彼らはそれを逃したのだが、たまたま他のクラブの資金集めで協力して買っていたドーナッツ1ダースを、持ち帰らずにみんなで食べたのでなんとかなったそうだ。こちらの中学、高校ではこれからクラブ活動の資金集めのためにいろいろなものが売られる。すでに今年買ったものは、クッキーの生地、ドーナッツ、クリスマス用のリースなど。これらの資金でクラブ活動は遠征費や設備費用に当てるようだ。多くの家庭が自分たちの子どもたちも売る側に回る立場になるので大抵の場合は協力をしてくれる。そういう家を見つける方法、そして押し売りにはならないように協力を求める方法などクラブによっては事前に実施される。そういえば、野球のクラブで保護者向けにそのような説明会が会ったことを思い出した。

11月16日 時差ボケ

今回の出張は約10日間日本に滞在した。日本では予定をかなり詰め込んだので時差ボケで昼間に眠くなるような自体はなかったのだが、東向きに飛ぶ帰国後の時差ボケが体に応える。いつものことだが、日本から西海岸に向かって飛んでくるとついてから数日は、夜寝付けない、深夜に目が覚める、そして昼食後に睡魔に襲われる。これを数日間繰り返すことになる。今回も、寝付けない夜があり、日本から持って帰ってきた本を1冊一晩で読んでしまったりもしたので日中がとてもきつい日がまだ続いている。あと数日すれば週末なのでそこまで乗り切ればとおもい1日を過ごす。時差ボケとはあまり関係ないが、玄関にはまだHalloweenの名残のかぼちゃが置かれている。このかぼちゃは工作のために開けてしまうとすぐに傷んでしまうのだが、開けなければしばらくもつらしい。じつは、庭のゴミを2週に一度特別なゴミ箱で回収してもらっているのだが、この時期は落ち葉が山盛りでこのかぼちゃを廃棄する余裕が無いというのが正直なところ。気がつくといろいろな場所で冬の飾りとして飾っているのでしばらくはこのままで良いのかもしれない。

2016年11月17日木曜日

11月15日 たたき

日本の牛肉には赤身の中に脂肪が入り込んでいて、それをこちらではマーブルと称して、和牛の特徴とされる。それに対して、アメリカの牛肉はステーキなどに使われるものは、脂身と赤身がほぼ別れていて脂肪分は赤身部分には少ない。和牛のように脂肪と赤身が層になるものはあまり見かけない。そんな中、今回は脂肪がすこし赤身にはいった肉が手頃な値段で手に入ったようで、それを使って昨日火を通した赤身を楽しむ。ちょうどよく脂がのっていて冷ましたたたきとして食べるのにちょうどよい。よく行くスーパーの精肉コーナーで頼んで切ってもらったそうなので、次から同じような肉を手に入れるのはそれほど難しくないそうだ。

11月14日 気象高度計

こちらで日本陸軍の対応のレストアをされている方から左の写真が送られてきて、何が書いてあるか教えてほしいと。どうも、古道具屋でこれを見つけたらしい。飛行機の中にある計器にしては目盛りが細かく、どういった用途に使われていたのがよくわからない。左は高度計(気圧計)、右あとでわかったことだが全く関係のない品物らしい。送ってきた方いわくこの裏面が鏡のようになっているので手鏡ではないかと。インターネットで検索すると、このフレーズが印刷された櫛などがあるので戦意高揚の商品だったのかもしれない。彼いわく、これを買って展示スペースに加えようと思うとのことで、歴史を示すものとして博物館に加えられることになりそうだ。実物を見られればもうすこし詳しくわかるので、今度日本から持ち帰った参考資料の本を持っていくときにでも見せてもらおう。それにしてもどこを探せばこんなものが見つかるのだろうか。日本のインターネットオークションにはこんなものは見当たらなかった。

11月13日 茶碗蒸し

こちらで取れた松茸が手に入ったとのことで、今晩は茶碗蒸し。うちの家族は出汁の聞いた和食を好むため、こういったメニューの場合、一般的なサイズの3倍から4倍位の大きさでつくられる。左の写真も普通の松茸のサイズからカップの大きさを想像してもらうとどれくらい大きいか分かっていただけるかと。昨年の冬に茶碗蒸しを作った時はなぜか大きな丼で作っていた記憶がある。
こちらの松茸は形と大きさは日本と変わらないが、香りは日本に比べてマイルドな気がする。日本の松茸は小さくても、欠片でも松茸だと主張するが、こっちのはあっさりしていて言われないと気付かない人がいるかもしれない。秋も終わりに近づき、そろそろきのこシーズンも終盤。チャンスをみつけてもうすこし楽しんでみたい。

11月12日 帰国

あっという間の12日間。詰め込みすぎの感もあったが、事故なくすべての予定を完了(一件だけ先方の予定変更でcancelなったものはあったが)。飛行機はYVR経由で午後7時発のため午前中に余裕をもってパッキング。いろいろお土産がたくさんあることを予想して90リットルのダッフルバッグを持ってきているので、そちらに大量の本やら壊れないものを詰め、スーツケースは壊れ物を衣類でくるんでパッキング。一番重いものは、大阪の知人から頂いた焼酎の一升瓶。これは大阪から運ぶのが大変だったが、まずは横浜までは持ってこられたのであとは、太平洋を超えればOK.一番大きいものは、息子に頼まれた日本製の木製バット。アメリカでも野球用品は手に入るのだが、日本製のきめ細かさというか繊細さのあるものは簡単には手に入らない。このバットは送られてきたダンボールに入れたままダッフルバックに縛り付けることにする。チェックインできる荷物は2つなので22kgx2で40kg以上を預けられる。しかし、これを空港まで運ぶのが一苦労なのであまり必要ないものは置いていくことにする。いつも移動はこんな状況なので最近はNEXは最近殆ど使わない。多摩に住んでいたときもバス。横浜からバスに乗ると成田までは大体1時間半。
成田でチェックインしようとすると、カナダへの入国の許可はとっているかと聞かれる。そんな、カナダに入るつもりはなくtransitなのでなにも手続きはしていない。アメリカで永住権をもっているかVisaをもっている人もこの登録をしないと行けないらしい。結局チェックインカウンターに並んだのに(重い荷物もほぼ預けた状態だった)、もう一度外でカナダの移民局にコンピュータでアクセスして許可を取るハメになる。これが結構面倒。持っていた携帯電話でやったのだが、PCを開けばよかった。結局20分位かかって許可はとれてチェックインは完了。バンクーバーへのフライトは離陸する時間が成田の混雑時に当たるのか、離陸準備は所定の時間前に終わっていたのだが、離陸許可が取れず30分の遅延。息子も同じフライトに夏に乗って大幅に遅れたことを思い出す。Air Canadaは期待していたほどではないかもしれない。でも、他の航空会社(ANA,UAなど)に比べて半額だったのでまぁ良しとしよう。
カナダからアメリカへの入国審査は、カナダを出るときにアメリカのDHSが行う。この審査がまた面倒で、いまの在留資格がちょっと変わったステイタスのため前回同様に別室に連れて行かれる。てっきり、大量の日本酒と焼酎が見つかったか、サキイカが食品検査で引っかかったのかとおもったら何の事はない、単にステイタスが特別なために別の部屋での処理となった。この部屋は、規制品(主に果物)を持ち込んだ人が連れてこられて、それを廃棄することを認める場所なのでかなりドキドキしたが結果はなにも問題なし。あとはスーツケースが無事に中身を破損することなくポートランドに着くことを祈るのみ。
バンクーバーもポートランドも典型的北西太平洋地域の冬の天気でどんより曇りまたは雨。バンクーバーからのフライトは小型のプロペラ機のため、それほど高い高度を飛ばず、ずっと雲と雲の間を飛んで一応定刻にポートランド到着。ターンテーブルから無事に荷物を取り出し(液体がスーツケースから漏れているような問題もなく、バットも無事)。自宅へはシャトルタクシーをつかって無事に帰着。バットは写っていないが下記が今回持ち帰った皆様から頂いたお土産。皆様、いろいろお世話になりました!また会いましょう。

2016年11月14日月曜日

11月11日 五稜郭

せっかく函館に来たのだから五稜郭を見てみたいと思い、市電に乗って朝から五稜郭へ。飛行機は12時半位なので11時過ぎまでは五稜郭にいられる。ホテルから初めての市電に乗って五稜郭方面に移動。こちらの路面電車のレーンは自動車のレーンの真ん中を走るため、自動車が右折をする場合には線路を横切ることになる。場合によっては対向車がいてすぐに右折できない時は線路を塞ぐ形で待っている車もあり、時々電車は徐行、または止まらなければならない。これは不思議な光景だった。
さて、五稜郭は歴史上、戊辰戦争最後の闘いの場所として記録されている。そして、反乱軍側の司令官が榎本武揚。彼は幕府海軍の創設メンバーでとても聡明な人だった(はず)。いろいろな背景から彼は北海道独立を目指し、官軍と戦う。日本の歴史はこのような戦いの場合、良い軍と悪い軍という色分けをして教える。しかし、歴史の本を読んでみると榎本武揚はそれほど悪い人間ではなく、戊辰戦争後は2年ほど投獄されるが、その後復権し明治政府の要職についている。彼は技術者の素養を持っていたようで、東京農大の前進の設立や電気学会の設立にも貢献したとある。
しかし、残念なことに、この五稜郭にある資料館に記載される榎本武揚の記述は反乱軍の総裁であり、戦いに負けて投降したところまでの記述しかなく。これがとても日本らしい歴史教育だと感じた。日本は一般的に教育の場で、双方の立場を考えさせるのではなく、正しいのはこちら、間違ったグループはこちらという教え方をする。明治から昭和にかけての歴史のなかで誤った道に導いた一員が薩長の軍、政府組織での弊害にあったことなど歴史の教科書では教えてくれない。これではいつまでたっても歴史から学ばない社会になってしまうのではないかと思った次第。
五稜郭を1周して歩いていたら時間が無くなり勧められたタワーに登ることはなく、函館空港に移動して無事に羽田にもどる。後はあすオレゴンに向けて戻るだけ。10日間ちょっとの出張だったか息つく間もなく最終日まで無事に終了。次はもうすこし余裕をもって帰ってきたい。

11月10日 函館2日目

函館2日目も午前中が一般の研究発表、午後が招待講演(私が昨日やったもの)。お昼休みは自由に外で昼食を摂ることになったので、全くなにも考えずに雪の街へあるき出す。まだ日本に帰ってからラーメンを食べていなかったので、北海道のラーメン屋さんはないかなと、街の中を歩くがお昼に空いている店がそれほどない。5分位歩いたところに、駐車場の端に置かれたもと車掌車かとおもわれる車両をつかったお店を発見。よく見ると地元の人ともわれる人が結構入っている。これは挑戦してみようと思い入ってみると中はびっくり。貴重な国鉄時代のマスターコントローラーハンドル(ブレーキのハンドル)からその他いろいろな貴重な遺物が店中に展示されているユニークなお店だった。この写真のプレートは昭和44年製の車両につけられていたプレートと思われるもの。こんなのが壁中に貼られている。ラーメンの味はまぁまぁだったが、この遺物を見るためにはもう一度チャンスが有れば行ってみたいとおもう。
今晩は今回の会議の最終日で、参加者全員での懇親会となり、発表のときに話しそびれた内容や質問をする時間が用意されていた。私は今回の参加が初めてだったが、こんなに真面目な質疑の懇親会は初めてだったと後から言われたが、私にとっても興味深い話がいっぱいあったのでいろいろ真面目な裏話や国外から見た日本などについていろいろ話したのが高評価だったようだ。函館滞在もあと1日。結局外に全く出られていないので、明日の午前中は少し早めにホテルをでて町中を散策してみよう。

11月9日 函館へ

今日から今回出張の最後の仕事となる函館での研究会に参加。大学時代の知人が大阪で大学の先生をしており、彼が実行委員長のある会議に呼ばれゲストスピーカーとして喋ることになった。今日のお昼から始まる会議のため、朝のうちに羽田に移動して函館行きの便を待つ。どうも北の方は冬型の気圧配置で北海道は全域で雪らしい。その為、千歳行きも函館行きもみな「場合によっては別の飛行場に着陸するか、羽田に戻るかもしれません」とアナウンスしている。トップバッターのキーノートスピーカーが現地に到着しなかったらどうなるのだろうか(私が今回の会の最初のスピーカーだった)などと考えながら搭乗を待つ。
函館に行くのは今回が初めてで、発表が終わったら紅葉を見ながら周りを走ろうかと思っていたのだが、もしかして寒すぎて走れない?結局飛行機は一応定刻に離陸して一路北に進路を採る。宇都宮を過ぎたあたりで、いまのところ着陸はできそうとのアナウンスが有りほっとする。
青森あたりから外界は雪雲に覆われておりなにも外界は見えない。雲を抜けて着陸に向けて高度を下げると見えるのは真冬の風景。11月の初めなのにもうこんななのか?5年ほど前に札幌に12月に出張に行った時も、一晩で50cmくらい降った直後で街の中を歩くのに苦労したが、今回も11月初旬なのにびっくり。
空港からは地元の路線バスに25分位揺られて目的地に無事到着。会場には十分余裕を持ってつけたが、残念ながら空き時間に走りに出ることはできそうにない。幸いなことに、研究会の内容とスピーカーの選択が非常によく飽きさせない会議内容のため結局途中でぬけだすことはなく1日目は無事に終了。私の発表も実は中身は羽田に向かうバスの中で作ったスライドだったが予想以上に好評で面白い議論に結びつけることが出来た。一応これで、今回の日本に来た目的は達成。あとは、金曜日までの会議でいろいろな方々と議論ができればそれでよい。やっと肩の荷がこれでおりた。

11月8日 東京最後の夜

今日も朝から忙しい。まずは、9時から国会議事堂近くで打ち合わせ。3年ぶりくらいにあう旧知の仲間で、日本の放送通信政策について情報交換。あっという間に時間は過ぎてまだまだ話題は尽きないがお互い次があるので失礼して東京のオフィスへ。約束の時間に少し遅れたが、役所関係の会議の準備会合。その後、久しぶりの慶応の三田キャンパスでの会議に顔を出し、いまやっていることなどを少し説明。懐かしい仲間と急いでお昼に出る。その足で会社に戻り次の霞が関の会議に向けて準備していたらスケジュールミスで、先方の時間変更のリクエストにこちらのスケジュールを合わせられず、一つ会議をキャンセル。ちょっと痛かったがまあいいか。今日最後の打ち合わせは、ある会社の社長と同じく次世代通信技術の政策についての意見交換。彼と会うのも久しぶり。この会議もとても有益で、多くの人が気付いているがまだ開けたくない箱に入った問題点を指摘したところ、彼も全く同じ意見。これは日本のチャンスではないかというのも同じ意見で非常に有意義な会議だった。こちらも時間ギリギリまでいろいろ話をさせてもらい今後共メールなどで情報共有を約束して別れる。
さて、今晩はすでに他の会社に移っていった昔の仲間4名で築地のお寿司屋さんでいろいろ情報交換。楽しい時間はあっという間にすぎ日付が変わる頃に帰宅。明日からは函館出張。向こうでは少しは休めるだろうか。そろそろ疲れてきた。写真は築地に向かって銀座を抜けたときに撮った新しい歌舞伎座の写真。随分きれいになって後ろにビルが立ったのかな。

2016年11月10日木曜日

11月7日 日本の電車は安全

日本と外国の大きな違いは電車の中の安全性と清潔さ。こんなにぐっすり電車で寝たら外国では何が起こるかわからない。
さて、今日と明日は東京オフィスを中心に仕事がたんまり。でもその前に調布でまずは個人的な作業を完了。その足で、都内に移動。ちょっとだけお昼ごはんを早めに食べられる余裕が出たので、淡路町の天兵に挨拶にむかう。家族総出でみんな出てきてくれていろいろな話題に花が咲く。若主人も二人目の子ができたそうでずいぶん楽しそう。固定客がちゃんとついているようなので心配はないが、あのお店も長く続いてほしい店の一つ(開業は戦前)。昼食を早々に終わらせて午後最初の打ち合わせは外務省。1時間もらって最近の情報セキュリティの話題について意見交換。終わった足で今度は溜池に移動して、内閣官房の同じく情報セキュリティ部門の参事官と面談。彼とは先週の山田さんとの付き合い同様かれこれ10年近い関係でいろいろと苦労話を聞く。それが終わったら、東京オフィスにやっと戻ってメールを片付け、6時からはある出版社の社長と打ち合わせ。仕事の話と趣味の話を半々。仕事の話が終わった後で、簡単に近くの中華で夕食をご馳走になる。お互いに、それほど食べないのだが、すこしきつい中国酒に手を出したお陰で明日が心配。しかしちゃんと終電前には電車で帰宅。まずは今週の1日目は無事終了。

11月6日 電車、走る、温泉

本日は休みなのでゆっくりすれば良いのだが、そうも行かず東京で駅伝など走る仲間と塩山まで行くことになった。それも電車で。その結果、朝の8時前に横浜からでる「はまかいじ」という特急に乗ることになった。車両は昭和の匂いを感じる古いかいじの車両。
実は行き先はあまり決まっておらず、すこし甲府盆地を走って、温泉に入って、ワイナリーを訪問して美味しいものを食べようという作戦。車内でスマートフォンでいろいろ見ながら調べるが良い一筋書きができない。結局、ちょっと長いけど10km弱を走って丘の上にある温泉に入って、そこからバスかタクシーで勝沼に移動することにして走り出す。富士山がきれいに見える良いお風呂だと聞いていた。すなわちたぶん結構な丘の上で、ずっと登りになる。私が自分で場所の選定をしていないので全く地図を見ていないので距離感を全くつかめなかったのだが、途中で休憩した神社で、地元の人にはそりゃ遠いよと忠告された。でも結果、1時間ちょっとを走りつづけ目的のお風呂に到着。
そこからの風景が上の写真。右下に見えるのが脱衣所の建物の屋根なので同じような風景がお風呂から見える。素晴らしい、お風呂に入れたあとは次の移動手段の手配なのだが、これまた一筋縄でいかない。どうも今日は地元の運動会の日に当たっているとかでタクシーの運転手が休みを取る、さらに出払っているとかでタクシーが来ない。なんとか温泉のお土産屋のおばさんが1台を見つけてくれて、ワイナリーに移動。ワイナリーでもさらに一回休み。食事をしたかったのだが、レストランは待ち行列がたんまり。1時間以上待ってありついた食事はすばらしいものだった。お昼ごはんのはずなのだが夕暮れのなか素晴らしい食事と地元のワインを楽しむことができた。食事が始まる直前に仲間の一人が勝沼の駅まで走ってくれて予約していた指定券をキャンセル、その御蔭でもう後ろを気にせずに食事を楽しみ、6時頃の特急の自由席をみつけて今日は終了。今日も詰め込みすぎでしたが楽しめました。

11月5日 多摩へ

今日は土曜日で仕事はない。この休日2日は仕事に関わらないが、今回の滞在で片付けるべき内容が盛りだくさんで詰まっている。
まずは、朝起きるが、昨晩が遅かったので走るのは辞めておく。そのまま、14年を過ごした多摩の家を見回りに行く。街は全く変わりなくと言いたいが、駅から20分歩いていく間には新しいビルがたったり、畑が造成されて新たな住宅になりそうだったり、古い建物が撤去されコインパーキングになったりしていた。でも、家の近くはほとんど変わりない。こうやって写真を見ると日本は本当に電柱と空中配線が多い。その御蔭で、光ファイバーが引きやすいとかあるのだが、美観の観点からはいまいちなのかもしれない。多摩では、お世話になった方々を訪問して簡単に挨拶をして回る。お土産をもって3軒ほどを周りお昼過ぎにはなんとか目的達成。次は、ここから王子にすむ知人の家まで行くことになる。お昼過ぎに行くと言っていたのだが、遅れてしまい申し訳ないことをした。彼の家で夕方までいろいろアメリカでの生活などについて話をして、今日は無理せずに横浜に戻る。今日もまたいろいろ詰め込んでいたが無事に全て予定は完了。

  • 7時起床
  • 8時過ぎ出発
  • 10時永山到着
  • 13時永山出発、王子へ
  • 15時王子着
  • 18時王子から横浜に向かう

11月4日 奈良先端科学技術大学院大学

今年の5月にお世話になった先生が52歳で亡くなった。彼は奈良先端科学技術大学院大学の設立メンバーで亡くなるまでそこで教授だった。このblogを昨年まで遡ると彼のオフィスをちょうど約1年前の11月10日に訪ねていることが書かれている。今年いっぱいで彼の研究室がなくなってしまうのでその前に関係者への挨拶を含めて奈良まで来た。昨年来たときは、彼の部屋は壁全てが書籍で埋まっていた。予想はしていたが、多くの本、表彰された盾や賞状はすべて片付けられて、残っていたのは国際会議の予稿集くらい。少しさみしい部屋になっていたが、彼の部屋であることには変わりない。秘書さんの話では、なんと今日の午後から一時的だが外国からの訪問研究員が使うことになったらしく非常にラッキーなことに最後の先生の部屋を訪れることができた。ちょっと予定調整を失敗し、大学で過ごす時間が45分位しかなかったが、ひとまず目的は達成。秘書さんのご厚意で駅まで車で送ってもらい、一路伊丹空港へ。どうも、大阪から奈良へ向かう電車は中国からの旅行者が非常に多いようだ。それに混じって伊丹に移動、その後羽田へ。今日は忙しい。


  • 7時起床、周りを走る
  • 8時半出発
  • 11時前NAIST着
  • 12時前に伊丹に向けて移動
  • 14時の便で羽田へ
  • 16時東京オフィス
  • 19時赤坂で知人と会う
  • 21時同じく赤坂で大ボスと会合
  • 24時横浜に向かう

2016年11月9日水曜日

11月3日 大阪へ

日本では今日は休日。この日を活用して大阪に移動。明日、関西での仕事を入れたので今日中に移動。お昼過ぎの便で伊丹に向かう。4時から、昨年の山口の世界ジャンボリーでお世話になった方と久しぶりに再開。6時からは、大阪連盟を中心としたジャンボリーメンバーに集まっていただき久しぶりに懇親会。2週間以上をあの暑い中で同じ目標にむかって努力した仲間なのでつながりは強い。世界連盟理事、大阪連盟の重鎮も参加いただき、非常に幅広い方々と久しぶりに楽しい時間を過ごすことが出来た。この会が関西での仕事を入れる理由だったりもするのだが、ここまで時間を掛けてくるだけの十分価値がある。

  • 6時起床、その後少し走る、パッキング
  • 11時出発、横浜経由羽田へ
  • 14時羽田から伊丹へ
  • 16時過ぎジャンボリーメンバーと会合
  • 22時に過ぎホテルに戻る

11月2日 TCG公開ワークショップ

今日は今回出張の目的の一つの公開ワークショップ。このワークショップは8年前に始めたもので、ずっとプログラム委員として関わってきた。昨年始めて参加できなかったのだが、今年は再度参加。最後の外部ゲストとの対談および登壇者全員とのパネルディスカッションのコーディネータを担当。情報セキュリティにかかわる会議なのだが、最近関わっている、情報セキュリティの問題解決を公衆衛生政策から学ぶという目的で、内閣官房から参事官の山田さんをお呼びして二人で対談。その後は、当日登壇した全員に再度壇上に上がっていただき、パネルディスカッション。すべての方々にいろいろな質問を投げたりして彼らの主張を参加者に正しく持って帰ってもらえるようなセッションとする。この2つのが思いの外、好評でいいfeedbackをもらうことが出来た。アンケートの数字がどうなるかがとても楽しみ。

懇親会もあったのだが、途中で抜けて8時過ぎからボーイスカウト関係者が昨年からつくったNPOの理事会に参加。2年ぶりに多くの方にお会い出来、アメリカでのスカウト活動などについて話ができて有益な第一日目となった。


  • 6時起床、ちょっとだけ走る
  • 8時出発
  • 10時すぎ秋葉原着、今日の会場で最終確認
  • 11時半東京オフィスに戻り打ち合わせに参加
  • 12時半秋葉原にとんぼ返り
  • 13時から公開ワークショップ
  • 19時半八丁堀に移動、NPO理事会
  • 22時に横浜に向かう

11月1日 到着、疲れた

気分はまだ11月31日なのだが、日付変更線を超えたので今日はもう11月1日の夕方。あと15分位で着陸。左の写真の太陽のすこし右に見える膨らみは富士山。海は太平洋。砂浜は九十九里浜。ちょうどいいタイミングで日本に上陸となった。
今晩からすでにびっちり予定が埋まり10日位滞在するのだが、最後までちゃんとこなせるかが少し心配。ま、なんとかなるでしょう。できるだけ多くの人にうまく予定を調整して会いたいと思う。

10月31日 日本へ出発

今日から久しぶりに日本出張。今回は初めてカナダのバンクーバー経由で成田に向かう。その御蔭で出発時間はちょっといつもより遅く、家を7時位にでて空港に向かいバンクーバーへ。地図を見ると気づくのだが、バンクーバとシアトルは目と鼻の先。そんなわけで、ポートランドからは小型機で1時間でバンクーバー到着。一応カナダなので入国審査をしてそのまま国際線ターミナルへ。ここから成田は約9時間。大昔に一度だけ国際会議で来たことがある。でも覚えているのは、白身さかなのグリルの上にのっていたスモークされたイクラが美味しかったことだけ。現地で買おうとしたが、そんなの売ってないと言われ買えなかったのだが。バンクーバーもポートランド同様にこんなくもり空。今晩はハロウィンなのだが、機上ですごしているためポートランドでの実物は見ることができなくなってしまった。空に浮いていた魔女はまだいるのだろうか。

10月30日 カニとりキャンプ

今週のボーイスカウトは前回雨に降られたCamp Meriwetherに泊まって近くの海辺にてカニを取るキャンプだった。2.5泊のキャンプで、息子だけが参加。大きなモーターボートを2艘持ち込んで、鶏肉を入れたかごを海に沈めてカニを獲ったらしい。オレゴンでは、狩猟や魚を取るにはライセンス(日本語で言う入漁料に相当)が必要で、12歳以上はそれを事前に買って現地に向かわなければいけない。さらにカニ漁では、サイズの小さい子どもとメスは海に戻さなければいけないらしい。そういった約束を守って獲ったカニで土曜日の夜には隊全体の夕食を楽しめたそうだ。こちらも昨日は天気が良かったように、海も天気がよく最高の天気でいい経験をみんなでできて満足して雨のポートランドに戻ってきたのがこの写真。残念ながら、昨日の天気はどこかにいってしまい、またもや雨のポートランドに今日はしっかり戻ってしまった。それにしてもこんなボートはどうやって個人で保管しているのだろう。

10月29日 一日晴れ

なんと今日は朝から1日夕方まで晴れが続いた。午前中はワイナリーにワインを引き取りに行き、午後は日本人学校の学芸会準備の大人の会合。家に帰ってきてあまりにも久しぶりに夕焼けが見えそうだったので尾根まで上がって撮ったのがこの写真。尾根道にはちょっとしたTevern(ビールと簡単な食事を出す店)があり、そこで日が暮れるまですこし寒かったけどいい風景を楽しむことが出来た。ここはたくさんのメニューが有るわけではないが、評価の高いお店のようよく知られている。今日も夕暮れ時だったので多くの人が外に出て、または外界を見下ろす位置の席から久しぶりに(本当に久しぶりでいつ以来の晴れだったか思い出せない)の夕暮れを思い思いに楽しんでいた。

10月28日 もうすぐハロウィン

いつも走っているコースが徐々にハロウィンの飾り付けで賑やかになってきた。そのなかで1軒だけすばらしく手の込んだ装飾をしているうちがある。左の写真を見ると魔女が空を飛んでいるのがわかるかとおもうが、それだけではなく、屋根にもさらに左奥の木のところにもお化けがとんでいる。この魔女は公道の上をまたぐように大木にワイヤーを渡して吊るしている。日本でやると文句言われそうだが、これだけやるとコミュニティーとして受け入れているのではないだ取ろうか。たまたま少しの晴れ間があったので、いい写真が取れた気がする。