今日は息子は、日本に帰ることになった友達と日本人学校の同学年のメンバーとボーリングに行くとかでスキーは休み。一緒によく行く仕事仲間も、土曜日にすでに行ったからと、本日は一人。
一人だと、待ち時間がないのでどんどん滑れるから、昼過ぎには10本以上のリフトに乗れてそろそろ帰ろうかという気持ちになる。朝は晴れていた天気も徐々に雪になってきたので、駐車場に向かっていた時に事故は発生。もうあとほんのちょっとという、連絡コースの脇を滑っていたところ、ほんのちょっとした吹き溜まりと窪みにスキーのトップが刺さって、前転をして転倒。斜めではなく、完全に前に放り出された形。一瞬スキージャンプのように体の背中からアキレス腱にかけてまっすぐに伸ばされる状態になり、板が外れるまでの一瞬でふくらはぎに何かが起こったことはわかった。幸いなことに関節(足首、膝、股関節)に痛みはなく、なにか違和感がふくらはぎに。体重をかけると強烈な痛み。ある角度に足首を固定するとなんとか滑ることはできる。でも歩くのはとても不自由。こういう時に限って車が駐車場の奥だったりする。もともと戻ろうとしていたところなので、できるだけゆっくり滑りつつ行けるところまでいって、あとは徒歩で車に戻る。ブーツを脱いでみるとふくらはぎの真ん中あたりの中に激しい痛み。でも関節は動く。足首をある角度で固定するとなんとか運転もできそう。ちなみに怪我をしたのは左足。クラッチを踏む回数を出来るだけ減らしてなんとかすれば帰ることは出来そう。
とまぁこんな状態で久しぶりにスキーで怪我をしてしまった。大学時代の脳震盪以来のような気がするので大きな怪我は30年ぶりくらいかもしれない。家に帰ってインターネットでいろいろと調べると、症状は肉離れ。筋肉組織が繊維方向に裂けるまたは断裂した損傷のよう。
数週間からわるくても数ヶ月で元には戻るらしい。ほんとなら病院に行きたいが、この程度ではたぶん優先順位高く見てもらえない、すなわち待たされるだろうから様子をみることにする。でも明日から州外に出張なんだな。こまったこまった。
最後のこの写真は帰り際に見つけた犬ぞりのご一行。4匹の犬が車の荷台に載せられていた。
2016年2月29日月曜日
2月20日 Pulled Pork
アメリカの南部の料理だと思うが、一種のバーベキューでプルドポークという食べ物がある。大きめの肉をオーブンにいれて、低温で数時間焼き、少し覚めたところで遷移にそってバラバラにほぐし、それにソースを掛けて食べるもの。これが結構保存もきき子どもたちにも受けるのでなんどか作っていた。年が明けてからしばらくやっていなかったので、どこで調達してきたのか巨大な豚バラ肉で準備開始。準備は前日にシーズニングを塗りこんで、一晩冷蔵庫において、それをオーブンで焼く。写真はうちのなかでも最大のダッチオーブンとなる鍋いっぱいにはいった肉が焼けた状態。いつもはフタをするのだが、今回は肉が大きすぎて蓋が閉まらなかった模様。熱が落ちた状態で、ほぐして次に日くらいに味付けをして食べられるようになる。時間はかかるが結構おいしく出来上がるのでいつもこれは好評なメニュー。
2月19日 VISA更新準備
VISAの更新の準備のために家族全員のパスポートのコピーが必要になった。白黒でまずはとって弁護士事務所に送ったのだが、カラーで必要とのこと。カラーコピーで全ページ(さらに更新をしてVISAがはられたページは古いパスポートなので、そちらも全ページ)となると莫大なページ数とコストがかかる。少し考えたら、最近はカメラで取った写真をコンピュータで傾き補正をしてコピー同様にファイルに変換してくれるアプリケーションがある。それを使ってみることにすると、これが非常にうまく機能する。上のようになにか色のついた大きめの紙のうえにパスポート(scanしたいもの)を置き、透明のシートなど(うちはテーブルの保護シートがぴったり使えた)で押さえる。あとはそれを写真でとると、アプリケーションが自動で書類の四隅を認識して傾き補正をしてコピーしたようなファイルに変換してくれる。これで数百枚に渡ったカラーコピーを自宅で終わらせ、印刷は事務所側に任せることにしてファイルを送って、終了。身近にあるものでも使い方をうまく組み合わせると簡単に済んでしまう一つの例となった。
2月18日 Forecasting / Curriculum night
息子は次の9月から高校生となる。こちらの高校は4年制なので9年生(日本の中学3年から始まる)。高校は毎年、次の学年で自分がどの授業を取るべきかを親とともに説明をうける説明会をこの時期の夜に開く。全体向けの説明というか、高校からの全体説明、そして学年ごとの説明、相談会となる。これに、来年の1年生が招かれて、高校に入るとどのような選択肢があるのかを見ることができる。そして、それらの選択をする上で必要な場合は中学のカウンセラーと相談をして授業の選択希望を出すようにと説明がある。彼は実は、普通の高校ではなく、地元の公立なのだが科学、技術に特化した高校に入れることになったので、この高校に進むことはないのだが、面白いことに高校は必要な単位をとった後、自分の高校にない科目を余裕があれば大学や、周りの高校で履修することができる。息子が行く学校はとても小さく、理系科目に特化しているので、理数系科目は多いが、それ以外の選択肢は少なく、またクラブなどは自分が行くはずだった学校に入って活動していいことになっている。というわけで、娘が以下通っているこの高校にはこの先も世話になるだろうとのことで、一応話を聞きに来たのが今日の参加の理由。
校長先生を始め、多くの先生がこの学校に自身を持っており、新入生がもし初めて見るとすると驚くような演出は話題が数多くあった。どの学生も有意義な4年間を送ってもらいたいと思う。
校長先生を始め、多くの先生がこの学校に自身を持っており、新入生がもし初めて見るとすると驚くような演出は話題が数多くあった。どの学生も有意義な4年間を送ってもらいたいと思う。
2016年2月28日日曜日
2月17日 Senior Patrol Leader
今日は先日のボーイスカウト活動での興味深い出来事について書いてみたい。
ボーイスカウトの活動は、子どもたちを6-7人のグループにして日本では班、英語ではpatrolという単位で行われる。この班(patrol)が複数あつまって隊(troop)ができる。隊の責任者は大人が追うので、それが隊長(Scout master)となる。このパトロールを取りまとめるのが誰か?ということになるが、それは隊長であるべきではなく、子どもたちの輪の中から選ばれた上級班長(Senior Patrol Leader:SPL)、いわゆるお兄さん役がやるべきとボーイスカウトが出来た時から決まっている。この上級班長が非常に重要な役割をはたすのだが、日本では6年生から中学卒業までをボーイスカウトとしているので、年追うごとに年長者が退団していき先細りになる。そして、その結果、上級班長候補者は非常に限られていき、多くの場合選択肢がなくなり自動的に残っている年長者がなることがおおい。運が悪いと適任者なしで指導者(大人)が触接スカウトたちに指示をだすことも普通に起こってしまう。その上級班長だが、日本での指導者の研修などにいくと、この上級班長の決め方は選挙にして選ぶというルールを教えられるがそれができる隊はあまり多くないのではなかろうか。前置きが長くなったが、この夜はその選挙が行われた。この選挙がまたしっかりしており、SPLの候補者2名のスカウトが、前に出て自分がこの隊をどうしていきたいのか、何を変えたいのかを演説する。候補者はお互いの演説を聞くことは出来ない。片方が演説をしている間は別の部屋で待つことになる。演説が終わると、合計で5つの質問を受けることになる。そのうちの一つは現在のSPLが聞く。今日の候補者二人は、一人目がいかにもリーダーシップがありそうな少年、そして二人目はいかにもおりこうそうな少年。スカウトからの質問はとても興味深いものが多く、自分たちの生活がどう変わるかをちゃんと聞いてくる。安っぽい質問はSPLがうまくはねて、ちゃんとした本質的な質問を投げかけさせる。なかでも一番良かったのは、掟(ボーイスカウトには誓いと掟がある)を一つなにか加えるならなにを加えるか?という質問。これには候補者も全く予想していなかったようで面白い回答は得られなかった。
選挙の結果は、リーダーシップをもつスカウトが選ばれ一月くらいの引き継ぎ期間をもって正式SPLとなる模様。こうやってリーダーシップが育つのだろう。。。
ボーイスカウトの活動は、子どもたちを6-7人のグループにして日本では班、英語ではpatrolという単位で行われる。この班(patrol)が複数あつまって隊(troop)ができる。隊の責任者は大人が追うので、それが隊長(Scout master)となる。このパトロールを取りまとめるのが誰か?ということになるが、それは隊長であるべきではなく、子どもたちの輪の中から選ばれた上級班長(Senior Patrol Leader:SPL)、いわゆるお兄さん役がやるべきとボーイスカウトが出来た時から決まっている。この上級班長が非常に重要な役割をはたすのだが、日本では6年生から中学卒業までをボーイスカウトとしているので、年追うごとに年長者が退団していき先細りになる。そして、その結果、上級班長候補者は非常に限られていき、多くの場合選択肢がなくなり自動的に残っている年長者がなることがおおい。運が悪いと適任者なしで指導者(大人)が触接スカウトたちに指示をだすことも普通に起こってしまう。その上級班長だが、日本での指導者の研修などにいくと、この上級班長の決め方は選挙にして選ぶというルールを教えられるがそれができる隊はあまり多くないのではなかろうか。前置きが長くなったが、この夜はその選挙が行われた。この選挙がまたしっかりしており、SPLの候補者2名のスカウトが、前に出て自分がこの隊をどうしていきたいのか、何を変えたいのかを演説する。候補者はお互いの演説を聞くことは出来ない。片方が演説をしている間は別の部屋で待つことになる。演説が終わると、合計で5つの質問を受けることになる。そのうちの一つは現在のSPLが聞く。今日の候補者二人は、一人目がいかにもリーダーシップがありそうな少年、そして二人目はいかにもおりこうそうな少年。スカウトからの質問はとても興味深いものが多く、自分たちの生活がどう変わるかをちゃんと聞いてくる。安っぽい質問はSPLがうまくはねて、ちゃんとした本質的な質問を投げかけさせる。なかでも一番良かったのは、掟(ボーイスカウトには誓いと掟がある)を一つなにか加えるならなにを加えるか?という質問。これには候補者も全く予想していなかったようで面白い回答は得られなかった。
選挙の結果は、リーダーシップをもつスカウトが選ばれ一月くらいの引き継ぎ期間をもって正式SPLとなる模様。こうやってリーダーシップが育つのだろう。。。
2016年2月20日土曜日
2月16日 卒業に向けて
こちらの高校の課題は、穴埋め問題を提出するレベルではなく、自分で課題を設定して、授業で理解したことをレポートにするようなものがある。年末から年始にかけて数学と物理においてそのような課題が出ており、実験計画、実験、レポート作成というような連続作業をずっとやっていた。ところどころで、説明や支援を求められるのでうちになかにあるホワイトボードはいつもなんらかの説明や手順がずっと書かれていた。
やっとのことで提出が完了したようで、会社から戻ってきたらホワイトボードがこのような状況に。ホントは、その前に下のような記載もあったのだが、縁起が悪いので綺麗にしたら?とのアドバイスでこちらになった模様。ここでの苦労は必ずどこかで役に立つのでどんどん苦労してもらいましょう。
やっとのことで提出が完了したようで、会社から戻ってきたらホワイトボードがこのような状況に。ホントは、その前に下のような記載もあったのだが、縁起が悪いので綺麗にしたら?とのアドバイスでこちらになった模様。ここでの苦労は必ずどこかで役に立つのでどんどん苦労してもらいましょう。
2月15日 ボーイスカウト活動に復帰
今日から正式に息子は地元のボーイスカウト活動に参加。制服は一応手元にあるのだが(大昔に作業着にでもとおもってかったまま使っていないもの)、ワッペンが貼れていないので日本の制服を最後の記念にとすそを急遽伸ばし(10cmくらい伸ばしたらしい)このような姿に。2級に至らずに日本を出てしまったのだが、それまでに習得した内容はぜんぶこちらで振り替えてくれるとのこと。たぶんそう遠からず日本の2級(2nd class)になれるといいのだが。日本でもEagle Scoutは有名だが、こちらのEagleはBSに上申した時からプロセスがはじまる。なので、日本の菊に近い感じだが、難易度はそれよりは高いが富士よりは容易なようにみえる。こちらの高校は4年あり、その4年間をBSとして活動することができるし、日本のベンチャーのように別に活動することもできる。いろいろな意味で柔軟性があり、それぞれのスカウトごとに合わせられるのはいいことに見える。スポーツをやっている子供も多く、その場合はシーズン中は活動には出られないことが多くなる。でも、それをnegativeに考えないで欲しいと、隊長からはいわれた。どこのリーダーもいうことはおなじなんだと感じた次第。3月にはキャンプ(舎営)があるようなので、それが大きなイベントの最初になる模様。興味がもしある方がいれば連絡ください。詳しい内容を触れていきますので。
2月14日 自転車の街ポートランド
ポートランドは全米で一番自転車にやさしいまちらしい。その理由は、自転車向けのレーンの整備や優遇が一番進んでいるとのこと。自転車をそのまま電車に持ち込むなんてことは日本では考えられないが、こちらではふつう。電車の中に自転車を置く場所があり、駅までつーっと自転車できてそのまま自転車とともに電車にのって会社までなんて姿も一般的。残念ながら今住んでいる場所はまたもや丘の上なので(私の人生は10歳位から大学に入るまでだけが平地であとはずっと丘の上)自転車はちょっと使いづらい。この写真は土曜日にダウンタウンで見かけた子供を二人載せられる特製自転車。いままでに移動花屋を自転車でやっている人や、移動コーヒーショップをこのような自転車でやっている人を見たことはあったが幼児を載せているのは初めて見た。作りはちゃんとしており、後ろのハンドル操作が前輪にちゃんと伝わる仕組みになっているし、前輪はなんとディスクブレーキ。これに乗れる時間は子供にとっては短いだろうが、これでいろいろなところに行けたらそれはそれで幸せなのだろう。値段はいくらするのだろう。
2月13日 すこし晴れ間
昨日から少しだけ雲が切れて雨が途切れる時間ができたので久しぶりに家の周り走ることにする。
灰色の雲に覆われているとまだまだ冬が終わらない気がするのと、夏の間のあの青い空を忘れてしまうのだが、このようにすこしでも雲が切れるとそういえばそんな季節も会ったのだと想い出す。日本は今が一番寒い時期かとおもうが、気温で言えばこちらは春に向かっていることを感じることができる。でも明日からは気温も高い中で雨がふるようなのでスキーはやめにすることにした。
灰色の雲に覆われているとまだまだ冬が終わらない気がするのと、夏の間のあの青い空を忘れてしまうのだが、このようにすこしでも雲が切れるとそういえばそんな季節も会ったのだと想い出す。日本は今が一番寒い時期かとおもうが、気温で言えばこちらは春に向かっていることを感じることができる。でも明日からは気温も高い中で雨がふるようなのでスキーはやめにすることにした。
2016年2月12日金曜日
2月12日 朝から事故
会社まであともう少し(写真の目の前の森を抜ければもう会社が見える)という場所で今朝は事故。ゴミ収集車に誰かが突っ込んだ様で完全に道を塞いで事故の処理中。こちらでは事故が起きると、消防自動車がきて火事に備える。日本のようにコンパクトなポンプ車なんかではなく、でかいはしご車が来るので、はしご車は道いっぱいに斜めにとまる。そうすると、往来は塞がれるので、事故処理がおわるまでほぼ通行止め。仕方ないので、右側のビニールハウスの先を右に回ってぐるっと遠回り。これだけで20分以上を無駄にしてしまった。けが人はいなさそうなことだけが良かった点かもしれない。
2月11日 木材運搬用機関車
日本人コミュニティーでのイベントがあったため、ポートランド動物園の近くの施設に行って見つけたのがこの機関車。もう夜だったので全体の写真を取ることが出来なかったのだが、非常にユニークな機関車だったので、その部分だけでもと思い撮影をした。なにが普通の機関車と違うのかというと、ピストンの位置が運転席の両側に上下方向に片側三連でつけられている仕組みだったこと。この機関車は、木材運搬用でたぶん非常に重い貨車を引くために特別に設計されたもので、ピストンが片側に3本なので合計で6本、その上下の動きを車両の前後方向に伸びる軸に回転として伝え、その軸から車輪へは写真にある歯車で力を伝えている。たぶん、低速での走行だが強いトルクで山間部から木材の搬出に使われた車両だと思われる。とてもおもしろい作りの機関車だったので次回は昼間に十分時間を撮ってみてみたいと思う。ちょっと検索をしたらこちらに詳しい説明が会った。
2月10日 パンク
こちらにきて三回目のパンク。朝会社に行こうと思い、ガレージから車を出したら音がおかしい。すぐそこで、ジャッキをあげてタイヤをはずすとこのような状態。スペアタイヤに変えて、会社には向かい夕方に戻り自分で補修材をつかって穴を埋めて修理完了。空気を入れるのが一苦労で、自転車用のポンプを数えきれない回数で空気を送り込んで適正気圧まで入れた。どうするとこんな釘がタイヤに刺さるのだろうか。この釘の長さは10cmくらい。それの半分くらいがタイヤに刺さっていた。前回は、刺さった釘がサイドウオールを突き抜けていたので、修理不可能でタイヤ交換となった。これがスタッドレスに変える少し前の秋だったかと思う。日本では自分で車を持つようになってからのパンクは1回しか経験していないのだが、運が悪いのだろうか。
2月9日 future city initiative
今日は、内閣府主催の会議がなんとダウンタウンで開催されるとのことで、朝から参加をしてみた。中身は、内閣府がすすめる地方創生を海外とも協力をして知見の共有をしようというもの。
しかし!残念なことに日本からの発表、話は「私たちはこれをやっています」というものに終始して、どこに工夫があるのか、どこに苦労したのかという大事な中身が無い。お金を出している内閣府が、ここにお金をつけたんだというのは、まだ許せるけれども、貰った側は、もらったお金をこう使いましたじゃなくて、もっと具体的ななにが問題で、こうやって解決しているという議論に持って行かないといけないのではないかと聞いていた感じた。特に、この予算が切れた時に、地方の自治体だけでプログラムを続けられるかが鍵となるはずなのに、その議論が全く無い。終わってから、たまたま面識が過去からある現柏市市長と立ち話をしたが、いかに中央政府の関与(お金を含めて)を減らすかが、地方が生き残る道だということで盛り上がってしまった。これも見方をかえれば一種のバラマキなのでばらまいたあとに芽が出るか予算執行を評価する仕組みが必要なのではなかろうか。
しかし!残念なことに日本からの発表、話は「私たちはこれをやっています」というものに終始して、どこに工夫があるのか、どこに苦労したのかという大事な中身が無い。お金を出している内閣府が、ここにお金をつけたんだというのは、まだ許せるけれども、貰った側は、もらったお金をこう使いましたじゃなくて、もっと具体的ななにが問題で、こうやって解決しているという議論に持って行かないといけないのではないかと聞いていた感じた。特に、この予算が切れた時に、地方の自治体だけでプログラムを続けられるかが鍵となるはずなのに、その議論が全く無い。終わってから、たまたま面識が過去からある現柏市市長と立ち話をしたが、いかに中央政府の関与(お金を含めて)を減らすかが、地方が生き残る道だということで盛り上がってしまった。これも見方をかえれば一種のバラマキなのでばらまいたあとに芽が出るか予算執行を評価する仕組みが必要なのではなかろうか。
2月8日 春到来?
外気温が10度を超える日が続くようになってきた。昨日は山の上にいたが、こちらが10度を超えるとあの山の上でもプラスの気温になっているのではなかろうか。そんな気温を感じてか、写真右側の牧草は徐々に伸び始めている。さらに、畑では春に向けての準備作業がはじまり、こういう畑に面する道路に泥だらけの農耕車の通った後がつく時期になりつつある。
2月7日 Mt. Hood Day 5
今日で今シーズンのスキーも5日目。すこし今週は暖かかったので、下の方は雨まじりの雪だったようだが、今朝は気温が下がったので雪の状態は悪く無い。しかし、上に上がってみると、写真のように湿っぽい雪に強風が吹き付けてできた風紋のような状態のバーンができていた。これは、先週もすべった一般的なスキー場内のバーンではなく、天気と雪の状態が許される時だけ出られるいわゆるオフピステ。上から見るとこの風紋はあまり良くわからず、すこしうねっているくらいに感じるが滑るとこれが手強い。風が当たる場所の雪は締まって、その裏は柔らかいなど自然の影響がとても良くわかる。この1本をおりると合計で2km以上を滑ることになるので、何本もとは行かないが空いているときはできるだけ滑ってみたいバーンだ。
2月6日 家探しは続く
年末から続けている家探しは、一瞬決まりかけたのだが、値段の折り合いつかず振り出しに戻ったまま時間が過ぎている。候補はところどころ出てくるのだが、これ!というものに出会えない。よくよく考えると、12月中頃に見た家がその当時の予算から考えると高かったが、今になると相場観もわかってきたので、いい選択肢だったのではと思ってしまう。今日も、日本人学校に迎えに行く前に1件open houseの家を見てきた。どうも、芸術家の家のようで、家中に作品が飾られており、家の一部はアトリエとなっていた。前にも金属をつかったオブジェをつくっていると思われる芸術家の家をみたが、今回の家はそれよりも写真や雑誌の切り抜きなどを組み合わせてるくるコラージュによるものを作っているようだ。家を見るよりも、それらの作品の方に興味が行ってあまり家自体を見ないで帰ってきてしまった。見晴らしのいい場所に行こうとすれば、急坂。便利な地域に住もうとすると車がうるさい(といっても東京に比べればどうってことないが)。さて、いつまでこの家探しは続くのだろう。
2月5日 携帯を忘れ痛い目にあう
今週こちらで大きめの会議が会ったため多くの日本の人びとが西海岸に分布しており、今日もそんな方と話をするチャンスがあった。まだ日本を離れてそれほど立っていないが、なんだかこの2年ほどで大きくいろいろなことが変わっているようだ。灯台下暗しのようなこともあるが、長年染み付いたやり方、文化はすぐには変わらないようで、痛し痒しといったところか?こちらにいると、そうも言ってられないので、みんな背水の陣でいろいろなことに取り組み、いろいろ試しているというのがこちらの文化なのではなかろうか。
夜は近くのビールレストランで食事でもという話になり、その前に時間が会ったので走りに行って、急いで約束の時間に現地に行ったが来る気配がない。失敗だったのは、携帯を家に忘れてレストランに行ってしまったこと。そのために、自分が送った時間指定の連絡が相手に伝わっているかの確認ができない、さらに現地から来るべきメンバーに連絡も取れない。なんとももどかしい30分を経て無事に関係者とあうことができ昼間の続きの話をいろいろと聞くことが出来た。いまの時代携帯を忘れると痛い目に会ういい例を実現してしまった。もう、駅の小さな伝言板にチョークで行き先を書き込む時代ではないのを実感。
夜は近くのビールレストランで食事でもという話になり、その前に時間が会ったので走りに行って、急いで約束の時間に現地に行ったが来る気配がない。失敗だったのは、携帯を家に忘れてレストランに行ってしまったこと。そのために、自分が送った時間指定の連絡が相手に伝わっているかの確認ができない、さらに現地から来るべきメンバーに連絡も取れない。なんとももどかしい30分を経て無事に関係者とあうことができ昼間の続きの話をいろいろと聞くことが出来た。いまの時代携帯を忘れると痛い目に会ういい例を実現してしまった。もう、駅の小さな伝言板にチョークで行き先を書き込む時代ではないのを実感。
2016年2月11日木曜日
2月4日 季節の変わり目?
牧草地やその他の地域が土色だったのが徐々に緑色が強くなってきて、花のにおいなども感じるようになってきた。寒さも12月が一番寒くて、徐々に緩んでくるのがこちらの気候らしい。日本では、2月にロシアから降りてくるシベリアの風が一番寒いのだが。
それが理由か、雨もなんとなく切れ間があり、昨日の帰りは低い雲がなく、こんな感じで着陸前には私が住んでいる地域の夜景が綺麗に見えた。この写真の主翼を伸ばした方向がポートランドダウンタウン、主翼のすこし左前あたりの丘になる部分がいま住んでいるところ。ダウンタウンは山陰の向こう側に超えた部分なのでこの写真では見えていない。
スキーをやる立場からするともうすこし寒くなって雪が降ってくれても良いのだが。。。
それが理由か、雨もなんとなく切れ間があり、昨日の帰りは低い雲がなく、こんな感じで着陸前には私が住んでいる地域の夜景が綺麗に見えた。この写真の主翼を伸ばした方向がポートランドダウンタウン、主翼のすこし左前あたりの丘になる部分がいま住んでいるところ。ダウンタウンは山陰の向こう側に超えた部分なのでこの写真では見えていない。
スキーをやる立場からするともうすこし寒くなって雪が降ってくれても良いのだが。。。
2月3日 日帰りでCalifornia
今日も日帰りでCaliforniaへ出張。行くとなるといろいろと会うべき人が出てきて、一日の予定がびっちりとうまってしまう。ちょっとしたことで、予定が崩れかねないのだが、今回は無事に目的終了。今回は初めて飛行機の一番後ろの席に座ることになった。この飛行機、エンジンが後ろにあるためこんな角度でエンジンに一番近い席に座ることになる。最新の飛行機なのでそれほどうるさいとか振動があるとか問題は全く無いのだが、小さめのエンジンが動き出す時など興味津々で覗き込んでしまった。別に大した差はないのだが。
雨のオレゴンから、晴れたCaliforniaで数時間を過ごし、夜には曇ったオレゴンへのとんぼ返り。前線があったのか、帰りの飛行機はこれまでになく揺れた。
雨のオレゴンから、晴れたCaliforniaで数時間を過ごし、夜には曇ったオレゴンへのとんぼ返り。前線があったのか、帰りの飛行機はこれまでになく揺れた。
2月2日 早起き開始
今朝から息子は高校のトレーニングルームを借りてのウエイトトレーニング。その御蔭で、彼の姉と一緒に高校行きのスクールバスに便乗して朝は高校、トレーニング終了後は車で高校から家に一度戻り中学校へという生活となる。これが6月まで週に2日の予定で入ることになった。そもそもは高校のフットボール部(もちろんアメフト)が、今度入学してくる選手希望者向けに始めたトレーニングを野球のチームにも開放してくれたもの。息子の話では、2人位がフットボールの選手、そこに2名だけ野球選手が交じることになったらしい。これで子どもたちはしばらく日の出前に家を出て登校する生活が始まった。せっかくなので、私もその時間から動き出すことにして、今日は会社に向かう車の中から日の出を拝むこととなった。
2月1日 Boy Scout of Ameria
そろそろボーイスカウト活動に現地で加わってみようかと思い、今住んでいる地区の活動を今日は見学。近所でリーダーをやっている肩の紹介で月曜日の夜7時からの活動に参加。まぁ目からうろこのような、新しい体験で勉強になった。まず、いわゆる日本で言う朝のセレモニーに相当するものは、すべて高校生が仕切る。高校生が仕切るのを6年生から高校生までのスカウトたちが従い、今日の予定、今後の予定などを確認していく。まぁ、高校生がやるのでゆるいといえばゆるいのだが、それはそれで本来の役割分担と大人がかかわらないという点では良い運営に見えた。どうも、この地域では大きな隊らしく子どもたちは20人くらいしかこの日はいなかったけれども、登録は100人を超えているらしい。なにが手伝えるかまだわからないが、まずは加わってみることにしてみよう。
1月31日 Mt. Hood 4日目
前の週に天気があまりよくなさそうだったので休んだスキー。今週は学校のツアーは最終日。その最終日を飾るような、最高の積雪と天気。この写真は、ゲレンデから外れたオフピステの沢に降りる斜面。天気と雪の状況が良ければ、このように開放され自然の斜面と新雪を楽しむことができる。たぶん、昨年は雪が少なかったために一度も開くことがなかった斜面。日本だと想像ができないが、こんな斜面も天気と状況で判断をして開けてくれるところがスケールの違いにつながっているのだとおもう。ここは、圧雪車もスノーモービルも入れないので、事故が起きればパトロールのそりで下ろすしかない。それを覚悟で入る人はどうぞというのがスキー場のたちばなのでしょう。パトロールも定期的に見まわっており、雪の状況は時々確認をしていた。この上部では表層雪崩が起きたりもしていたので、かなり神経は使っているのだと思う。これも日本では見たことがないが、スキー場のパトロールがスキーヤー向けに雪崩対策の安全講習会をやってもいる。一度はどこかで出てみたいとおもっているが、滑るほうが忙しくまだ参加したことがない。
1月30日 ちょっと早い誕生日
2日ほど早いのだが、今日は娘の誕生日ということでダウンタウンのイタリアンレストランへ。日本人学校が終わってそのままダウンタウンへ直行したので、最初のdinnerの客となった。この店は12月に一度来ており、その時に人生で最高のイタリアンだったとの本人の希望により再度ここが選ばれた。日本でいい店には連れて行っており、特段何かがすごいということはないのだが、どうも彼女が水牛のモッツァレラチーズにやられたらしい。よく多摩センターで水牛のを手に入れて買っていたのを記憶していないのだろうか。
いずれにしても、適度な量と味で、適切な値段で楽しめる場所を見つけられたので、イタリアンが好きな人が来た時には良い候補の一つを見つけることが出来た。写真は、最後に誕生日用に用意してくれたケーキ。予約の時に誕生日だからと言っておいたのが良かったかもしれない。
いずれにしても、適度な量と味で、適切な値段で楽しめる場所を見つけられたので、イタリアンが好きな人が来た時には良い候補の一つを見つけることが出来た。写真は、最後に誕生日用に用意してくれたケーキ。予約の時に誕生日だからと言っておいたのが良かったかもしれない。
1月29日 漢字
ポートランドには、中国人、インド人、韓国人などアジアからの人々がたくさんいる。太平洋側だからかもしれないし、住みやすいというのも手伝っているからだと思う。時々、街を歩いているいかにもアメリカ人が日本語のTシャツを着ていたり、日本語が書かれている服を着ていたりするのを見つけることがある。こちらの高校では、第三外国語に日本語を学ぶことができる高校があり、日本語のコースがいくつかあるらしい。娘も、高校の日本語コースのTA(先生の助手)をしていたりもする。たぶんクリスマスツリーを切りに行った時に見かけたと記憶しているが、スエットパンツに、高校名と日本語コースと日本語ででっかくプリントしたものを履いている学生にあったこともある。意味がどれくらいわかっているのだろうかとよく思ってしまう。中身がある言葉なら良いのだが、どうみてもおかしな使い方とか時々見かけるので。Tシャツならいいのだが、これが刺青だったりするとその間違いを指摘するのも気が引けてしまう。今日の写真はそういう一つの例である場所で見つけたポスター。ヘルメットには八甲田山のシール。このポスターはロッククライミングのポスターなのだが、八甲田山ってロッククライミングで有名だっけ?
1月28日 生卵
ここで生活していて時々気づく日本との違いはいくつかある。例えば、牛乳の質が日本と大きく違い、薄っぺらい牛乳ばかりの選択肢しかなく、息子はいつも日本の牛乳を恋しく思っている。
もうひとつ、身近なもので大きな違いが卵の料理方法。日本もそうだが、サルモネラ菌に対する注意喚起が非常に強く行われており、卵は完全に加熱処理をして食べることが求められている。牛肉もO157のおかげで随分と厳しくなって、ひき肉をレアで出すような店はかなり少なくなってしまった。この結果、半熟卵にかかわるようなメニューはほとんど見ることがなく、日本で普通にみられる卵かけごはんなんでもってのほかとなっている。でも、すこし年の入った人とロッキーの映画を覚えているかい?あのなかで生卵を飲むシーンが有ったでしょ?70-80年代まではアメリカでも生卵を普通に食べていたんだと話すと、そういえばそうだったと同意してもらえる。たぶん、理由は流通が全米に広がり新鮮なものばかりが食卓に並ぶわけではなく、長距離を移動したものを口にする可能性もあるため、安全側に行政側が指導しているからだろうと予想している。今日の写真は、サルモネラに気をつけろという注意喚起の巨大な広告を見つけたので撮影したもの。ちなみに、私の家では卵は一応新鮮なものを手に入れた時には普通に半熟を楽しんでいる。元気なうちだけしか出来ないかもしれないが。
もうひとつ、身近なもので大きな違いが卵の料理方法。日本もそうだが、サルモネラ菌に対する注意喚起が非常に強く行われており、卵は完全に加熱処理をして食べることが求められている。牛肉もO157のおかげで随分と厳しくなって、ひき肉をレアで出すような店はかなり少なくなってしまった。この結果、半熟卵にかかわるようなメニューはほとんど見ることがなく、日本で普通にみられる卵かけごはんなんでもってのほかとなっている。でも、すこし年の入った人とロッキーの映画を覚えているかい?あのなかで生卵を飲むシーンが有ったでしょ?70-80年代まではアメリカでも生卵を普通に食べていたんだと話すと、そういえばそうだったと同意してもらえる。たぶん、理由は流通が全米に広がり新鮮なものばかりが食卓に並ぶわけではなく、長距離を移動したものを口にする可能性もあるため、安全側に行政側が指導しているからだろうと予想している。今日の写真は、サルモネラに気をつけろという注意喚起の巨大な広告を見つけたので撮影したもの。ちなみに、私の家では卵は一応新鮮なものを手に入れた時には普通に半熟を楽しんでいる。元気なうちだけしか出来ないかもしれないが。
1月27日 渋滞
今住んでいる場所は、息子の中学校と敷地が接するような場所で学校にとても近い。学校への登下校は歩ける距離の子供は徒歩、自転車、スケボーなんでもありで通ってくる。遠い地域のこどもは黄色い例のバスを利用。しかし、一部の子どもたちは保護者による車での送り迎えを使っており(理由は定かではないが)、朝と下校時間に家の前の道がこんな状態になる。理由は、学校の公式な駐車場に車を停めるには時間がかかるため、徒歩で生徒が出てこられる裏門の近くで生徒を拾うまたは落とそうというため。学校からは見えない場所なので、交通整理もはいらず周りの住民はちょっと不便を強いられる。最近は、どうもこの保護者のマナーが悪いため、校長から保護者向けにルールの徹底の案内が度々出るような常態。この写真でわかると思うが、道の両側に同じ方向に向かって車を止めている。そして、見づらいがその結果、真ん中の赤い車が外に出ようとしても向かってくる車とすれ違えずに動きが取れなくなる。こういう基本的な交通ルールというかマナーが守れないドライバーがいるとルールがきつくなる。移民がおおいと仕方ないのだろうか。日本では交差点の前後30mは駐停車禁止なのだが、そんなルールはこっちではまったくなりたたない。ほんと一部だけなのだが、自分だけはとおもう民族がちょっとでもいるとこういうことがおこる。
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