大抵の最近の車はガソリンの量が減ると警告灯がつく。残り50kmくらいが多くの場合のしきい値ではなかろうか。
今乗っている車は残りの走行距離が100km位を着るとアラームが点灯し、50kmを切ると警告音とともに知らせてくれる。週末から何処かのチャンスで入れなければとおもいつつ、先延ばしにしていたのが裏目に出て、今日は一旦ガソリンを入れるつもりで外出したのに急用が入り、給油が先延ばしになった結果が写真のような状態。これで7kmちゃんと走ってくれればいいが、信号一つで4km位ごとに残量が減り、この写真を撮った数百m先では表示距離がーーという非表示状態になってしまった。幸いなことにいつもガソリンを入れている場所は、そこから目と鼻の先だったので給油は出来たが年に1回はこうのような危ない橋をわたってしまう。ちなみにこの車満タンで十分600km位を走ってくれ、燃費も通勤で9-10km/lと受け入れられる範囲。それでも日本で乗っていたサイズに戻りたい気はあるのだが。
2016年3月22日火曜日
3月20日 納屋
昨日の子どもたちのお別れ会に続き今日は母親の間でのお別れ会とのこと。せっかくだから、残されたメンバーで久しぶりに外食をしようと、近所といっても会社に近い場所だが、歴史的な農家を改装してレストランをやっている場所にいく。百年立つかどうかは分からないが、かなり古く巨大な納屋を改装したレストランの中はいつはいっても重厚さと不思議な懐かしさの混ざった空間。このレストランは実はポートランド地区のチェーンで、70年台からオーナーが歴史的建物を買い取り、中を改装してレストラン、ホテルなどに模様替えをしてそれらを存続させるとりくみを続けている。ダウンタウンの歴史的なホテルを買い取って現代風にしてみたり、小学校校舎を買い取ってレストランにしたり。とてもおもしろい空間が広がっている。
3月19日 日本人学校卒業式
日本人学校は3月年度末で日本と同じ学期制を引いているため今日が卒業式。うちはまったくかんけいないが。日本が年度末ということもあり、駐在(期間付きの転勤)でこちらに来ている家族の中には、夏に向けて日本に戻る人々も出てきて、この時期に子どもたちはお別れ会のようなものを企画するようになる。現地の学校は今週で授業が終わり、今日から春休みモードなので羽を伸ばすにはいい時期なのかもしれない。日本であれば桜の時期かとおもうが、こちらは桜の種類が多いからか一月くらいあちこちで桜が咲いている。ソメイヨシノが咲く時期は遅いようで日本で見るいわゆる桜っぽいものがやっと咲き始めた感じ。上の写真は日本人学校からの戻り道でみかけたNIKE本社前の桜。車が動きながらの撮影なのでうまく撮れなかったけれどもトラックの上に桜らしきものが見えているかと思う。このNIKE本社は秘密基地のような佇まいでとてもきれいな緑地に囲まれたいい場所。となりはNIKE所有の雑木林でrunningコースとなっている。関係者以外立入禁止と書かれているが地元の人は関係者のようでだれでもが入って走っている。いまこの敷地内にはWorld Headqaterと呼ばれる本社機能ビルを新築中でまだまだ大きくなっていくようだ。
2016年3月21日月曜日
3月18日 そろそろ復帰か?
午前中までは結局動く気になれなかったが、午後から動き出すことに決定。月曜日から溜まっていた仕事をできる範囲で片付け来週以降やらねばならないことなどをlist up。午後からはなんとなく調子はもどってきたような気がする。頭がくらくらするのも収まり、寒気もさったのでそろそろ復帰か?
3月17日 倒れた時の読書
風邪をひく原因に思い当たらないまま寝こむこと3日間。熱は下がるが、あまり状況は好転しない。やっと今日からすこし食べる気になるが、のどが痛いので余り食べるきになれない。たまにのチャンスなのでゆっくり寝て本でも呼んですこすことにする。ちょうど月曜日に借りてきた本が、アメリカの不動産業界を統計学から理解する本。いわゆるビックデータをつかって、表に出てこない減少をデータから理解しようというもの。運良く260ページ位あった本をこの寝込んでいる期間中で読み終わることが出来そう。この本の元になっているのはアメリカのwebベースの不動産サービスで、残念なことを見つけてしまった。それは、ポートランドが昨年全米で一番地価上昇率が高く、バブルとまでは言わないが不動産を買うには2年ほどおそかったことがわかった。ま、必要だから買わないといけないのだけど、もうちょっと安いうちに買いたかった。あと苦労しないで。苦労の意味は、良いなと思うと、複数のoffer(買い手)がついて値段がつり上がってしまうこと。前回は残念ながらかなり上乗せしたつもりだったが、入札マケしてしまい、振り出しに戻る。市場が買い手側にあるときには、売り出し価格に対して、割引の条件をつけるなどこちらの取れるものは何かという駆け引きがある。年末から年始はそれを楽しめたが、いまは一気に市場がこの2週間で変わって、市場に出て5日目くらいには契約にはいるような売り手市場。こまった。寝ている場合じゃないのだが。
3月16日 まだだめ
今日はほんとはポートランド開発局の人と会ってお昼ごはんを食べる予定だったが、なくなく朝一番に連絡をいれてlunchをcancel.おすすめのイタリアンだったから先週から楽しみにしていたのに。
体調は、熱は下がったが相変わらず不調。まったく元気でず。今週はだめそう。
体調は、熱は下がったが相変わらず不調。まったく元気でず。今週はだめそう。
3月15日 久しぶりに倒れる
どうも昨日の朝から調子がおかしいと思っていたらとうとう風邪を引いた模様。昨晩から調子悪く、一晩寝れば汗かいて治るかとおもいきや、そうは問屋がおろさず、火曜日の朝も絶不調。しかし、今日は会社に行く用事があるので行かねばならぬ。会社にいる間は、一応シャキッとしたふりをして必要なことが終わった段階で家に帰って熱を測るとほぼ39度。インフルエンザかなぁ、でも予防接種打ったし。病院行くの面倒だし。ま、寝て治そう。のどが痛いだけの風邪で、咳もそれほど出ずに、関節が痛いなどのインフルエンザ的症状はないのでまずは寝て過ごすことに決定。
3月14日 πの日
日本では言われることはなさそうだが、こちらでは今日はπの日で、π(Pi)にかけていろな場所でイベントが有るようだ。社内のカフェテリアでは先着何人にパイをプレゼントすると連絡が来た。残念ながらそれは狙わずに今日は会社の近くの公共図書館に来てみた。大昔に一度来たことはあるのだが、ゆっくり見るのは今回が初めて。中のゆったりしたスペースの取り方は田舎だからできる優雅さ。
これだけのオープンスペースが1Fに準備されており緑の草原を見ながら本が読める。面白いことを発見したのは、本以外も貸出をしていること。理科の実験機材からポップコーンマシーンまで。それらが図書館でかりられる。最新の実験用の小型コンピュータも周辺機器含めてこのとおり。変に官僚主義に固まらずに住民のneedsがあれば実現している良いモデルに見えた。
これだけのオープンスペースが1Fに準備されており緑の草原を見ながら本が読める。面白いことを発見したのは、本以外も貸出をしていること。理科の実験機材からポップコーンマシーンまで。それらが図書館でかりられる。最新の実験用の小型コンピュータも周辺機器含めてこのとおり。変に官僚主義に固まらずに住民のneedsがあれば実現している良いモデルに見えた。
3月13日 キャンプ終了
2泊のキャンプを終えて息子は無事に帰宅。現地ではいろいろな考査科目のチェックなどをしてきた模様。彼は日本でそれなりの項目を終わらせてきていたので、それをどうtransferできるか、まずはキャンプ技能を見てあげて欲しいと隊長には以来。隊長からは、基本技能はあるようなので、日本でやっていないことを集中的にやって早めに上進させられるようにしましょう。どこかで日本で終わっている項目のチェックを一度一緒にしますかね、なんて話をしていたところ。この写真でもわかるように、こちらのボーイスカウト年代は高校生時代を含むのでかなり柔軟に上進プランをくめる。うまく活用できればいいところまで行けるのかもしれない。いずれにしても、アメリカに来て初めての外泊、小さい子どもたちのうるさい声で眠れないなど大変だった様で帰ってきてかなり疲れた様子だったが楽しんでは来たようだ。
3月12日 鹿の住む街
今住んでいる場所も鹿はいるのだが、500mくらい北側に行った森にいるようだ。今日は、最近週末の恒例行事となった家探し。今住んでいるところよりポートランドに近いエリアで丘にある古い住宅地を走っていたら、横断歩道をまつような鹿の家族3匹。十分手前で停まってあげるとゆうゆうと歩いて道を渡り、そして人の家の庭に入っていった。鹿による害はあまり聞いていないが、かなりこの地域は動物と人間の生活領域が重なっている。豊かな植物、それによってくる昆虫、そしてそれを捕食する動物、さらにその動物を捕食するものたちまで。一応すべてがつながっているので共存ができているのかもしれない。ちなみに、この日に見に行った家は、庭に鹿が遊びに来ている写真を掲載している物件だった。
3月11日 アメリカにきて初めてのキャンプ
息子のボーイスカウトの隊が新入隊員を迎え入れて初めてのキャンプが今日から始まる。キャンプと言っても、日本で言う舎営だけれども、いわゆるロッジで自炊生活。メニューはいかにもアメリカの子どもたちが思いついて、食べたいというものらしい。今日は金曜日だけれども、学校は先生たちが成績を登録する日だかで学区内の学校すべてが閉校(先生は仕事をしている)のため、夕方から出発となる。左が出発前の、点呼の状況。面白いのは移動手段。日本だと責任問題などからバスなど公共交通機関を使うが、こちらはスカウト保護者のボランティア。ただし、スカウトを運ぶためには自動車保険の詳細と、運転者の運転記録の提出が必要となる。そうやって、何かあったら保険でカバー、なければガソリン代をお礼として払うという仕組みで柔軟に、安上がりで各地にキャンプに行っているようだ。
上級生は上級生らしく絞り込んだ(必要最低限の荷物)ザックで参加。もちろん、初めての参加者は手引に書かれているものをすべて持ってくるので山盛りの荷物。
よくありがちな光景はこちら。ザックに入りきらなかった寝袋、そして安眠用の枕を手に下げて集合。こういう子も2年もキャンプすれば強いスカウトになっていくのがボーイスカウトのいいところ。
上級生は上級生らしく絞り込んだ(必要最低限の荷物)ザックで参加。もちろん、初めての参加者は手引に書かれているものをすべて持ってくるので山盛りの荷物。
よくありがちな光景はこちら。ザックに入りきらなかった寝袋、そして安眠用の枕を手に下げて集合。こういう子も2年もキャンプすれば強いスカウトになっていくのがボーイスカウトのいいところ。
3月10日 帰着
2016年3月10日木曜日
3月9日 空港セキュリティ
3月8日 日帰り東海岸出張
日帰りと行っても火曜日の深夜にポートランドを出発する飛行機を利用し、夜行で飛び早朝にニューヨークの隣のニューアークという空港まで移動。そのため、夜九時過ぎに今晩は家を出て空港へ。11時過ぎの飛行機なのだが、幸いな事にまだ空港内のレストランは開いていたので、暇つぶしに地元のビールを飲んでから搭乗。明日は一日、ニューアークの会社で会議をしてそのまま夕方にとんぼ返り。東海岸への出張は、飛行機さえあればこのような組み合わせができて日帰りができるので、体にはきついがちょっとは便利。ただ乗り継ぎが必要な場合などはあまり、夜行にする意味は無いので、今月末のフロリダ行きは昼間に飛ぶ予定。
2016年3月8日火曜日
3月7日 ネッカチーフを入手
今日は月曜日なので、通常の隊集会。最初の部分で、本日のプログラムの説明の後、まだ渡されていなかった隊のネッカチーフがそれぞれの新入スカウトに授与された。まずは、カブから上進したスカウトが、元の隊ごとによばれてちびスカウトがそれぞれチーフをもらい、最後に息子が一人よばれ晴れてあたらしいチーフを入手。これまでは東京で使っていた緑色のものだったが、こちらは更に濃い緑に縁取りがされたチーフとなる。BSAはネッカチーフ着用が義務ではないが、ちゃんとつけて集会に来るようにとの説明が隊長からあった。かなり制服の着用は乱れているので、どこかでなにかしなければと思ってしまう。外に出た時にちゃんと制服を着られれば良いのだが。。。。
3月6日 お葬式
こちらに来て、本当に最初の頃にお世話になった方のお父様がなくなられ、そのお葬式というかお別れの会に参列。場所は、今住んでいる丘の一番上の稜線沿いにある墓地にある斎場。車で10分程度だったかこんな場所があるんだと思えるような素晴らしい景色の場所にある斎場。日本の斎場は、窓などはなく、閉めきった場所に花があふれるのだが、こちらは、このような風景をガラス越しにみながら、故人の入る棺に対してセレモニーが行われる。日本から70年台にこちらに来ていろいろなことを学び、日本、アメリカの双方で事業を成功させつい先日まで仕事をされていたらしい。なんどかお会いしており元気そうだったのに急に亡くなったと聞きこの会に参列をした。ちょうどこんな天気だったから素晴らしい光景に見えたのかもしれないが(まさにこのような風景を参列者全員が見ながらのセレモニーだった)、とても荘厳な式だった。
3月5日 早朝ダウンタウン
今朝はある講習を受けるためにダウンタウンに8時半前にきてすこし川べりを歩いてみた。川にそって歩道がしっかり付いているので、このあたりは散歩、走る、自転車の人々にはとても良い場所となっている。私が歩いているうちにも、川に近い場所にはどんどんと車が来て駐車が可能な場所にとめて、runningにいったり、自転車をおろして走りはいめたりしていた。私は、わざわざ車にのってどこかまで走りに行く気がせず、やったことはないが(東京では数回やったことはあるのだが)このような方法で気持よく走る方法もあるのだと納得。しかし、走ったあとの汗だくでクルマに乗るのも嫌だし、どっかの店にいくのも気がのらないので、やるとしても家のとコースの往復にとどまるような気がする。街には、いかにも走る格好や自転車の格好でコーヒーのんだり、ビールを楽しんだりしている人がいるが、あのような人たちは汗はかかないのだろうか。いつまでたっても解けない謎の一つである。
3月4日 amazonのいいところ悪いところ
日本にいた時からamazonはよく利用していた。日本でのamazonのパッケージングに不満はなく、あるとすれば過剰包装気味なところか、佐川急便をやめて日本郵便にしたことで配達に関する質が落ちたことくらいだろうか。といっても、こちらの質を考えれば日本の運輸サービスの質は別世界。
今回は、すこし大きめのハードカバーの本を頼んだのだが、それより大きめのダンボールにスペーサー(紙をクシャクシャにしたもの)と本がそのまま入っていた。箱のなかで本が踊っていたんだのか、その前からなにかは分からないが、ハードカバーの本の角が潰れ、それ以外の部分もこんなふうに傷んでしまっている。これで返品したらこの本はたぶん売り物にならないだろうから廃棄処分になりゴミが増えるだけ。でも、あまり気持ちのいいものでもない。さて、どうしたものか。返送のコストがもったいないからもう一冊送るよと行ってくれるかもしれないので頼んでみるか?
今回は、すこし大きめのハードカバーの本を頼んだのだが、それより大きめのダンボールにスペーサー(紙をクシャクシャにしたもの)と本がそのまま入っていた。箱のなかで本が踊っていたんだのか、その前からなにかは分からないが、ハードカバーの本の角が潰れ、それ以外の部分もこんなふうに傷んでしまっている。これで返品したらこの本はたぶん売り物にならないだろうから廃棄処分になりゴミが増えるだけ。でも、あまり気持ちのいいものでもない。さて、どうしたものか。返送のコストがもったいないからもう一冊送るよと行ってくれるかもしれないので頼んでみるか?
3月3日 足はまだまだ
出張から戻り、月曜日から体がなまるので走り始めることにした。スピードは気にせず、走れるところまでと思ったら、なんとかいつもの5kmのコースは走ることが出来た。ただ、相変わらず足首が固定状態で損傷をした左足では地面をけれないため、歩幅が極端に短く、右足で一生懸命蹴らないと前に進まない。そんなアンバランスな走り方をしたら、腰から下のいろいろな部分が筋肉痛に。慣れればいいので過渡期と思い、今週は今日を含めて3回走ってみた。今使っている腕時計は加速度計が付いているために、足の接地時間、体の上下動などをかなり正確に測ることができる。この数字を見ると非常に面白いことが見えてきた。けがをする前は、平均で9cm強の上下動をしていた。それに比べて、月曜日は6cm、水曜日は7cmと上下動が少ない、すなわち歩幅が少なくなっていることがわかりスピードも比例して落ちていることがわかった。足の痛みは徐々になくなりつつあるので、この数字を見ながら回復を知ることができるので、しばらく統計をとって見ようと思う。
3月2日 クラシックカー
先週のCalifornia出張で見かけた車がこの写真。こちらは日本に比べてクラシックカーがたくさん現存し、個人で所有している人も数多くいる。たぶん、その理由は車検制度と車に対する税金の掛け方の違いだと思う。日本では車を走る状態で所有することには非常にコストがかかる。こちらは、ナンバープレートを保持することにはそれほどのコストはかからないので、古い車を持っていても乗るときにちゃんと保険がかかっていればいいので、コストは抑えようと思えばかなり抑えられる。
ちなみに、この車はワーゲンの一種で、第二次大戦中にシュビムワーゲンと呼ばれるドイツの軍用車の末裔らしい。形を見た瞬間にシュビムワーゲンだと思ったがよく見ると少し違う。これは、戦後に軍用車として作り続けられ、その一部が自家用車として売られたもので、フォルクスワーゲンタイプ181と呼ぶそうだ。この手の車は部品が共通で使えるのでよほどの事故でもしないかぎり小さな部品は手に入るらしい。つい最近までいわゆるビートルはメキシコで作られていたので、なんとか整備はできるようだ。こんな車も腫れの多い地方だと楽しいのかもしれない。
ちなみに、この車はワーゲンの一種で、第二次大戦中にシュビムワーゲンと呼ばれるドイツの軍用車の末裔らしい。形を見た瞬間にシュビムワーゲンだと思ったがよく見ると少し違う。これは、戦後に軍用車として作り続けられ、その一部が自家用車として売られたもので、フォルクスワーゲンタイプ181と呼ぶそうだ。この手の車は部品が共通で使えるのでよほどの事故でもしないかぎり小さな部品は手に入るらしい。つい最近までいわゆるビートルはメキシコで作られていたので、なんとか整備はできるようだ。こんな車も腫れの多い地方だと楽しいのかもしれない。
3月1日 TokTok
最近近所にタイ料理屋がオープンしたらしい。もとインド料理屋だったが、客の入りが悪く代替わりした模様。宣伝がユニークで、バンコックなどでよく使われているオート三輪のタクシーもどきの車両にスピーカーを付けて昼間に宣伝をしているらしい。そのオート三輪を見かけたが右の写真。車両自体は綺麗な新品をどこかからか持ってきたようで、現地の認定運転手+車両を示しているであろうベストもシートにおもむろにかけられている。実物を見た記憶はないのだが、写真ではこのような車両が街の中を渋滞をぬって走っているのは何度か見たことがある。周りの知人が数名行ったことがあるようで味は悪くないようなので今度行ってみよう。ちなみにこの車両のことはTok Tokと呼ぶようで、それから来ていると思われるポートランドの有名タイ料理屋はPok Pokである。
2月29日 leap year うるう年
今年はうるう年。そのため、今日はまだ2月。だけど2月の最終日。月曜日は息子はボーイスカウト。今日から正式に入隊。班編性はまだよくわからない形で、彼はどうも隊の中の年長者グループに割り当てられた模様。5年生はまだ小学校。6年生からが中学校。なのでいまは小学生が上進してきている状態で、それらのグループとは切り離された8年生以上のグループが2週間後のキャンプのための準備で、世界共通の備品整理となる。写真のようなボックスにすべての調理器具が入っており、これは私がいた昔の日野2団とほぼ同じ。この箱をみて、25年ほど前にあるキャンプに参加したリーダーが記憶を元にコンパネで同様のものを作った。当時は重すぎても子供の人数が多かったので運ぶことが出来たが、現在ではスカウト数の減少にともないほとんどあの重い箱は使われなくなって倉庫の奥に眠っているはず。一方こちらのものは、アルミ製で耐久性のためにそれなりの厚さと重さがあるが非常に便利に使えるようになっている。これをピックアップトラックの後ろにつなぐトレーラーでたくさんの備品とともに運んでいくことになる。なんと、このセットがこの隊は10位上もある。鍋を洗ったり、使えなくなったものを廃棄したりとやることはどこもいっしょ。雨降る中、9時頃までかかって備品整理は一応終了。さてどんなキャンプになるのやら。
2月28日 Try out 二日目
Try Out二日目は昨日とは違って天気が不安定。今日は4チームに分けて個別練習と実試合に近い状態を作ってバッティングと守備を確認。息子と昨年一緒にプレーしたもう一人の日本人の子はなぜか今日はベンチで待ってろ状態。最初から、他の子達にいろいろやらせたいので、少し待っててくれと言われたたらしい。二人共昨年からのプレート、冬の間のトレーニングも一応出ていたのでコーチたちは大体のレベルはわかっているようでこうなったのだろうか。本人いわく、ほとんど二日目は何もしなかったと。もう一人のこのお父さんは、これで落とされたら文句言わなきゃと冗談をいってこの日は終了。結果はいかに?9時過ぎにはメールで連絡が来ると息子は聞いたらしいが、結局10時まで待って何も連絡が来ず電池切れで就寝。ほんとに結果はいかに。
2月27日 シーズン開始
とうとう野球のシーズンが到来。今日から息子はtry outと呼ばれるチーム編成試験に望む。彼はいまこちらで8年生で、高校に上る前の最終学年。昨年は中学生グループの3チームあったグループの2番めに所属。今年はうまい上級生が抜けた分、1軍を目指していたが結果はいかに。一生懸命練習するかとおもいきや、それほど事前に焦ってトレーニングなどをしていないのでそう甘くはないのではないかと家族からは忠告されていた。この日は晴天に恵まれ、基本的な動作のチェックがされる。受験者もおおく、もしかすると厳しい戦いになるのかもしれない。おなじ8年生全員が1軍に残れるかどうかはわからない。昨年もうまい選手でも息子のチームで一緒にプレーをしていた8年生がいることを考えるとうかうかしていられない。
2月26日 最後の一日
日本からの依頼を金曜日の午後にこなし、最後の飛行機でオレゴンに戻る。月曜日に比べれば足は徐々に回復傾向にあり、まだまだスピードが遅いので距離を歩くのに苦労するが、急がなければなんとかなりそう。これで、2月はほぼ完了。あっという間に2016年の二月は過ぎ去った。Californiaではすでに桜が咲き始めており、たぶんオレゴンもそろそろ暖かくなってきているので花が見られるよになるのではなかろうか。
2月25日 会議3日目
久しぶりに長かった出張も今日で終了。世界中から来ているメンバーは、今日の夕方から帰る人達が出始める。今晩帰れるのは近い人々。ではせっかくなのでと、仕事が終わった打ち上げ?にとホテルから徒歩圏のレストランに(今回はみんなレンタカーを借りずに全員でバスをチャーターしていた)。最近食べる量がめっきり減った私は何にしようかといろいろ考えていたが、写真のようなものとサラダで簡単にすませ、あとはみんなでワインを楽しむことに。このレストラン、最近出来たアメリカンフットボール上の下にあるレストランでゲームがなければ結構いい場所かもしれない。次に来るのはいつになるか?
2月24日 会議2日目
Sausalitoでの宿泊は2泊で終了。今日の会議場所は橋を渡ったダウンタウン側の元倉庫街。この倉庫街を映画会社が(正確にはジョージ・ルーカスかな?)買い取って外見はそのままで中を再開発。最新のオフィスにしている。外から見るとボロボロの倉庫だが、中は綺麗な今時のオフィス。映画会社が持っているからか、そこら中の廊下やエレベーターに昔の映画のポスターが貼られている。日本のものも幾つかあり、日本語が妙に新鮮。この日は外で風景を楽しむことはなく、会議をびっちり午後までやって、終わり次第シリコンバレーへ移動。一応役割はたぶん果たすことが出来、目的完了。明日からはちょっと別の内容に移ることになる。
2月23日 会議1日目
会議地はこんな感じで、写真に見える白い建物が40年台に建てられたものを、中を回収した宿泊施設。会議室に割り当ててもらったのは昔は教会だった建物。足さえ問題なければ、写真に見えるGoldengate Bridgeまでいくのだが、まだ普通に歩けずゆっくり歩くことしか出来ない。久々に怪我をして歩行が難しい状況になり、まちで苦労している人々の気持ちが少しわかった気がする。これは安静にしているべきなのか、どんどん動かして筋肉組織の再生を促進すべきなのかよくわからない。関節や靭帯の損傷の場合、安定するまで安静にしないと後でおかしくなるが、筋肉なのでたぶん動かしたほうが良いのだろうと、少しづつ動くようにすることにした。それにしても別世界。この天気、この風景。全来たい。あと1日あるが。
2月22日 多分初のSausalito
昨日の怪我にめげずに登山用ストック片手に飛行機に乗って朝一番からCaliforniaに移動。損傷をうけた筋肉に力を入れなければ痛みはないので、足首を固定して歩けばなんとか歩ける状態。ただ、すごい遅い。この時だけはオートマのレンタカーに感謝して、会議の場所であるSausalitoへ。このまちはサンフランシスコのGolden Gate Bridgeを渡った反対側にある小さな観光の街。昔は海軍がいたみたいで、海軍の施設を改修してとても綺麗なリゾート地にした場所が今回の会議場所。サンフランシスコのダウンタウンまで渋滞がなければ15分でいけるのだが、橋をわたるときにたいてい渋滞しているので隠れた保養地のような場所になっている。会議は明日からで、今日は世界各地から集まったメンバーでまずは夕食。海辺に面したイタリアンレストランだったが、別件の会議にでていたため食事は殆どできずワインをすこし。でもとても雰囲気のいい場所だった。このレストランぜひまた行きたい。
ちなみに足はこんな感じでサポート中。
ちなみに足はこんな感じでサポート中。
登録:
投稿 (Atom)