2017年12月28日木曜日
9月30日 Aladdin Theater
昨日いった映画館の中身の説明をしていながら、中身の写真が無かったのでサイズとか伝えきれなかった感もあるので、もう一度映画館ネタを。この写真を見て気づいたが、建物は映画館ではなくで劇場だったようだ。写真のように舞台にスクリーンを設定して映画の上映に対応しているが、よく見ると2階席が舞台の左右にあったり、照明が映画館的なものではなかったり。これを見ていただけば大体のサイズ感が伝わるのでは。ぜひこの劇場にまた別の機会に来てみてみたい。次の週は映画ではなくてコンサートのようだった。
9月29日 クラシックな映画館
ポートランドには昔ながらの建物が多数残っており、それが積極的に保存されるような仕組みを街としてもっている。今晩はスキーの映画を見にダウンタウンまで来た。小さなプロダクションが作る映画で、所謂ロードショーにはならないもので、毎年この時期に全米のスキー熱が高い街を転々と順番に回って上映をしている。今年の会場は、映画館そのものでこじんまりしているが、とても古さを感じる映画館。最近の巨大化商業化したものとを上映するのではなく、ショートフィルムや小さなプロダクション、そして演劇などを週替りで開催しているようだ。椅子は昔ながらのビロード生地(もちろん古くてくたびれている)のクッションの椅子。中ではビールも売られ、ビール、ワインを片手に持ちながら映画を楽しむことができる。残念ながらちょっといまアルコールを抑えている私は我慢の約2時間。映画はいつもどおり迫力のあるものだった。いままではDVDまたはデータを買って家で見ていたが、こっちに来てからは秋に出演者も含めて実物を見られるので劇場に来ることにしている。車で25分位のところで実物が見られるならこっちの方がいいかな。
2017年12月27日水曜日
9月28日 峠を越えると
今日から1泊でMt. Hoodの南東側にあるNative American保護区にあるホテルにてある会議に参加。Mt.Hood 自体は緑の深い森に囲まれているが、南東側に山を下ると30分位走ると徐々に木が低くなり、最後は草原、乾燥地帯となる。その中を流れる川沿いにNative Americanの居留区が保護区となっており、歴史的な漁をしながら部族としての生活を続けている。しかし、不便なところにあり、都市部からは離れていることで住民サービスが不十分だったりすることもある。居留区の部族が持続して行くためには自給自足していくか、なんらかのビジネスを居留区の外に対して行っていかなければいけない。それを支援する意味で、連邦、または州政府からの援助がありリゾートホテルのようなものがあったり、カジノが併設されていたりする。それがいいのかどうかは議論が有るのだが、彼らが何らかの収入を得るためには外に何かを売るか、外から人が来ないといけない。今回の会議は、政府に関わる実験設備がそのホテルに併設(たぶんホテルの場所を借りることでお金が落ちている)されており、それを理由に開催された。この保護区、動物も保護されており、野生の馬が群れを作って道路際の草を食べるのを見ることができたりする。
9月27日 誕生日プリン
我が家ではいつの頃からか、息子の誕生日にはケーキではなく、誕生日ケーキと同じ大きさのプリンを作ることが定着している。今年も1日遅れたが、誕生日プリンが完成した。これだけ大きいと固まるまでに時間がかかるためか、中心部分と外側は食感が少し違う。味が濃く、滑らかなのは中心部分。カップのプリンでは作れない味になる。年に一度の家族の楽しみ。
9月26日 ソファー改修の途中経過
ソファーの外張りの張り替えを依頼していた工房から外身を剥がして、中を見るいいチャンスなので見に来ないかとの連絡があったので、早速見に行ってみた。そこで言われたのは、このソファー、ほぼ確実に戦前のもの。そして、もしかしたら100年位たっているかもしれないらしい。さらに、いままでに3回位外側のカバーを張り替えているらしい。足がとても重厚にできていて、非常に重いので古いとは思っていたが、そこまで古いとは予想していなかった。中身は、バネと馬の毛を使ったクッションらしい。馬の毛はクッションの素材としていまでもドイツ車では使われていると言われた。そして、その上に羊毛のフエルト(それが見えているもの)でカバーされているそうだ。オークで作られているフレームが頑丈で傷んでいないので、そのまま修正なく利用が可能とのことなので、あとは指定した生地で外側を覆ってもらうことになる。それにしてもそれほど古いものだったとは。。。。
9月25日 班長会議
月末の月曜日はいつもの隊集会ではなく班長会議が行われる。班長があつまって次の月、そして3ヶ月先くらいまでのプログラムの具体的な議論と確認をする場。ここも基本はスカウトたちが自分たちが実施したいプログラムをうまく組み合わせていく。ここに参加していない班長の所属する班は、自分たちのやりたいことを伝えることもできないし、どのようにこの先のプログラムが準備されるかも把握できない。班長がクラブなどで参加できない時は、代理を出すようにと毎回言われるのだが、徹底しない。ちょうど夏の大きなイベントが終わったばかりですこし緊張感が緩んでいるのかもしれない。
9月24日 Oregon Air Show
今年のOregon Air Showは9月の末の本日開催となった。今年は金曜日の前夜祭(リハーサルと花火)、そして土日の本番と、本番が1日多い。いつもは日曜日だけが本番なのだが、飛行場の都合からか今年は1日多かった。恒例のパラシュートで国旗をもったジャンパーが降下するのを皮切りに、民間、軍用機、歴史的な機体織り交ぜてのアクロバット飛行やデモンストレーションが4時間ほど続く。今年は残念ながら、例年のアクロバットチーム(日本で言うブルーインパルスのようなもの)が来なかったので、すこしこじんまりとした印象。昨年はブライトリングのチームの演技に比べ、ゼロ戦が陸軍の機体と海軍の機体の両方を見ることができたので感動モノだった。それでも、例年通り最新鋭の戦闘機や、P-38といった第二次大戦で活躍した機体なども飛んで十分お金を払ってみる価値あるイベントだった。10年以上前のカメラを使っているので飛んでいる飛行機をオートフォーカスで追うのは難しく、マニュアルフォーカスのいい練習になる。上の写真はもちろんマニュアルフォーカスで撮影したもの。それなりに繊細に撮れているのではないだろうか。
9月23日 辛さの中に香りを見つける
今日は土曜日で息子は日本人学校。その帰りに近所のスーパーで食材を補給。このスーパーはいつも何らかの食材の試食をさせてくれる。今日は写真のようなホットソース(辛いソース)の味見ができた。通常、こういうソースの味見なんてするチャンスがなくて、ラベルか想像で買ってしまうが、味見ができるのならと、いろいろ味見をさせてもらう。辛さの順番がわかっていれば、あまり辛くないものから試すのだが、最初からハバネロを味見してしまい、口の中が火事状態。でもすこし時間をおいていくつか(全部ではない)を味見してマイルドな辛さの中に香りのいいものを一つ購入。味見をしてみると、それぞれ目的を変えて使えそうなのでいくつか欲しくなってしまうが、時間が立つと香りも飛んでしまうので今回は1本だけの購入で踏みとどまる。
2017年12月25日月曜日
9月22日 wreath交換
秋に入ったこともあり、玄関のWreath(リース)を秋のものに交換。本来は自然の葉や実を使うのだが、今回はimitationを利用。その御蔭で、毎年繰り返し使うことができる。この玄関のWreathを変えることで結構季節感がいい意味で変わってくれる。こちらは、あと一月でハロウイン、そしてそのあとはThanksgiving、そこまで来るとすぐに12月のクリスマス。これからクリスマスまで毎月なんらかの行事がありあっという間に新年まで時間が進むのがこちらでの秋と冬の時間の感覚となる。Thanksgiving もクリスマスも家族と過ごすといった行事なので、プレゼントを買ったり、買い物をしたりと、アメリカでの消費が上がる特異点なので経済指標もこの時期で測られるようだ。
9月20日 秋の雲
そろそろ秋の気配か、雲が少し増えてきた気がする。今年の夏は雨がとても少なく乾燥しきっている。9月のはじめに火がついたHood riverの山火事はまだ消えてないらしい。雨が振り始めるまでは消えないようだ。幸いなことに、これ以上の延焼はないようだが。いずれにしても夏はそろそろ終わり、そして雨の季節がすぐそこまで来ている。
9月19日 Tシャツの歴史
今日も先日の50周年記念ネタ。
アメリカでは一般的なのかもしれないが、我が隊では毎年の夏のキャンプ前に全員でTシャツを作る。今年はイギリスでボーイスカウトを始めたベーデン・パウエルの写真にサングラスをかけさせたもの(一番左)だった。それを元隊長がこの隊に加わった9年前からさらに数年前まで遡って展示したのがこの写真。この絵も毎年スカウトが書いたものを選挙で選んでいる。どれを見ても味のあるものばかりで、夏に日本に帰国した時には10枚位を買っておみやげに日本のスカウト関係者に配ったりもした。また来年も残っている在庫を買い取っておみやげにしてみよう。
アメリカでは一般的なのかもしれないが、我が隊では毎年の夏のキャンプ前に全員でTシャツを作る。今年はイギリスでボーイスカウトを始めたベーデン・パウエルの写真にサングラスをかけさせたもの(一番左)だった。それを元隊長がこの隊に加わった9年前からさらに数年前まで遡って展示したのがこの写真。この絵も毎年スカウトが書いたものを選挙で選んでいる。どれを見ても味のあるものばかりで、夏に日本に帰国した時には10枚位を買っておみやげに日本のスカウト関係者に配ったりもした。また来年も残っている在庫を買い取っておみやげにしてみよう。
9月18日 50年前のバックパック
私が高校生時代はちょうどバックパッキングブームが日本に入ってきた時代で、それまで帆布でつくったキスリングとよばれるザックが、アルミフレームの背負子にナイロン生地のものに取って代わられようとした時代だった。結局、あの背負子文化はアメリカでも短命で80年代後半には上下方向にながいまのアタックザックと呼ばれる形に集約されていく。しかし、フレームの技術はなくなったのではなく、そのザックの中に内蔵されていくことになる。そういう意味でこの時代のフレームザックはなくなったわけではなく、その技術はいまのザックに残っているのかもしれない。左の写真は昨日の50週年の式典に初代のスカウトだった方が持ってきた当時のフレームザック。それもBoy Scout of Americaのロゴ入りなので貴重なものと言える。街の骨董品屋でも数十ドルで売られていそうなものだ。数ヶ月前に見かけた陸軍の背負子も50ドル位していた。その時は背負子だけでリュックサック部分は無かったので通信兵が無線機などを背負っていたものかもしれない。
9月17日 発隊50周年記念式典
私が現在登録している隊が創立されたのが1967年の10月ということで今日は発隊50週年の記念式典。流石に初代の関係者を探し出すのは、移動の激しいアメリカでは難しかったが、数名の関係者が設立当時の状況を話にゲストとして参加してくれた。さらに、過去にSPL(上級班長)経験者の数名もゲストで参加し、ボーイスカウトの隊に置いてSPLを経験することが自分の人生においてどれだけ役に立ったかなどを話してくれ、現役世代には役に立ったのではなかろうか。さらには、過去にこの隊に所属し、いまは空軍におり、アフガニスタンに派遣されていたスカウトがその期間に部隊が使用した星条旗(国旗)を隊に送ってきて、Flag retirement ceremonyをしてほしいとの依頼の話など日本では触れることがない話題など貴重は機会だった。ちなみに、日本もアメリカも国旗の扱いはとても厳密に決められている。日本で私が触れたことがない儀式の一つが国旗の引退儀式だ。こちらでは、国旗がある期間の使用を経た場合、それを焼却をしてその国旗としての役割を終了させる。2年前の夏のキャンプでも、同じキャンプ地を利用していた隊が自隊の古い国旗を引退させる儀式を行い、それにたまたま同席することができた。その国旗がどのような経緯でその隊に渡ったのか(その隊の国旗は刑務所だったかが移動する際に、地元の隊にその国旗が寄付されたといった話だった記憶がある)、そしてその歴史を説明した上で、キャンプファイアーの残り火で国旗を燃やし切る。最後にその灰を持ち帰りflag retirement ceremonyのcampfire ashとして記念に持ち帰る。その儀式をアフガニスタンから持ち帰った国旗で行ったほしいとの依頼がフロリダだったかテキサスから送られてきたそうだ。いつそれを行うのかは分からないが、隊としてのつながり、そして国への奉仕という意味でたぶん隊長はプログラムを作ることになるのだろう。
9月16日 薪割り
さて、本日は朝から薪割り作業。直径80cm以上の輪切りになった丸太が大量に運び込まれ、それを細切りにしていく。写真では見えづらいが左側に置かれている大きな輪切りの丸太を、手前に積まれているサイズに割っていく。これをだいたい30名弱の大人と20名位のスカウトで、運び込み、薪割り、運び出しと分担をして作業をすすめる。朝8時過ぎから始めた作業は1時過ぎにはほぼ終了し、小屋の入り口を吹雪から守るように薪を積み上げた壁で10m位の通路を作り、その上にトタンをかけて今日の作業は終了。これで春までの薪は十分足りるそうだ。
9月15日 山小屋冬季準備作業
ポートランド地区が管理するボーイスカウトの山小屋がMt.Hoodに2箇所あり、毎年9月にその年の冬に使う薪の準備をまわりの隊からのボランティアで行っている。私は初めて今回そのボランティアに参加。Mt.Hoodのスキー場から少し下がった非常に便利な場所にあるロッジは1955年にこの地域の連盟に寄付されたようだ。広さは50人以上が十分に暖かく泊まることができるサイズで、大昔に私が八ヶ岳で使わせてもらっていた上智大学の小屋よりもずっと大きい。この小屋を拠点にスキー、スノーシュー、スノーハイク、クロスカントリースキーなんでもできるようだ。金曜日の今日から各隊がはいって、実際の作業は明日の1日で行う予定。
9月14日 夕立を空から見る
一昨日のCalifornia出張の帰りに変わった風景を機上から見ることができた。右の写真がそれで、Calforniaの北部の乾燥地帯で、昼間の上昇気流でできた雲から局地的な雨が降っているようで低層の雲から雨が地上に降っている様子が見えた。地上の雨雲レーダーとあわせて見ると、まさにちょうど局地的な夕立のようで本当に限られた場所(雲のある場所だけ)でおこった気象現象を、日没直前の真横からの光で見ることができた。これも貴重な写真の一つとなった。
9月13日 そろそろ秋のはじまり
朝晩の気温も下がり始め、日照時間も徐々に短くなってきて、あと10日で秋分。まわりの木々も一部葉が黄色くなり始めた気がする。ここに移っている大きな樫の木やクヌギの木はこれからの二月くらいですべての葉を落とす。まだ想像できないけれども、徐々に秋は近づいているようだ。
9月12日 日の出とともにCaliforniaへ
本日も日帰りでCaliforniaへ出張。朝一番の飛行機なのでちょうど日の出直前に離陸して、しばらくして日の出を拝むパターン。それを予想して今日は左側の席を確保してまどを見ていると、ちょうどオレゴンの最高峰のMt.Hoodを拝みながらのご来光となった。一瞬のことだけれどもこんな風景を見られるのは貴重なので毎回用心深く飛行時間と座席の位置を考えるようにしている。
9月11日 Senior Patrol Leader Election
本日は、半年に一度の私達が所属するボーイスカウトの隊の上級班長(Senior Patrol Leader)の選挙の日。前にも書いたが、非常に幸いなことに、この隊はスカウトの人数が多いからか、正しく選挙を行いスカウトたち(子どもたち)が自分たちの上級班長を選ぶことができる。日本にいた時にも、隊運営の基本として班長、上級班長はスカウト同士が選ぶことを基本として習うが、それを実際に行っている隊に出会ったことはない。大抵の場合は、大人がリーダーシップを取れそうなスカウトを班長として任命し、上級班長に至っては最上級学年で参加率が高いスカウトが自動的になるような仕組みだった。実際に選挙をやろうにも、候補が少ない、投票者も少ないと選挙自体に意味が薄れてしまい実施していないところが多いのではなかろうか。その結果、子供達に選ばせるという自覚を植えるチャンスを失ってしまっていることにこの隊にきて初めて気がついた。適切でないスカウトが班長や上級班長になってしまうリスクは有るが、半年が任期なのでその間大人がしっかりサポートをすればいいのかもしれない。実際、この隊ではそれで機能している。そんなことを考えさせる選挙の日だった。
9月10日 Native American Culture
息子とともに今年の夏からボーイスカウトの中にあるあるコミュニティに参加している。そのコミュニティはNative Americanの文化をスカウト活動に取り入れているために、多くのなくなりつつある古き良きNativeの人々の文化に触れることができる。部族の中の信頼できる人間として認められて行く過程をスカウト活動の上進の一部に当てはめ、焚き火を囲んで部族がその人間を認めるかを決める風習を使って新しい仲間をコミィにティに迎える儀式など知らない人間からすると驚き、その演技に感動する。それらの儀式に参加するメンバーはNativeの人々が当時まとっていたコートをキャンプの夜には着用する。
息子がそれらのキャンプにこれから定期的に参加することになったため、そのコートを作って欲しいをいい出した。幸いなことに、近くにNative Americanの文化を売りにするウール地の専門店があり、そこに作ってもらうこともできるのだが、今回は生地と型紙を買ってきて自家製のウールのコートを作ることにした。これでコストは半分以下。それでも地元産のウールの生地をコートに出来るだけ買うと$200を超える材料費。さて、どんなコートが出来上がるのだろう。
息子がそれらのキャンプにこれから定期的に参加することになったため、そのコートを作って欲しいをいい出した。幸いなことに、近くにNative Americanの文化を売りにするウール地の専門店があり、そこに作ってもらうこともできるのだが、今回は生地と型紙を買ってきて自家製のウールのコートを作ることにした。これでコストは半分以下。それでも地元産のウールの生地をコートに出来るだけ買うと$200を超える材料費。さて、どんなコートが出来上がるのだろう。
登録:
投稿 (Atom)