2017年10月25日水曜日

9月1日 たぬきか?

近所の猫なのか黒い猫が突然庭に入ってきて、のっそのっそと歩いているのを発見。家から私が出てもまったく身構えることなく、自分の行きたい方向にしばらく歩いた後に、すこし戻ってきて、すこし距離をおいた場所に寝転んだのが左の図。かなり太っていて毛の長い高そうな猫。だけど、手入れがされていないのか毛並みはあまり良くない。洗って櫛でも通せば高級感がでるのだろうが、このままでは昔は高かったがいまは野良猫と言った雰囲気。この猫の雰囲気が、東京で住んでいた多摩を題材にした「耳をすませば」に出てくる猫に似ていた。あのアニメの猫は汚くはないので、こいつをキレイにすればもうすこし近くなるかもしれない。どこの猫なんだ?離れていると太っているのでたぬきにも見えてしまう。

2017年10月19日木曜日

8月31日 黒電話

こちらのアンティークオークションで手に入れた黒電話。何かに使えないかといろいろ考えた末、家の中の内線電話(インターホン)として利用することに決定。秋葉原の秋月電子にアナログ電話交換器シミュレータが有ることを知っていたので、東京からくる知人に買ってきてもらって半田付けをして制作する図。小1時間いろいろな調整をした結果、懐かしい家中に響き渡るベルの音。電子音ではなく、物理的なベルの音は家中の壁を伝わって家中に存在感を示してくれる。新学期の朝はこのベルで目をさますことになりそうだ。

8月30日 夏も終わり

キャンプも終了、リレーも終了、夏にやるべきことはほぼ完了。あとは、雨が降る前にこの青空の下でビールを楽しむくらいだろうか。雨が降る直前にオレゴンではぶどうの収穫とワインの仕込みがある。9月の末は、どうしてもマラソンの準備などもあり、あまりワインナリー巡りなどをしていないのがちょっともったいない。ビールにはあまり新酒とか季節感はないのだが、ワインは秋に収穫、そこから仕込みと季節感がある。これからは食べ物、飲み物のいい季節になっていく。

8月29日 メダルに刻印

土曜日にゴールしたリレーの完走記念にメダルが貰えたのだが、名前とタイムが空欄のままだった。スポンサーになっている、スポーツ用品店に今週のうちに行けば、記録を彫ってくれるとのこと。せっかくだから会社のあとでお店にメダルを持っていくと、卓上の機会ですぐに彫ってくれた。このようなメダルをどこかに飾るわけではないが、タイムに関係なくこのようなものは記念になるので嬉しいものだ。
私の部屋には、ボロボロになったゼッケンと、このようなメダルが徐々に溜まってきている。

8月28日 朝焼け?

今年はいろいろなところで山火事が多く、東の空が煙っているときが多い。今朝も、朝日がのぼる時刻の空がこんな感じで、東の空が白く曇ってしまっている。これはたぶん山火事の煙などの粒子のお陰で夕焼けのような朝日となってしまっているものとおもわれる。あと一月くらいして雨が降り出すまでは、山火事が完全に収まることはないのかもしれない。

8月27日 テント干し

私がMt Hoodから海まで走っている間、息子はMt. Hoodの北側の山々を移動キャンプしていた。日本でいう縦走とまでは行かないが、テントを背負って1日で15-20km位を歩いてきた模様。私も昨年は一緒に歩いたコースを今年もほぼ同じコースで歩いてきたそうだ。これを歩ければ、次のさらに長距離のコースにも挑戦できるので、入門コースとしてこのプログラムは確立された感がある。来年は、New Mexicoの長距離移動キャンプに挑戦するので、春先から同じようなトレニングが再開されることになる。

8月26日 Hood to Coast Day2

昨日から走り始めたリレーは、夜中にポートランドダウンタウンを抜け、朝の2時過ぎに2回めのバトンが回ってきて、10km弱の住宅街の中を走り抜ける。途中で、鹿の親子、一人者のコヨーテと遭遇。真っ暗なところなので、ルールで付けなければいけない、前を走るランナーの点滅ライトだけが目印。無事に、次のランナーにバトンを渡し、バン1号車はつかぬ間の休憩となる。車を次の出発地点まで移動させて、まずはみんなで仮眠。といっても2時間位しかないのだけれども、くさっパラにテントマットをひいてシュラフに潜り込む。まだ8月なのに海が近いせいか寒くてあまり眠れない。そうこうしているうちに、時間となってバン1号車の先頭ランナースタート。私はバン1号車の最終ランナーなのでまだ数時間の猶予があるのだが、そんなのはあっという間に過ぎてしまい私の順番に。しかし、運悪いことにレースのバン渋滞にハマり、中継地点にランナーより先につけるか怪しくなってきたので、車を降りてウオーミングアップを兼ねて走り出す。中継地点の2マイルは手前から走ったのではなかろうか。あと1マイルくらいというところで、なんと自分のチームのランナーが後ろから来てしまい、仕方なくそこでウオーミングアップは終了、ハイペースで走り始める。この結果、最後の私の走行距離は規定よりも1km以上長いものとなってしまう。山道をくねくねとゆるく下りながらちょっと時々登るようなコースで今回も1時間弱程度で中継地点に到達!これでバン1号車の役割は終了。海岸のゴール地点までいってあとはバン2号車のランナーを待つばかり。走り始めたのは金曜日の午後1時。チームの最終ランナーがSea Sideのゴールに到着したのが土曜日の5時前。合計で27時間位で無事に全員ゴール!これは面白いレースだった。マラソンとは簡単には比べられない、10kmスプリントを3回夜中を含めて走るようなものな。12人で一緒に(といっても全員の顔を見られたのはゴールが初めて)走って海がゴールってのもなんとも言えない。ぜひ来年も出てみたいレースだ。

8月25日 Hood to Coast Day1

オレゴンには変わったレースがあり、Mt.Hoodと呼ばれる氷河のある山から太平洋までの320kmをリレーで走る。日本にいたときからこのレースのことは聞いていたので興味があったのだが、今年は運良く会社の知人の紹介でこのリレーに参加することができた。簡単にルールを書くと、12人が1区間7-10KM前後を3回づつ走る。バン1台に6人づつ乗車して2チームが協力をしてタスキを繋いでいく。山から降りるので最初は強烈な下り、その後ポートランド市内をかすめて、山を一つ越えて太平洋に下るコース。スタートは写真のような素晴らしい天気。年によっては雨にも降られるらしいがうまくゴールまでもってほしい。10月のポートランドマラソンに向けて良い調整になるのではなかろうかと思う。

8月24日 夏休みもほぼ終了

今日は、息子の高校の新学期開始準備のための登校日。1年間使うIDの写真の撮影(左の写真)、教材費の納入、時間割の確認などを1日ですませる。この時間割の確認が重要で、日本の大学のように希望する授業を先学期の最後に学校に伝えて、学校が組んだ時間割にその希望の科目を割り当てた結果が返ってくる。運が悪いと希望の組み合わせが取れない(同じ時間に授業がある、今年の開講がないなど)。そうすると、n場合によっては別の授業を入れ替えてみたりと細かい調整を行う必要がある。さらに今年は、保護者情報の申請をオンライン化したのだが、それがうまく動いていなかったりと学校はちょっと混乱気味。新学期までにはたぶん解決していることでしょう。気分的には、これで子どもたちは夏休みの終わりを実感する。

8月23日 デザイン

この左のロボット何でできているかわかるだろうか。私も近くまで行くまで気づかなかった。これは、梱包に使う発泡スチロールを組み合わせつ作られたもので、たぶん廃棄されたものを集めてデザイナーが作ったものなのではないだろうか。置かれていた場所は、ポートランドのデザイン会社の受付。そこには、その会社がデザインに関わった多様な製品がショーケースに並べられており、その反対に置かれていた巨大なロボットがこれ。2階分の吹き抜けのスペースなので、大体の大きさは想像いただけるかと思う。デザインと言う言葉は、多様な意味を持つが、メッセージ性をもつなにかを想像できる「デザイン」はこれからの世界とても大事なのだと再認識。

8月22日 Native American Art

今年はNative Americanの絵、デザイン、衣装などに触れる機会が不思議と多い。筆やペンで書くものよりも、石や木に彫ることで残されたデザインが多いためか、直線的な図案、または木を掘ってできる版画的な図案が多く、それが特徴的な印象を与えているようなきがする。
今日もたまたま知人のところで見かけたタペストリーにそれらしい鳥の図案をみつけたので撮影したものがこちら。織物もとても特徴的なデザインで不思議なことに日本のアイヌの図案とも共通点があるようなきがする。部族ごとに違う感覚を持つらしいので一度ゆっくり勉強してみたいと思う。

8月21日皆既日蝕

今日は数十年に一度と言われる皆既日蝕。残念ながらポートランドでは皆既にならないために、昨日のうちにオレゴン中部のMadrasという街まで移動して、日本から来ている観測チームに合流した。
天気は、100点とまでは言えないすこし靄がかかる朝で徐々に薄くなっては来たが、残念ながら完全にそれが晴れることはなかった。その結果、皆既になった状態でも回折して光が届いてしまうため、真っ暗にはならず、明るさは夕方程度。それでも、このようなダイヤモンドリングの撮影ができたので十分価値は会ったと思う。この綺麗なコロナとダイヤモンドリングを見たあとなので、帰りの大渋滞はまぁしかたないでしょう。一生の記念になる1日だった。

8月20日 中学生向けプログラミング教室

息子のロボットのクラブの活動費集めの一環で、中学生向けのプログラミング教室をするらしい。有料で行われるコースで、一般のNPOや学校がやっているものと同じような値段を集めているらしいので、責任も重い。そういえば、夏休みの始まる前にロボットを持って、各中学を回っていたのはこのためだったのか。1週間のコースで実際に子どもたちは小さなボードコンピュータを触りながらプログラミングを身につけるらしい。講義資料、講師などすべて生徒が自分たちで役割をもって準備している。大人の関与は無し。たぶんお金の管理だけなのではなかろうか。講義する側も受講する側もかなり役に立つコースにだと思う。あとで資料だけ貰おうか。

8月19日 University of Oregon

娘の夏学期が終わり、寮を追い出される時期になったこともあり、久しぶりにEugeneまで迎えに行く。この大学、NIKEの創業者が卒業をした大学ということもあり、NIKEとの関係が深い。この陸上競技場も創業者の名前がついていたり、ビジネススクールも創業者名がついていた記憶がある。アメリカでは、大きな寄付をしてくれた人や会社の名前を競技場、建物、そして学部につけたりする。その意味ではUniversity of OregonはNIKEの色がとても濃い。

8月18日 Sauvie Island Farm

東京から知人家族がポートランドにきたので、子供も楽しめるSauvie Island Farmへベリー狩りにいってみた。相変わらず広くて、日が昇ると暑くて大変だが、涼しいうちに到着できたので、シーズンも終りに近いラズベリー、ブルーベリー、そして野菜を少々収穫。ここは秋にはなにが取れるのだろう?

8月17日 ハチに刺される

刺されたのは丁度手にしていた革の手袋なので実害はまったくないのだが、思いっきりこのミツバチ尻尾の針をこの手袋に刺して針を残して飛んでいってしまった。針を残して飛んで行くということは、このハチの生命はもう短いのかな?そとでBBQの用意をして火の用意をしていたらこのハチが寄ってきて最後には刺された次第。なにが気に障ったのだろうか?痛い思いをしないで済んだのでどうでもいいのだが、珍しいところをゆっくり観察することができた。

8月16日 Eagle court of honner

アメリカのボーイスカウトの最上級のくらいであるEagle Scoutの授与式が今日は行われた。場所はいつもの隊集会を行うプロテスタントの教会ではなく、そこから来るまで10分位走ったカトリックの教会。この教会の近くはよく通っていたが、中に入るは初めて。祭壇の後ろが大きな窓になっており、夕日がそこからお御堂に差し込む配置になっている。プロテスタントの教会はいい意味で質素。そして、あまり堅苦しいことは言わない。それに対してカトリックは荘厳さと豪華さの混じった作りでプロテスタントの対極に有るように思う。どちらがよくてどちらが悪いということはないが、両方を見る機会に恵まれ、さらにどちらの信者でも無い中立な立場でそれぞれの教会を見るととても興味深い。

8月15日 まがい物

たまたま新聞に乗っていた写真を見ておや?と思った。記事は、南米でデモに参加した教師とのキャプションが付いているが、それはどうでもよくて、気になったのはヘルメットのロゴ。このロゴは、日本が世界に誇るヘルメットブランドAraiのロゴをもじってAkaiとしているように見える。ヘルメットは命にかかわるものなので、類似品に手を出す人はあまりいないと思うが、途上国ではこんなのも出回っているのだろうか。それにしてもこのロゴのシールは先進国で売ったらすぐに類似品として取り締まられてしまいそうなくらい、元のブランドにそっくりだ。

8月14日 終戦記念日

8月14日の夕方は日本の15日。8月15日は終戦記念日で、日本ではいろいろな行事がおこおなわれるが、こちらもそれほど目立たないが新聞などには太平洋戦争が終わった日として歴史に関わる記事が紙面にのる。ここ数年、太平洋戦争に従軍した兵士が持ち帰った日本軍兵士もっていた国旗などを日本に返還するNPOの記事が今年も新聞に掲載されていた。旗には、出征時の持ち主の兵士の名前、それを送った地元の人々の寄せ書きなどが一般的。それらから地元を割り出し、関係者を探し、そして残った家族に届けるというとても手間のかかる作業をNPOを立ち上げた夫婦が地道に行っている。それを知ったアメリカの遺族(本人が持ち帰って仕舞っていたものを見つけ出した家族)が時々そのような旗を送ってくるらしい。その数はどんどん積み上がり、いまとなってはかなりの数になっているそうだ。

8月13日 庭で夕食

暑さも徐々に落ち着きつつあり、夕方には涼しさが戻ってくるようになった。折角、庭で使えるテーブルを昨年の夏の終わりのセールで手に入れたので、それを活用することにして、夕食は庭で。まだ暑いので、野菜と鶏肉を中心におかずを作ってもらい、夕涼みをかねたひととき。まだまだ日は長く、9時近くまで明るいので照明なしでも充分に夕食を楽しめた。

8月12日 ソファー張替え

家を買った時についてきたというか、前のオーナーが置いていったソファーを張り替えることにした。猫がいたようで、いろいろな場所に猫による傷みが散見され、カバーを掛けけて隠せる度合いでも無いので、思い切って張替えに出すことに。依頼先は、前にも書いたかもしれないが、ザックの修理を1年前にだした工房。そこのおじいさん、ベトナム戦背のベテラン、山岳ガイド、クラシックカーマニアと修理の話以外の話題で常に1時間以上は横道に脱線する。今日は、近所のDIY屋からトラックを借りて工房までソファーを運び込んだ。そのソファー、大きくて古いので強烈に思い。さらに。運び出そうとしたが玄関のドアから出せるサイズではない。なんと玄関のドアを外して(このドアも非常に重くて手こずった)、やっと外に運び出すことができトラックに息子と二人でなんとか積み込んで運搬完了。金属を全く使っていない、木のフレームのソファー。どんなものに蘇るのだろうか。修理代金は結構掛かるが良い物になってかえってくるだろう。写真は、工房のおじさんのガレージ。ここにMGを始めイギリス製のオープンカーが三台収まっている。

8月11日 いちじく

日本でもいちじくは秋の果物だと思うが、オレゴンではそろそろ近所のいちじくが市場に出始めたようで、野菜売り場にならんでいた。一般的には紫のものをよく見るが、このまだ熟れていないように見える緑色のものもかなり甘くて美味しい。生のいちじくが食べられる時期は多分一月くらいしか無いので、これも秋を気づかせてくれる果物の一つ。遠くから運べば食べられるのかも知れないが、地元のものを限られた時に楽しむのが自然にあっていて、ありがたさを感じられていいいのではなかろうか。

8月10日 OA burger burn

今週は毎晩なにかしらボーイスカウトのイベントが入っている。今晩は、日本で言うと地区の円卓会議が行われる日。その日には、地区の隊からOA(Order of Arrow)のメンバーであるスカウトが集まって、OAのプログラムに関しての打ち合わせや議論をしている。しかし、今日は夏のキャンプもおわり、各隊のリーダーの労を労うためか、OAグループがハンバーガーを100人分以上焼いて円卓に参加する指導者たちに振る舞うことになった。夕方のすこし早い時間に円卓の会場となる教会の会場に向かい、そこから近くの隊がもっているBBQ道具一式を大きなトラックに載せて運び火を付け100枚を焼き始める。無事に大人たちに行き渡った後にはOAのメンバーが残りをおかわりとしてもらえたようだ。我が隊のスカウトは4枚のパテを挟んだ特製バーガーにありつけた図がこの写真。徐々にこのような夏の終わりの行事が所々で見られるようになってきた。

8月9日 年プロ会議

アメリカは9月からが新学期。すなわち今は学校や子供の関わる組織は年度末。そこで、私達の所属する隊では班長以上を集めて、2018年度の年間プログラムを立てる会議を実施した。年間のプログラムは、上級班長を中心に、班長達が希望をだしてそれをまとめていく。隊長はそれを聞きながら現実的なスケジュールにそれらをはめていくという作業になる。この会議でTroop728の2017年9月から2018年8月までのプログラムが確定した。気の早い話だが来年の夏のキャンプの日程までこれで決まったので夏休みのカレンダー半分くらいがこれで埋まったことになる。あっという間に1年がまた立つのだろうか。あー夏休みが終わってしまう。

8月8日 サンドイッチ

日本でサンドイッチというと、耳を切り落とした白い食パンの間になにかを挟んだものが一般的だが、こちらではなんでも挟んだものはサンドイッチとなる。個別に別の名前を持っているのは、ハンバーガーとホットドックくらい。左の写真はコーンビーフが手に入ったので、自家製コールスローと硬めのパンでつくったサンドイッチ。コーンビーフも日本だと缶詰にはいった繊維がばらばらになった牛肉を想像するが、こちらではしっかりと塩析して味を染み込ませた牛肉をオーブンで焼いたものをコーンビーフと読んでいる。日本で時々見かけるパストラミハムに近い感じかもしれない。

8月7日 隊集会

キャンプが終わって我が隊は通常モードに復帰。毎週月曜日の活動がいつもの場所で行われる。いつもの屋内スペースは暑いので、日が影ってすこし涼しくなった外での活動となった。何故か理由は分からないが、今日の活動は写真でわかるかもしれないが上級生の参加率がいつもよりも少し高く、その逆に下級年代の参加率が低いように感じる。夏休みで家族で出かける率が若いほうが高いからだろうか。

8月6日 表面剥がし

日常の食卓に使っているテーブル(これも家に置き去りにされていたものを再利用している)の表面のニスが汚くなってきてベタベタするので、すべて一度剥がしてみることにした。手作業でヤスリで剥がせばいいのだが、それにはかなりの紙やすりと時間が必要となるため、新兵器を導入。マキタ製の小型のサンダーを使って、ひとまず表面のニスを今日は落としてみる。簡単に剥がれるかと思いきや、電動器具を使ってもそう簡単には行かない。手持ちの紙ヤスリを幾つか使って、完全に落とすのではなくて汚い部分を中心に全体をつや消し状態にしてしばらく様子を見ることにする。思った以上にニスの層は厚かった。

2017年10月5日木曜日

8月5日 NYLTは無事終了

息子が月曜日から参加していたNYLTキャンプは今日土曜日の夕方で無事に終了。キャンプ場まで迎えに行き、キャンプSTAFFと共にキャンプ場で食事をして帰還。案の定、とてもいい経験だったようで、来年は教える側にまわるとのこと。そのための募集要項を帰りにもらい、冬の面接のスケジュールまで確認をしていた。来年の夏はキャンプ場で多くの時間を過ごすことになるようだ。

8月4日 とうとう靴が破れてきた

2年前の9月にマラソンの直前で買った靴がそろそろ寿命となりつつある。2年はいているので1000kmはゆうに超える距離を走ってくれており、ソールがかなり薄くなってきていて、早く変えなければと思いつつ新しいものを買えないでいた。先月も商品を見にいっていながらまだ買っていない。この破れは気づいていなかったので、そろそろ本気で手配しないと行けない。次のレースは今月末のリレーなので、それに間に合うように履いて慣らすにはもう時間はあまり残っていない。

8月3日 BSA National Jamboree

2年前の山口での世界ジャンボリーか2年。次の世界ジャンボリーはカナダ、アメリカ、メキシコの北米3カ国の共同開催としてアメリカで2年後の2019年に行われる。今年はその2年前のPre-JamboreeとしてアメリカのNational Jamboreeが同じ会場で開催された。2015年の2年前の2013年に日本も日本ジャンボリーを開催し、それを世界ジャンボリーの事前大会として関係者を招き、事前調整を行った。今回もその目的で、世界中から関係者を招き2年後には多くのスカウト、関係者に参加してもらえるようにキャンプサイトのお披露目などいろいろなことが行われたようだ。一方、National Jamboreeに参加したスカウトはそんなことは知らず、ただでさえ、広いアメリカの国中(さらに国外のBSAの隊も参加しているはず)からスカウトが一堂に会するので、それだけでも感動モノだったようだ。写真は、月曜日の通常の隊集会にNational Jamboreeに参加したスカウトが期間中に国中のスカウトと交換したワッペンなどを行かなかったスカウトたちにみてもらうために展示しているシーン。これだけのものを手に入れたということは、同じ量を相手に渡しているのでかなりの量のワッペンを用意していったものと思われる。送る側の親の負担も大変なんだろうと他人事のように想像してしまった。2年後の世界ジャンボリーの準備は順調に進んでいる様で、山口に参加したメンバーも次にはまた行くのか?といったメッセージが飛び交っていた。さて、私はどうしようか。

8月2日 なんと気温38度

本日の外気温、会社の周りは38度まで上がった模様で、家に帰ってきてみると家の周りは36.5度だそうだ。そして、この温度計が設置されている場所は6時過ぎで28.5度。日本だと冷房の設定温度程度だろうか。海側からの風が入らずに、熱い空気がそのまま居座っているようでここ数日とても暑い。山の中でキャンプしている息子たちも結構暑いのではなかろうか?なんだか今年の夏はいつもより暑い夏だそうだ。ちょうどアメリカに来た3年前も暑かった。あの時は住んでいたアパートが強烈に熱くて、苦労した思い出がある。8月に入ったので、これから徐々に暑さは和らぐことを期待して乗り越えるしかなさそうだ。

8月1日 不思議な包

昨日の仕事に行く時にもらったお弁当を包んでいたのがこの包。すこし大きめのバンダナのサイズでお弁当以外も包めるようになっている。四隅の二箇所が鬼の顔とこちらの顔。あとは唐草模様で包むとこんなふうに見えるようになっている。日本で手に入れたらしいが面白いものがあるものだ。こういう簡単なものでも一捻りするのは日本の技のような気がする。あまり他の国の製品でこのような捻りを見かけることはない。これからしばらくお弁当はこの包となりそうだ。

2017年10月4日水曜日

7月31日 National Youth Leadership Training

息子は、私の出張と同じ日からボーイスカウトのキャンプに1週間参加して、その次の週はたぶん家でゴロゴロしていたと思われる。しかし、今日から今度は別のトレーニングキャンプに参加することに。National Youth Leadership Trainingと呼ばれるキャンプはある一定レベル以上のスカウトたちを集めて、ボーイスカウトの基本理念とともにリーダーシップを身に着けてもらうトレーニングを行う。参加者のレベルが一般の隊のキャンプに比べて高いために、興味のあるスカウトにはとても響くトレーニングのはずなので息子には昨年から参加を勧めていた。今日が第一日目なので、会社を午前中休ませてもらい、ポートランドと太平洋の間をよこたわる山脈にあるキャンプ場で彼を落としお昼前には会社に戻る。そして、今日から私は通常営業に戻ることになった。かなり人里離れた場所のキャンプ場なので楽しい時を過ごせるのではないかと期待する。

7月30日 乾燥した夏

今年は冬にたくさんの雨が降って、ポートランド地域はすでに年間降水量を平年分に対して超えている。しかし、夏は非常に暑く、乾燥したものとなり、カリフォルニアからオレゴン、ワシントン、そしてカナダのブリティッシュコロンビアまでずっとその状態が続いている。その結果、それらの地域では多数の山火事が発生しており、飛行機からでもそれが確認できる。左の写真はサンフランシスコからポートランドに向かう飛行機から見えた山火事。山火事は、一度起こるとこの広大な大地の中では消すのが非常に大変。なかには一月燃え続けるような山火事もある。身勝手な願いかも知れないが、晴れの中にも多少の降雨があってバランスが取れるといいのだが。

7月29日 Farmers Market

オレゴンに戻ってきたのは金曜日。1日あけて今日は土曜日で、息子は日本人学校。息子がいないうちに、久しぶりに近所のFarmers Marketに買い物に行くことにした。いまが、Farmers Marketの一番いい時期で、野菜も果物も豊富で店の数も一番多いのではなかろうか。今日の収穫は左の写真の通り多様な野菜に加えて地元で作られたスモークサーモン。トマトなどの夏野菜はあと1-2ヶ月すると徐々に少なくなってくので楽しむのは今のうち。残念ながら庭に植えたトマトの苗はぐんぐん延びているが実がまだつかない。

7月28日 しばらくさようなら

長かったようであっという間に過ぎ去った日本出張。今回の仕事は今までにない現場仕事で久しぶりに貴重な経験をすることができた。多くの人々と会うこともできたし、満足の行く結果を得られたと思う。なにもこの暑い時期に行かなくてもいいのにと毎回思うので、来年はできれば夏を外して出張が入ることを期待しよう。これでオレゴンに戻ると、7月も終わり。日本は夏休みが始まったばかりという雰囲気かも知れないが、アメリカはもう夏休みは終わり(6月から夏休みなのですでに二月休んでいる)。気持ちを切り替えて秋からの計画をそろそろたてなければ。さようならみなさん。

7月27日 霞が関

昨日は久しぶりに大学を訪問してすこし気分転換。今日からはまた実務にもどる。今日の訪問先は、霞が関。過去にお世話になった方が新しい職場に移られたとのことなので、新しい担当される内容の話や、私がいま担当している話などをさせてもらう情報交換の場をもらった。彼も私と同じ年で次の移動でもう(本省から)外に出ないと行けないかもしれないと話していた。日本の人事は年功序列、年齢による移動がいまだに固定化されていて、いい面もあるのかもしれないが、本当にいい人材が育つのか非常に疑問なところがある。民間は徐々にそのような仕組みを排除しつつあるが、役所はこの先どうなっていくのだろう。ちょっと心配になる話を聞いた。

7月26日 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)

1週間前に羽田から長崎に向かう機内からふと下を見るとなんとなく見覚えのある地域が下に見えた。あの日は、羽田から離陸した後にすこし千葉方面まで向かってから横浜の上空をかすめて太平洋寄りに進路をとっていた。関西地区よりも西側に飛ぶ場合、多摩川に沿って西に向かい、甲府盆地、八ヶ岳をかすめ名古屋に出る航路を取るのかと思ったら、横浜をかすめて海沿いを進んだためすこしがっかりしながら下を見ていると、たぶんいすゞの工場地区と思われる風景が見えたので写真を数枚とっておいた。それをあとで、拡大してみると案の定SFCと思われる建物とキャンパスが確認できたため、知人に送ったところ、もちろん(長崎の仕事の後)寄るんだよね?と言われたのがこの訪問のキッカケ。日本を離れる年まで、6年ほどこのキャンパスで非常勤講師をしていたので、行けば多くの先生たちに会う用事はいくらでもある。日本を離れてまる3年SFCには御無沙汰をしていたので、、まずは一番忙しい学部長の時間を確認して、久しぶりに訪れることにした。学部長とは20分位新しく作る病院の話やらいろいろ世間話をしていたらあっという間に過ぎてします、結局まともな仕事の話はできずじまい。まぁ、メールで連絡はいつでも取れるので良しとしよう。その後は、その日にキャンパスにいた先生方に時間をもらってあいさつ回り。皆さん忙しい中時間をとっていただきありがとう!いつ行っても、SFCではなにか新しいことに触れられるので貴重な場所だと再認識。また来よう。

7月25日 さらに移動日

本日は東京に向けて移動。午前中は奈良によって所要を済ませた後にここからは飛行機で東京に向かう。東京までに空は太平洋からの湿気った空気のお陰で雲が一杯。残念ながら富士山を拝むことはできなかった。長崎と大阪でのメインの仕事は完了したので、あとは東京のオフィスに寄って幾つかの会合と、久しぶりに藤沢に今回はよって日本の出張は完了となる。東京も暑いのだろうか?

2017年10月1日日曜日

7月24日 航空局訪問

今回、東京に直接行かずに大阪に一旦泊まったのは、大阪にある国交省航空局を訪問するため。長崎での業務の許可はここ大阪の航空局に出してもらっていたので、現状を報告し一応今後のための挨拶も兼ねて合同庁舎のオフィスを訪問。
航空局のあとは、大学時代の知人が教授をしている大阪市立大学を訪問。懐かしい先生にほんのすこしの時間だけ挨拶に伺い、知人とは実質5分位しか会えなかったけれども目的は達成。あと残すは2年前の山口を一緒に過ごしたメンバーで大阪を拠点にされているメンバーが、夜に集まる会を設定してくれたのでそれに参加。事前に知らなかったのだが、東京と名古屋から1名ずつゲストも参加してくれて非常に楽しい会となった。何名かは別の用事で会うことができなかったが、ぜひまたこのメンバーとは再会したい。

7月23日 新幹線に乗って一路東へ

今日は移動日。ハウステンボスのシーサイドライナーで数駅各駅で移動し、そこからはJR九州の特急(ツバメに使っていた車両)で博多の手前まで移動する。そして新幹線で新神戸まで。この写真は、新幹線の車窓から見えた山口のきらら浜ドーム。このドームのまわりで2013年、2015年と合計一月以上キャンプ生活をした思い出の場所。もう見ることはないと思いつつ2年前は山口の空港から上昇する飛行機の窓から同じドームを見た。今回は新幹線から見つけることができた。今日は新神戸で知人夫婦と昼食を食べた後、大阪に移動。移動だけなので気が楽だ。荷物を持っての移動が面倒だけど、神戸−大阪間さえなんとかなれば大丈夫でしょう。久しぶりの日本の鉄道の旅は飛行機とは違う楽しみがることを再認識。今後は鉄道での移動をもうすこし組み込んでみよう。

7月22日 無事終了

16日から滞在した長崎での業務は無事に終了。暑い中いろいろな苦労、予期せぬ出来事も起こったがなんとか22日の本番の1回目を無事に終了。一応、私の役割はここまでということで、明日には予定通り東の方向に移動することになる。それにしても、多国籍チームはなんとか協力して今日の結果に結びつけることができたのは素晴らしいことだった。あと、1週間この業務は続くが、ここからは日本チームにまかせて私は予定通りはなれさせてもらうことになった。明日は久しぶりの日本の鉄道の旅。懐かしい人々にも会えるので、楽しみだ。唯一の心配は、この暑さの中駅までどうやって移動するかなのだが、なんとかなるでしょう。

7月21日 暑い

作業はなんとか順調に進み、リハーサルも無事に今日で完了。多少の微調整を明日にかけてすることになったが、一応課題はクリアした状態。あとは天候が持つことを祈るばかり。それにしても暑い。なんと今日は38度まで上がった模様。日中は外に出たくない。幸いなことに作業開始は4時からなので徐々に日差しは陰り始めるところだけれども、それでも暑い。
すごいと思うのは、ハウステンボスは遊園地のような場所なので、この暑さの中でもお客で来ている人々はタオルを首に巻いて歩き回っている。みんな暑さは大丈夫なんだろうか?
日付が変わる頃には珍しく今日は作業終了となり、日本に到着して初めて日本のメンバーと缶ビールを自販機で買って2時位まで話をする機会に恵まれる。日本のチームの話しを聞くとどこも苦労は多いようだが、今回の案件はちょっと違った経路のお客さんなのでみなさん一生懸命やってなんとか結果に結びつけようとしている。

7月20日 ウオータークーラーのありがたさ

今回も、というか2年前の山口と比較できる環境ではないのだが、作業をするマーキー(テント)の中はもちろん冷房なんてものはない。夜でも32−35度位の中で頼りになるのは、このウオータークーラー。冷たいジュースを飲んでいる連中もいるが、私はもっぱらこの機械からでてくる冷たい水にお世話になった。この環境も山口全く一緒。山口では、人数に対してクーラーの数が少なく、夜になると冷たい水が間に合わなくなることも多々あったが、今回はそんなことはない。
一応準備はなんとか遅れを取り戻し順調に進み始めた。22日が本番なのでそれまではなんとかメンバーも、持ち込んだ機材も順調に動いてくれることを祈るばかり。

7月19日 キャンプではなく仕事なのだが。。。

今回の仕事は日が暮れてからの作業が主で、そうなると現場を照らす明かりは2年前には世話になったこの提灯。発発の音とこの光、そして熱い空気の中で作業をしていると2年前の山口での三週間を思い出してしまう。あの時はボーイスカウトの行事で三週間詰めていたのだが、今回は仕事。でも環境はほとんど同じ。メンバーは、ドイツ、アメリカ、そして日本からの混生チームとなる。日本人の私はこの暑さ、覚悟していたからいいけれども、ドイツやアメリカから来ているメンバーにはこたえるだろうに。日付が変わる頃には作業は終わるのかと思いきや、連日朝の4時までの作業でみんな疲れ気味。大丈夫なんだろうか。

7月18日 ハウステンボス駅

ハウステンボスがどこにあるかもわからずに太平洋を渡って九州に入ったのが昨晩。今日から仕事なのだが、夜暗くなってからの作業なので午前中は自由時間となった。お昼ごはんを何処かで手に入れようと思い、折角なので周辺探査を兼ねて駅まで歩いてみると丁度JRの電車が駅に差し掛かったので撮影したのがこの写真。この駅はシーサイドライナーと呼ばれる線らしく頭文字を取るとSSL。それに反応して情報セキュリティの先生からSSLに乗ったんですか?って問い合わせをこのあと受けることになる。まだ乗っていないけど、ここを離れる時はこの電車をつかって移動しようと考えているので、うまく乗れるような組み合わせを考えねば。
それにしても日本は暑い。35度を超え、湿度も80%以上という2年間経験したことない暑さの中走ったのだが、とてもキツイ。日が暮れれば少しは気温が下がると思ったがそんなことはまったくなく、海辺でも涼しくはならない。このままサウナの中にいるような生活が続くのだろうか。

7月17日 今回泊まる場所は。。。

今回の出張の最初の目的地は長崎にあるハウステンボス。そこまでが長かった。太平洋を超えてまずは羽田へ。羽田で国内線に乗り換えて、長崎空港まで移動。途中、たくさんの積乱雲をかわしながら飛行し日本に帰ってきたことを実感。長崎空港からハウステンボスまでは路線バスに乗る。こんな移動なので、今回はスーツケースはやめにして、すべて背中に背負うことができる体制で来た。路線バスで田舎道を揺られること1時間ほど。ほぼ日が暮れて暗くなった時間についたのが、この写真のホテル。ハウステンボスは一度経営が傾いた後、旅行会社のHISに経営が譲渡され立て直しが図られ、いまでは一応黒字の経営らしい。そのハウステンボスの一部に新しい技術を試行する別会社があり、そこが運営するロボット技術を駆使したホテルがこのホテル。どんな「変な」ホテルなのだろうか。

7月16日 息子はキャンプ、私は出張

今日から私達の隊は夏のキャンプ。私は残念ながら日本へ出張のため参加できない。朝起きて外気温を見ると摂氏9度。日中は30度位まで上がるのだろうが、夜間にここまで下がってくれるので夏でも過ごしやすい。恐ろしいのは、これから久しぶりに訪れる日本の夏。暑さと湿気を徐々に忘れかけているのだが、そこに2週間ほど滞在することになる。この9度の空気がたぶんすぐに恋しくなるのだろうと思いつつ家を後にし、朝の飛行機でSan Franciscoへ向かい、そこから羽田を経由して今回の目的地長崎へ。さて、どんな日本滞在になるのだろうか。