2015年3月31日火曜日

3月30日 終わりよければ。。。

今回ほど事前にドタバタした出張は今までにない。タイミングが良い条件が重なったのでカリフォルニアで打ち合わせをしようと言い出したのは私。そして、多くの人がいいアイディアだと賛同してくれたので調整を始めた途端に私の予定が合わないことが判明。私無しでできるかを調整するが、行かないわけにはやはり行かない。そこで、別件の予定を変えるように調整を試みると、それがなんとすんなりと2日ずらせば実現することがわかりすぐに調整完了。実は、この約束はひと月前くらいに設定したもので、また一月先延ばしかとハラハラしたがうまうずらすことができて、これで解決かとおもいきや、私のフライトが確定できない。帰りの飛行機はとれていて、行きがキャンセル待ちの状態。2週間くらい前に予約した時は8人位の予約待ちがいたが、通常8人だと2週間のうちに減って乗れるようになるのが経験上わかっていたので直前まで待ってみたが、なんと最後まで2名のキャンセル待ちが私の前にいる状態。この予約を一旦破棄して別の経路で飛ぶことも探したが、こちらは行きはあるが帰りがない、すなわち1泊しないといけないという組み合わせ。土曜日も予約状況をずっとwebで睨みながらすごすが変化なし。日曜も変化なし。こんなことをしているので、土曜も日曜もなにか落ち着かない。こんな嫌な週末は今までにないくらい落ち着かない。理由は言い出しっぺが全体を把握できないため。カリフォルニアで会う予定にしていたメンバーには、状況を説明し、飛行場の搭乗口まで行ってキャンセル待ちをするつもりで、そのフライトをmissしたら行けないことを伝える。すなわち、別の経路で飛ぶことは諦めて直行だけにかけると伝えて了承をもらったのが前日。朝5時に起床して、一つ前のフライトのキャンセル待ちも試そうかと思ったが、ちょっと時間を間違えていて、10分位間に合いそうにないため、もともと予約していたフライトの時間で空港に向かう。キャンセル待ちに早く行くもなにもないのだが、すこしでも状況を把握していなかったのでターミナルに行くと、受付はまだ開いていない状態。キャンセル待ちであることを伝えると、じゃあそっちに座っていてとキャンセル待ちの人が座るであろう場所にそわらせられる。この段階で実質私が最初のお客さん。もう一人いたのは前のフライトに乗り遅れた人。そうこうしているうちに、徐々に他のお客さんが来てチェックインが始まるのを横目で見てじっと待つ。しばらくするとなんと私の名前が呼ばれ席とれたよとのこと。ラッキー、なんだそんなにすぐとれるなら(たぶん5人もまだチェックインしていない)予約をもっと前に受け入れてくれればよかったのに。
そうして、無事にカリフォルニアに朝早めの飛行機で無事に飛ぶことができ、別の空港で日本から到着したばかりの知人を捕まえ、二人でCalifornia大学本拠地のBerkeleyに向かう。最初は空港の近くでお昼でも食べながら3人で打ち合わせでもしようというplanが、日本からのゲストの入国審査が予想以上に早く通ったため(私は昨年同じフライトで2時間ほど列に並ぶ羽目になりconnectingフライトを逃した経験をしている)、Berkeleyに住む3人目のメンバーのところまで行くことにした。飛行機で長い開いた閉じ込められていた日本からのゲストは外での食事が気持ちよかったようで、コーヒー、昼食、もう一人別の知人との会話と3件のはしごをしたがすべて外の席での会話となった。上の写真は最後の店での風景。私達は昼食を終えでいたので、飲み物だけで彼らが食事をするのを横で見ながらいろいろな会話ができた。
題にも書いたが、終わりければなのだが今回は非常に気疲れのする出張だった。最初の写真はオレゴンに戻るフライトでの日没の風景。これが7時半過ぎなので日が長くなった感じが強い。といっても夏時間で1時間進んでいるので日本だと6時半位の感覚か?
明日で日本は年度が変わる。子供たちは、「日本にいれば、あー明日からは中二かー、ってなるのに、こっちは何もな無いなぁ」とぼやいている。ま、それが現実。その代わりに9月に同じような変化が待っているのでそれを待ってもらうしか無いだろう。いやぁそれにしても疲れた。

2015年3月30日月曜日

3月30日 久しぶりに外出なしの休日

朝起きた時はdown-townに買い物or食事にでも行くかという感じだったが結局この日はどこにも行かない日となった。何時以来か記憶が無いくらい、毎日出かけていたのでいい休養になったのかもしれない。先週来ていた客人からの以来で日本向に荷物をおくる準備をした。ヤマト運輸がアメリカではダンボール(サイズ3種類)にものを詰め放題(制限はあるが)というサービスを行っており、それを利用してものを送ることになった。写真のサイズで100USD。高いか安いかは意見が分かれるが重さを気にせずに詰められるので便利なのかもしれない。この箱を営業所で手に入れた時には日本人の家族が子供用の絵本を日本に送ろうとしてその場で詰めているシーンに出会った。このヤマトの営業所はいつも使っている日本食材店の近くにあることがわかり先日箱だけ取りに行ったのだが、入った時から日本語が使える日本人向けのサービスをしている店だった。日本語が最初から通じるサービスセンターはこちらに来て初めてだったので面食らってしまった。依頼された荷物はこの箱の1/3も占めないためそこを埋めるためのお菓子やその他食材を山ほど詰めて送る準備をした。空気を送るのももったいないので色々詰めたが、それはそれでそっちもコストがかかるのでいろいろ考えて詰めないと行けないということを学ぶ機会となった。

2015年3月29日日曜日

3月28日 ペルシャ料理

私の家族はどうも中東料理が好きらしい。いろいろな国の料理を楽しんでいるのが事実なのだが、中東の豆を使った料理は評価が高い。豆のペーストHummus、豆を潰したものをあげたFalafelなどが特に評判がいい。本日は好子が見つけてきたペルシャ料理屋にいろいろな買い物のついでに寄ってみた。結果はかなりあたりのお店。以前、別の中東料理(トルコだったか)にいったが、そこよりも作りが丁寧で美味しい食べ物にあうことができた。Hummusはオーダーが入ってから練っているようでかなりfreshな感じ。パンは4人でいっしょにたべるように焼きたての大きなぱん(Lサイズピザのようなサイズ)がテーブルに1枚どーんとくる。中東料理のいいところは、肉がなくても豆を上手く使ってタンパク質系の料理として補うことができ、スパイス(にんにくを含む)がそれをさらに美味しくする点にあると思う。写真は一番左のボールがFalafel、手前の四角い皿がヨーグルトソース、真ん中がHummus、右のペーストがナスのペースト、そして奥が葡萄の葉っぱにお米と肉を炒めたものを詰めてオリーブオイルで漬け込んだもの。

3月27日 大学見学

春休みを利用しての高校生向け説明会が大学で行われている。せっかくなので行ってみようとなり、州内のいくつかの大学を候補にあげて予定を組んでみた(というか組ませた)。州内と行っても週の大きさが日本くらいあるので大変なのだが、車で行ける範囲に一つ候補の学校がありちょうどこの日に公開をしていたので予約をして訪れることにした。この学校は本気で見学会を実施しており、駐車場のパス、見学のコース設定など、まるまる一日の予定が組まれている。他の学校だと、この期間にきてくださいね―程度の学校もある中、ここは結構本気度が見えていた。どうやってそれを見分けるかは、見学の期間の設定の仕方でわかる。この学校は3−4月に3日だけspring preview dayというのが設定されており、その日に集中して学生に来てもらおうとしている。一方他の学校は、4月の中頃までがpreview dayとなっており、その期間は事務がいつでも質問に答えますとなっているのではないかと想像される。
訪問した大学は街の中にあるものではなく、大学が街を形成している100年以上の歴史のある大学だった。そのため、大学内ツアーも歩いて1時間位主要な建物を回って歴史の説明を聞いたが、それでもキャンパスのほんの一部。内部を移動するには自転車が必須だろう。日本国内の大学の感覚だと、国立大学のキャンパスに近いかもしれない。この訪問ですこしでもお尻に火がつけばいいのだがどうなることやら。

3月26日 平日スキー

日曜日のスキーが雪だったことは先日のメモに書いたが、その後月曜、火曜と寒気がこの一体をつつみ山はずっと雪!1feetくらい積もりそうとの予想があたり150cm程度だった積雪が175cmまで復活。せっかく子供たちも休みなので、彼ら二人をつれて平日スキーに行くことにした。天気は最高の快晴。ゲレンデは平日のためガラガラ。雪は朝は最高、お昼からは....
この天気なので気温は時間とともにどんどん上昇しお昼にはTシャツ、短パンのスキーヤーが出現するくらい暖かくなった。その結果雪は、stickey(板に張り付く)な状態となり、滑っていてすこし危険な状態になってしまい、気をつけて滑っていたが結局3回も転倒してしまった。今シーズン初めての転倒(たぶんこれで最後だと思うが)でヘルメットの威力も実感。あれは効果ある。こんな日は暑くて邪魔かとおもったが、ニット帽などよりずっと高性能で通気性もあり快適に滑ることができた。午後は雪が悪くなったので早めに上がろうかとも思ったが、結局いつもどおり3時過ぎまですべって5時には帰宅。良いスキー日和だった。

3月25日 つくし

春が来てからすでに一月くらい立っているが、晴れの日が増えて植物たちも元気になってきた。庭の芝生も伸びできたのですでに一度芝刈りをした。毎回のrunningの途中で今日はこんなものを発見。なんと土筆(つくし)。日本のものよりも大きい。どれくらい大きいかというと、発見した段階(左の写真)で新品の鉛筆くらいの長さで太さがそれの1.2-1.5倍くらい。袴を取って茹でれば食べられるのかもしれないが、筋が多そうなので今回はやめにした。たまにいた時はレジ袋にいっぱいとって、土筆ご飯、ナムル、卵とじなどいろいろ挑戦したのだが、子供たちの興味も低く今回はパス。ゼンマイやコゴミなどがあればいいのだがまだ見つけられない。

3月24日 キーホルダー

スマートホンが普及することで電話の機能が高機能化した結果、電力の消費が大きくなり携帯電話の充電必要頻度がとても高くなった。どのくらい高いかというと毎日充電しないといけないことになっている。昔は1周間とかほっといても大丈夫だったのに。充電を忘れたり、なにか特別なこと(地図を使ったり、音楽を聞いたり)をするとすぐに電池がなくなる。そんなわけで多くの人が充電ケーブルを持ち歩いている。それがまたあまりかっこよくない。先日、といっても昨年末にイギリスで面白いケーブルを作っているグループを見つけ早速購入。写真のように5cmくらいのケーブルが磁石で折りたためるようになっている。これをキーホルダーにつけておけばいつでも使えるという優れもの。しかし。。。。10個買ったのだが到着後すぐに3個から磁石が脱落。それを示すために撮った写真が上のもの。作り手に連絡したら、どうも使った接着剤に問題があったとのこと。youtubeに修理の方法載せたから自分でやってみて、だそうだ。プロトタイプをつくって希望者に分けるというものなので、そもそもそれほど品質など期待していなかったが、まぁこんなものか。

2015年3月28日土曜日

3月23日 春休み

実際には土曜日から始まっているが、子供たちは春休み。日本と違って1週間しか無いが、これが結構大事な時期でいままで手を付けられていないこと、やり残していたことをやるいいチャンスなので子供たちには時間を有効に使ってもらえればと思っているが、そううまくは行かない。ちゃんと予定を前日に立てるようにと指示したホワイトボードは1日目かららくがき板に。7時起床なんて夢の話。あっという間に過ぎるであろう春休みはこうやって始まった。
時間が決まった行事が入っていればそれを軸に予定を立てるのだが、この日は雨のため野球も休み。ちなみに日本は春分の日で休日だ。

3月22日 春スキー

先週の大雨でcloseしていたスキー場もopenし、さらに寒気が降りてきたために結構寒い状態に逆戻り。ゲレンデの下部は気温がプラスになってベチャベチャな雪だが上に行けばなんと吹雪。雨にならなかったのが超ラッキー。日本から持ち帰った2本のスキーを持ち込んで新たな感覚で滑ることができた。近所の知人がリフト券が余っているからと子供たちの分をわけてもらい、私は交通費と食事代をもつだけで子供2名とスキーを楽しむことができた。娘は3年ぶりに滑るとか言っていたが、数本滑れば自転車と一緒で体が覚えているためなんとか自由に滑ることができるようになっていた。このゲレンデは5月まで一応空いているようなのであと数回は来ることができそうなのでできるだけ雪が持ってくれればと願うばかり。

3月21日 日本人学校卒業式

こちらに来て半年とちょっと。子供たちは土曜日日本人学校に通っている。日本人学校は日本と同じカレンダーで年間行事が組まれ、4月始まりの年度で動いている。その結果、この時期は卒業式。娘は、日本にいれば高校をこの3月に卒業だった。というわけで、日本人学校も卒業することとなり、めでたく今日で卒業。これで4月以降彼女は土曜日にやることがなくなって家でぼーっとすることになることが家族全員(たぶん本人を含めて)の心配事。土曜日を有効にどう使うかを考えているのかもしれないが、今のところよく見えない。大学に向けての準備などやらなければならないことは山ほどあるが、まだあまりにも選択肢が多すぎて手が付けられていない状況。この春休みにいくつかの学校を見に行く予定なのでそれでお尻に火がつけばいいのだが。家族の心配は尽きない。

3月20日 客人去る

あっという間だった客人の滞在も今日で終わり。午前中に残っていた打ち合わせを会社で終えて、そのままPhoの昼食を取り空港まで送る。初めてのポートランドを楽しんでもらえたのではなかろうか。彼は、このままダラスでの国際会議の運営に携わる模様。
夕方からは、息子の野球があったためグラウンドまで送っていく。運悪くついた途端に雨が降り始める。結構な降りだったが、開始時間とともにコーチがグラウンドにでて練習が始まった。こちらのグラウンドは写真のようにちゃんと芝生が綺麗に貼られている。そのため、雨が降るとスポンジが水を吸ったような状態になる。そしてグラウンドが水を吸った状態になると使えなくなる。子供たちは金属製スパイクをつかってその芝生の上を駆けまわって練習をしていた。

3月19日 仕事

客人1名に加え、もう一名東大の先生が到着し、1日社内の関係者との打ち合わせを実施。始まるまではどうなることかと思ったが、やってみればいろいろと面白いネタがでてきて今後の連携に繋げられそう。
夜は、家族も一緒に念願のバッファローウイング専門店で夕食をとる。食べ物はまぁよかったのだが、店内がいわゆるスポーツバー風の作りなので、あまりにもうるさすぎてうちの家族にはちょっと不評。行きたいといったのは彼らだったのだが。この店バッファローウイングのソースが20種類くらいあって、それを選んでオーダーができる。もちろん、その種類は辛さのレベルが尺度となっており、今回はまんべんなくマイルドからホットまでを4種類オーダー。もうちょっと静かだったらまた行くのだが、あの賑やかさではちょっと次はないかな。

3月18日 来客1日目

本当はこの日はスキーにでも連れて行ってあげようかと思っていたが、なんと週末にポートランドは大雨に見まわれ、それは山も一緒で大量の雪が溶けてしまった模様。次の週から始まる週から始まる春休みに向けてゲレンデの整備をするためになんと月曜日から木曜日までゲレンデがクローズとなってしまった。そのためスキーの計画は変更をして、ポートランドの美味しい食べ物を探しに行くことに。来客のボスが数年前にこちらに来た時に食べて感動をしたタイ料理レストランにGo。ここのタイ料理は地元の農家と組んで本物のタイのハーブを栽培することからはじめ本格的な味と香りを再現しており、ここ数年でとても有名になった。当該ボスいわく、これはタイ東北部の酸っぱさと辛さが本物でタイの外では初めて食べたと当時言っていた。下記の写真はそのPok Pokのレシピ本。ハードカバーで結構な値段がするがかなり詳しく料理方法、代用材料の選び方まででていてお勧め。

3月17日 初の来客

いま借りている家にはひとつ空いている部屋があり、来客があればそこに泊まってもらうように用意をしていた。その部屋の名前が、いままでいろいろな名前で呼ばれていた。例えば「shioの部屋」、「げんさんの部屋」などと家族内ではよばれていた。最初に泊まった人の名前がつくのだろうという思いで一番最初に来そうな人の名前が上がっていた。そして、めでたく最初の来客となったのは大江先生でした。HND-SFO-PDXと深夜便で飛んできて9時過ぎにPDX着。空港まで30分でアクセスできるので飛行機の飛んでいる状態をリアルタイムで見ながら迎えに行けば十分に間に合う。上の写真は太平洋区間をどんな状況で飛んでいるかを見たもの。東に向かう冬のジェット気流をつかむためかかなり南寄りの航路をとっていることがわかる。追い風が時速200kmくらいあったのではないだろうか。

3月16日 バスケットボールシーズン終了そして野球シーズン到来

こちらでのクラブ活動が日本とはかなり違うことは前にも書いた気がする。一番大きな違いは、スポーツの多くがシーズンスポーツで、一定の期間のみの活動となる。バスケットは年末の11月ころから始まり2月で終了。シーズン終了に際し、クラブ活動に貢献した結果が左のような表彰状で手渡される。不思議なのはGPAの表記。GPAは学業成績の平均値。これがこのクラブ活動の修了証にも記載されているのだ。たぶん、この数字を表記することで、スポーツもやったけど学業はいまいちでした、またはスポートを頑張りつつも学業も良かったですという高校生活全般を表記するものとして使えるのだろう。これ以外にもいくつかの表彰をもらって今期のバスケットは終了。これからは野球のシーズンが始まり、息子の野球が始まる。

3月15日 科学コンテスト

こちらの学校では、自由研究のようなテーマをまとめて学校で発表することが普通に行われている。息子の学年は必須の発表ではなかったが、良いチャンスなので発表をさせることにした。このコンテストでは、学校内で順位が付けられ、優秀者は地区のコンテスト、そして州レベルのコンテストと進み、最後は全国版のコンテストに進むことができる。これを毎年繰り返せば、自分の調査、研究の意味、何を調べたかなどを人に伝える技術が上達する。日本からも毎年数チームがこのコンテストに送られる。そのチームの渡米前のトレーニングに過去数年関わっていたが、プレゼンテーション、そしてそれを英語ですることに日本人は経験が絶対的に少ない。アメリカでは理科の授業の一環として中学校からこのようなチャンスを毎年与えることで、そのような能力が自然につくような環境が作られている。これは非常に大きな差になると言えるだろう。上の写真は、「使えるものは全て使う」を実践した息子のパネル作り。

3月14日 時差ボケがきつい

今回の出張は日曜日にでて金曜日にもどる5日間の出張。日本での予定はびっちり夜まで詰まっているのと、気を抜けないものだったので時差ボケが。。。などとは言ってられず、なんとか乗り切って帰ってきた。西に向かって飛ぶ場合、あまり時差ボケは気にならないが東に飛ぶと体に応えるのは日本に住んでいた時から気付いていた。しかし、アメリカに住んでいて体内時計がこちらの時間帯にあっていればそれほど長期でない出張なら大丈夫だろうと思っていたら、そんなことはなくこっちに帰ってきてからがなんとなくおかしい。朝起きられない。春眠暁を覚えず状態。年を取ったせいか、なんだか自由が聞かなくなっている気がする。
さて、飛行機の手荷物のルールが今年に入って変わり、安いチケットでも手荷物を2つまで預けることができるようになった。それを活用し、日本に残してきたスキーを今回はこちらに運んできた。これで長いスキーではなく、短めの日本で使っていたもので滑ることができるようになる。あとはブーツが二足揃えば家族全員でレンタルを使わずに行くことができるようになった。短めのブーツがこちらのゲレンデに合うかは行ってみないとわからないが。。。

2015年3月16日月曜日

3月13日 13日の金曜日

13日の飛行機は空いているのかと勝手に期待していたが、行きの月曜日のフライトに比べると混んでいた。フライト時間は風に向かって進む西向きと違い、風に乗って進む東向きのため2時間ほど短い。上空での風は場合によっては200km/hもあるためそれだけの差が出るのであろう。写真はポートランドに到着し、入国審査、税関を終わって国際線ターミナルと離れるバスからとった機体。B767と呼ばれる中型機でありかつ他のフライトと時間が重ならないため、入国審査などで待つ必要が殆ど無い。これが、直行便で小さめの飛行場を使う最大のメリット。日本を夕方の4時過ぎにでて、こちらに到着は9時少し前。このおかげで金曜日をまるまる1日有効に使うことができる。やっぱり、東京は寒かった、というのが今回の出張の一言の感想。さて次はいつになるのやら。

3月12日 東京

今日で短かった出張も最終日(明日は移動日)。久しぶりに自分の東京のオフィスへ向かい、色々なメンバーとの打ち合わせで一日の予定が埋まっている。
今日の話題は、国際線を飛ぶ場合の荷物について。9.11発生以降、機内持ち込みの荷物は多大なる制限を受けるようになった。それまでは、手荷物として一升瓶をキャビンに持ち込むことは普通に出来たが、いまはなんと液体は100mlまで。その結果、チェックインする荷物に液体などをいれて運ぶことになるが、多くの場合チェックインの荷物は預ける段階で中身のチェックは無い。預けた後で空港の中で荷物の中がX線などで調べられ必要あれば中身をあけて調べられることになる。過去、明らかにカバンを開けられたことは何度もあって、その理由は大体わかってきた。まずは、PCをそのまま入れていると開けて調べられる。買ったばかりのPCを封を切らずにスーツケースに入れたら封を開けられてチェックをされていた。次が、大量の洗剤。これは6月に日本をたつときに預けた荷物に液体と粉石けんが入っていた。やはりこれも不審に思われたのか明けられていた。そして、今回、上記の写真の上の2つ。白いテープがアメリカ政府が開けました、ごめんなさいね、というテープ。たぶんびん詰のケチャップが気になったのだろうか。ワインや日本酒の瓶で開けられることはないのだが、ポピュラーでない便の形は通れなかったのかもしれない。開けられること自体は問題ないのだが、たまにカバンのバックルを適切に閉めずにコンベアに流してその結果バックルが破損することがあるので、そのへんは気をつけてほしいと願う(前回の出張でバックルが破損して修理したばかり)。今回は特に問題なく、上記3つの包を日本まで運び必要な場所に送ることができたので、カバンは開けられたが特段問題は発生しなかった。

3月11日 APRU meeting day2

今回の会議は珍しく議論が発散せずに、多様な意見は出たが適度なところに収まり、次に向けての議論が具体的にできる良い会議だった。運営チームの綿密な計画と適切なメンバー選定がその結果に結びついたと想像するが、レベルも高く、世界でも珍しいグループになっていくのではないだろうか。昨日のオープニングは、元財相の竹中さんが話をして結構面白い話題が色々とあった。経済と技術の進歩をどう絡めていくのか。これを世界的にスケールさせるための課題は何かといったあまり他では見られない議論に、法学部、政治学、経済学、工学などの専門家が集まっての会議で学ぶことも多かった。ぜひ次回もこの会議に貢献できればと思う。

3月10日 APRU meeting day1

今回の会議は、Association of Pacific Rim Universitiesと呼ばれる環太平洋大学連合とでも訳される大学間組織による会議。アジア、アメリカ、ヨーロッパから広くゲストが集まるため、ホスト役の慶應義塾のメンバーが麻布の国際文化会館を予約してくれ、宿泊、会議を一箇所で行うことができる。国際文化会館は、たぶん文部省(現文科省)の予算で設立された国際的な会議などを行う場で政府予算で運営されているはず。庭園は、どうして麻布のどまんなかにこんな場所が?と思うほど静かないい日本庭園が保存、運営されている。今日から明日までの1日半をここで過ごすことになる。部屋はそれほど広くはないが(かなり狭いビジネスホテル並み)清潔なのでまぁよしとしよう。

3月9日 東京到着

アメリカ西海岸からのフライトは東から西へ日付変更線を超えるため、8日の日曜日にポートランドを出発して、成田の到着は10時間後なのだが時差を足すことになり、9日の夕方に到着。成田はなんと雨。久しぶりに寒い雨。予定が詰まった出張のため、成田から溜池にそのまま移動をし、溜池にて夏に行うイベントの打ち合わせをまずは実施。相変わらずの責任が明確にならない日本らしい組織の問題のため末端が苦労する構図が数年前から変わっていないことが判明。無事にイベントが行われるのか非常に心配になる。
その後は、知人と会食。久しぶりに会うメンバーでいろいろ話すが、共通の知人の健康の話題などあまり明るい話題がない。東京へは、携帯電話のデータ通信を使わないつもりで来たため、約束をいろいろしておきながら、ネットワークでつないで連絡先や場所を確認するのに非常に苦労をする。wifiがそここで使えるようになっているが、まだまだ使えるレベルには達していないことを実感。宿泊は明日からの会議の会場となる国際文化会館。

3月8日 東京出張

東京での学術系の会議に呼ばれて、ちょうっとだけ出張に行くことになった。今回もいろいろ飛行機を選んだが、最終的には直行便でポートランドから成田へ飛ぶことにした。夜行便をつかって前回は羽田に飛んだのだが、乗り換えの時間やその他(値段など)を考えると狭い席でもこちらの方がメリットがあると信じて選択。このフライトは、日本に向かうポートランドから唯一のフライトで、ここにいる人々しか使わないようなフライトのはず。そのため、LAXやSFOの様に大型機で複数とんでいるような区間ではなく1日に100名ちょっとを往復で運ぶ路線。聞いた話ではお客さんは、ポートランドに本社を持つNikeと弊社の工場にものを収める日本の企業関係者がほとんどだとか?運良く、非常口席を予約することができなんと狭いエコノミーでも写真のようなスペースを確保することができた。ただ、ちょっと計算違いをしており、6時間程度で着くのでは?とおもっていたら冬の向かい風の時期のため10時間を超えるフライトとなり、さすがに疲れた。
さらに、この日からDaylight Saving Time(夏時間)が始まり危うくフライトを逃すところだった。

3月7日 土曜日に給油


ガソリンがなくなりかけていたために朝子供たちを学校に送ってそのままCostcoへ給油へ。こちらではCostcoで給油するのが一番安い。一時期ガロンで2USDをきっていたが、最近はまた戻して3USD弱程度。日本と比べればそれでも半分くらいではなかろうか。ガソリンの値段がこの20年ほどでこちらでは2倍以上に跳ね上がっており、高い時は(場所によっては)3倍近くまで行くことも。私が初めてこちらに出張で着始めた頃はガロンで2USDしなかったのではなかろうか?高い時期にはそれが5USDまであがり、それがまた3USD前後で上下しているのがここ数年の状況。日本では、既発油税に更に消費税が乗るという不自然な税体型のため、とても高くなっている。一応揮発油税は道路整備の財源になっているが、財務省としてはすきあらば一般会計に入れてしまおうと狙っているのは過去数年の税の議論で見え隠れしている。こちらでも税は州ごとに異なるため、一概には言えないが、ガソリンの口頭は生活に直接インパクトがあるのでできるだけコストアップにつながらない、そして安定共有に向けての施策を政府はうっているものと思われる。日本とひとつ違う点は軽油がガソリンに比べて高いこと。日本では、運送業を保護するため、ガソリンには高い揮発油税をかけ(自動車は贅沢品扱い)、軽油には低めの課税がされるために経由のほうが安く市場にはでまわる。こちらではたぶん同率の課税のため軽油が高い。さらに不思議なことなのだが、ガソリンの値段と軽油の値段の差が一定になりそうだがそうはならない。これも精製所の場所や供給になんらかの差があるのだろうか。いろいろ不思議なことは尽きない。写真はCostcoで買ったクロワッサン。

3月6日 夕焼け

雨の多い冬はそろそろ終わりのようで、雨の日が何時だったかあまり思い出せないくらい最近は天気が安定してきた。雨がふらないといっても、夜に一瞬降ってみたりと地面は相変わらず湿っているが、草木は春モードである。桜の花の写真はなんどか掲載しているが、木々の芽が出始めて枝先が緑になりつつある。日本では桜が咲くとあっという間に咲いて、風がふき雨が降って1周間もしないうちにそれがちって気が付くと桜の木に葉がつくのが今までの感覚。それがどうもこちらでは、桜の種類が違うのといろいろな種類があるためか、花がさいている時期もながい。日本ではたぶんその時期はスギ花粉の時期なのだろうが、こちらではそれほどひどいアレルギー反応はまだ起こっていない。息子はどうもその気配があり、鼻をズルズルしているが、東京の時のように目が痒くて仕方がないというほどではない。これは、こちらに来たことの最大のメリットかもしれない。写真は夕方に走った時に見かけた夕焼け。6時半を過ぎてもあかるくなりつつある。

3月5日 どこでもwifi

最近とある病院でみたwifiの基地局。たぶんCiscoの業務用のものと思われる。面白いのは、箱が天井につけられてケーブルが裸で壁を這うのではなく、ちゃんと天井裏にしまわれて、アンテナがニョキッとでている。こんな工事をしているのは初めて見た。病院ではいろいろな危機に対する要求条件が違うというのはいままでに何度も聞いたことがある。たとえば、パソコンを病院内で使うことを考えると、病室、検査室、さらにはICUなどにも持ち込む場合のそれぞれについての要求条件が違う。極端な例は、その危機が排気をするばあい、それぞれの区画を越えて持ち出せないというもの。減菌、滅菌されたICUの中に、その外から持ち込んだ機器が清浄化されていない空気を持ち込むことを防ぐためらしい。いろいろと、この基地局の設置をこのようにした理由を考えてみたが、外観以外に思い当たらないがなにか理由があるのだろう。こちらも医療機関は日本と同様、保険制度の問題に面しているが、一般的に行って日本より清潔感と安心感を与えるスペース設計になっている気がする。あまり世話になりたい場所ではないが、必要なときにはこなければならないので、保険を払っていることもあり必要に応じて利用していくことになる。

2015年3月10日火曜日

3月4日 西に戻る

今回のDC出張は、DCのダウンタウン、ポトマック川沿いのDCAと呼ばれるレーガン空港を利用。DCにはIADと呼ばれるダレス空港というのが東京に対する成田のような空港があるが、そこは遠いので今回はDCAを利用。これが昔の羽田のようなひなびた空港でなにか懐かしさを感じさせる。ペンタゴンをかすめながら飛行機が離着陸するのは複雑な思い。左の写真の先には凍ったポトマック川が見えていた。ここから6時間飛ぶと5時にDCをでて3時間時差のあるポートランドに8時過ぎにつける。1泊のとんぼ返りだったが貴重な経験ができた。東の冬は寒いことを再確認。

3月3日 Red-eye

正確には月曜日の深夜から出張に出た。飛行機はポートランドを朝の0時30分に出発、ミネアポリス(MSP)経由でワシントンDCへ。西から東へ飛ぶと、時差の分だけ時間を失うため、このような深夜の東海岸向けのフライトをRed-eyeと呼ぶ。今回は、3時間+2時間くらいのフライトでDCには11時前に到着の予定。この写真は朝の4時過ぎにMSPに到着して次のDC行きのフライトを待っていた時に、あっという間に積もった雪を撮影したもの。搭乗した時は積もっていなかったのに、30分位でこんなに積もってしまい、その御蔭でde-ice(氷雪除去)をするはめになり、すこし離陸が遅延。しかし、MSPはこういうことが日常の空港のため2台の除雪車が機体に不凍液を使って雪を落として15分もかからずに離陸をすることができ、予定通りDC到着。2年ぶりくらいのDCですが、今年の大雪のお陰で街には雪がのこち、ポトマック川は凍結してアイススケートができるような状態。久しぶりに冬の街に来た。

3月2日 un-happy Monday

月曜日の朝に起きてみたら、こんな絵がホワイトボードに。たぶん、昨晩せっせと書いたのでしょう。子供たちは土曜日に日本人学校があるので金曜日の夜にこの絵のように羽目をはずして遊ぶことはできず、日本人学校向けの宿題に時間を取られるのが一般的な過ごし方だけど、気持ちはこの絵のとおりなのかもしれない。日曜日の夜になるとなんとなく憂鬱になるのは「サザエさん症候群」と呼ばれるものでしょう。日が登る前に黄色いスクールバスに乗らなければならなかった年始だったが、徐々に日の出の時間が早くなりすこし明るくなってから家をでるようになってきたのが少しでも救いか?いずれにしも、時間はとまらず日々着々といろいろ進んでおります。子供たちは春休みに向けてすこしウキウキし始める時期かもしれない。そういえば、日本はそろそろ卒業シーズン。こちらは、進級前のコース選択や学校選択がいろいろなところで行われている模様。

3月1日 Mt.Hood

久しぶりにMt.Hoodでスキー。今年は、10日券というものを買っているので、あと5日行くことができる。ちょうど前日に雪が少し降っていたので、ゲレンデコンディションはかなり良好。もしかしたら、これで今年はこんないい状態で滑るのは最後かもしれない。いつも滑っているコースは、この日はこどものレースのためコースが制限をされている。子供たちも本気モードでちゃんとレーシングワンピを着てトレーニングをしていおり、さらに驚いたのはちゃんと旗門委員をおいている点。その辺の草レースだと、旗門委員はおかずにスタート係とゴール係プラス真ん中編のスタッフで旗門のチェックをするけど、今回の大会は2旗門ごとくらいにボランティアの旗門委員がゼッケンをチェックしながらちゃんと見ていた。
雪も良かったので十分3時まで満喫し、今シーズン最もリフトにたくさん乗る一日となった。もうすこし滑ってもいいのだが、「あと一本、それがスキーのやめどころ」というスキー安全十則にのっとって無事に帰ることにする。いつもの通り、5時には自宅。いい一日でした。

2月27日 こちらの桜

もう桜が咲き始めてからしばらく立っているが、日本のソメイヨシノのように1週間位で満開になってさっさと散るということがなく、しばらくこんな状態の木がそここにある。さすがに、そろそろ花びらが散り始めているが、まだまだこれからの木もあってまだしばらくは楽しめそう。場所によっては桜並木になっているので、そういう場所はいまは真っ白な並木になっている。
この暖かさのお陰で、芝生も青々と伸び始め、庭の芝生もシーズン最初の刈り取りを実施。ジメジメしているところの苔の対応をしたりと庭仕事が必要なシーズンとなってきた。雑草も抜かねばならず結構大変。もう寒い日はないのだろうか?

2015年3月2日月曜日

2月27日 日本から初の来客

仕事で付き合いのあった方が、西海岸での仕事のついでにポートランドに立ち寄ってくれた。カリフォルニア、ワシントンにいる知人が来てくれたことはあったが、東京からはこれが初めて。仕事を兼ねての訪問なので、昼間はびっちり打ち合わせが入って、夕方に宿泊先のシアトルに戻る合間に近所でちょっとだけビールを楽しむ。彼は、90年台の後半に数年シアトルに駐在をしていたので、この太平洋東北部(Pacific Northwest)の気候、風土をよくご存知で、冬の雨と夏の晴天についてちゃんと理解をされていた。あっという間の訪問だったが、ちゃんと依頼されたものを運んでいただく(昨日購入したもの)のと、彼へのおみやげを渡し重くなった荷物をしっかりもってシアトルに戻って行かれた。たぶん、また理由をつけてシアトルあたりへの出張をつくってそう遠くない将来に来てくれることでしょう。

2月26日 バター

ポートランドに引っ越して初めて日本からゲストが来る。そのゲストがまた変わったお友達を沢山もっており、その知人から直接オーダーが来た。その内容は、「バター買ってきて」。どんなバターがほしいのかと思い、いろいろと調査をしてみる。てっきり、地元のバターだと思って探してみるとこれがちょっとあまり選択肢がない。こちらは、日本以上に関税で守られているのかいろいろな食材店にいっても東京ほどマニアックなものがない。そこで、この日は、携帯電話をもって、もう一度ちょっとまともなスーパーへ調査と購入のためにいってきた。よく見てみるといくつかの選択肢はあるようで、まともそうなバターのどれがいいか?を写真を送りながら東京と対話をすると結局すべてを購入することに。この写真がその店にあってバターの全て(まともそうなものだけだけど)。無塩と塩が入ったものをそれぞれ買ってみた。これを飛行機に持ち込もうとすると液体扱いになるらしく、チェックインしなければならない。そのため、ポートランドに明日来てもらうゲストにはチェックインしてもらうためのかばんまで依頼したとのこと。食べ物への欲求恐るべし。

2月25日 中華

今晩のメニューは酢豚。このメニューはいつも不思議に思うが、日本で普通に食べるとケチャップベース、パイナップルなんかも時々入って、「これがなぜ中華?」となる。中華と言っても広い中国、南の香港から、北の東北部まで気候も食材も全く違う。南なら米主流だが、北に行けば小麦や高粱などが使われる。海が近ければ海産物が使えるが、内陸の乾燥した地域ではいかに食材をもたせるかが鍵となる。それがスパイス重視の四川料理などができた理由だと思っている。東京で好きだった酢豚に、黒酢で味付けをし野菜は根菜(その店は里芋っぽい芋だけ)だけ、あとはおっきな豚肉の塊。これが本当の酢豚なのだと店の店主には説明された。ちょっと調べてみると北京風の酢豚なんだそうだ。中華料理と行ってレストランに入ってもここに書くようにいろいろな流れがあるので入る前に調べていくことが大事だとおもう。ちなみに私が好きな中華は、DimSum、台湾で食べた中華が好み。

2月24日 引退試合?

娘は高校でバスケット部に入っていた。過去形なのは、この日で今期のバスケット部の活動が終わったため。前にも書いたかもしれないが、アメリカのクラブはシーズン制で、バスケットは11月から2月末まで。野球は3月から7月まで。アメフトは8月から冬まで(いつまでか明確に知らない)。というように、1年中やっているクラブは殆ど無い。なので、子供たちは上手くやると、いくつかの種目を渡り歩くことができる。この日は最後の試合だったので、初めて別の高校での試合を見に行った。バスケット部はうまい順に1軍から3軍まであって、その三軍がそれぞれ試合をする。2軍以上の観戦はなんと有料!たぶん一試合で10万円近く集めるのではないだろうか?その費用はたぶんクラブの費用や体育館の整備費用に回るのではないかと思う。ちゃんとコートには電光掲示板があって立派なし合いができる。ただ三軍の試合はとなりで行われ、あっちは無料よ!とおばちゃんに案内される。今回の数ヶ月のバスケットでいろいろと本人を含めいろいろ学ぶことが多かった。困ったのは、ここで突然やることがなくなって、家でボーっされるのが目に見えているのでなにかやることを明確にスケジュールに入れさせないと。。。。