数日前に書いたザックの修理を頼みに息子の日本人学校の近くの個人宅へ。個人宅の地下駐車場をアトリエと事務所に使って奥さんの作る手工芸品を売っているお店のようだ。対応してくれたのはシャキッとしたおじいさん。ザックを見せたら、修理の手順と方法を説明してくれて5分も立たずに問題なく治るとの説明をしてくれた。
そこからが長かった。彼は地元の山岳会に所属するガイドで、ヒマラヤを含めなんと世界中の山に遠征に行っていた人だそうだ。そして、彼が山を引退するまでは、今あるその場所で登山用具を売ったり、レンタルをしたり、ガイド業の事務所になっていたりしたとのこと。まだ道具は残っているから見るかい?と奥の倉庫まで連れて行ってくれると、博物館が作れるほどの歴史的な道具がやまほど綺麗に整理されていた。その中で目を引いたのがこのわらで作った雪靴。日本からのものだろうと想像して聞いたら、案の定その通り。どうも東京の山側(奥多摩?)に住んでいた人がオレゴンにいて彼にプレゼントしてくれたらしい。綺麗な状態の雪靴だった。こんなの最近の子供は見ていないのでは?昔はおせんべいとかの包装にこんな雪靴と雪傘をかぶった子供の絵なんかがいっぱいあったが、今は見かけなくなってしまった。1900年台の道具、山の歴史をいっぱい聞いていたらあっという間に時間がたってしまった。話の後半は彼が19歳で彼が従軍したベトナム戦争の時の話。とても興味深く話は終わらなくなり、話を途中で切って息子を迎えに行かなければならなくなってしまった。ちなみに彼は現地で大怪我をして帰還するが、非常な苦労をして山に登れる体に戻したそうだ。いまだにその後遺症は大きく努力を絶やせないと言っていた。
たまたま、この数週間で戦争に関わる実体験を複数の人から聞くチャンスに巡りあった。彼らが口々に言うのは、1次情報をしっかり残さなければまた同じ間違いを繰り返す、だった。
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